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ryusukekawai について

ノンフィクション・ライター、ジャーナリスト 主な著書に「社会を生きる教科書」(岩波ジュニア新書)、「『十九の春』を探して」(講談社)、「122対0の青春」(講談社文庫)、編著書に「東日本大震災 消防隊員死闘の記」(旬報社) 好きなミュージシャン:Van Morrison,Nina Simone

日本人はどこへ行ったのか。北の地で

 

寒波が訪れるなか、北海道の洞爺湖周辺を訪れた。北の湘南ともいわれる噴火湾沿いの伊達紋別駅から国道453号を北に向かう。有珠山の麓、熊牧場など観光施設と昭和新山をはさむ駐車場には、冷たい風と雪のなかでも数台観光バスが止まっていた。
こんな寒い季節でも来る人がそこそこいるんだと思っていると、それは日本人ではなくアジアからのツアーの一団だった。

さらに国道を北へ雪の舞うなかを進む。伊達市の大滝地区にある国道沿いの道の駅へ。新千歳空港からニセコのスキー場へ向かう国道276号沿いでもあり、ここにも観光バスはどっと押し寄せるらしいが、お客はアジアからの人たちだ。中国、台湾、タイ、マレーシア、あちこちからやってくる。日本人の観光客はどこへ行ったのだろう、と思えるほどだ。

「英語で話しかけるのが普通になっているから、間違えて日本人のお客にも英語で話しかけてしまったりします」と、店の人が言っていた。

この地はキノコの産地キノコ工場で、近くに無農薬栽培の「キノコ工場」があるというので行ってみた。すでに雪もかなり積りはじめた。工場建屋のなかには、いくつもの棚の上にキノコの菌をうえつけた人工の小さな「ホダ木」がびっしりと並んでいる。

このホダ木を運んでいるのか、台車を押して若い女性たちが建屋のなかを行き来する。ジャージや作業着姿で数人が声を弾ませて働いている。聞けば、中国から来ている研修生たちだという。
「地元の若い人は、なかなか来ませんから」と、経営者が地元の労働事情を説明してくれた。外は雪、10代だろう彼女たちは、きびきびと体を動かしている。

若い日本人は地方から出ていく。それと入れ替わりに中国から若者が日本の田舎で働く。北海道で、中国など金のあるアジアの人は観光に訪れ金を落とし、お金や仕事がほしいアジアの若者がお金を稼いでいく。地方をかき回してくれるのは外国人だ。

帰りに熊牧場に入場した。冷たい雪がぱらつく下、コンクリート壁に囲まれた、眼下のオリの中で、ヒグマたちが観光客の投げるリンゴやクッキーを待っている。リンゴをかざすと、「おーいこっちだよ」とばかりに二足で立って熊が手を振る。これがなんとも愛嬌がある。

 

その熊めがけてリンゴを投げると、見事にパクリ。周りをみると、これで喜んでいる日本人は、どうやら私一人のようだった。

熊牧場

負けるなローラ :池に落ちた犬に石を投げる社会

タレントのローラに同情する。バングラデシュ国籍の父親が詐欺の疑いで逮捕されたことで彼女は「本当に申し訳ありません」と謝罪した。
父親の不始末をなぜ娘が謝る必要があるのだろうか。出来の悪い父親をもったことは彼女のにとって不幸で、彼女はむしろ被害者だ。自分がひどい目に遭っているのに、自分のせいでないことに頭を下げなくてはいけない。そしてそれを当たり前のことのように思っている世間がある。

犯罪者の家族は、なぜ責任を感じる必要があるのだろうか。たとえば、秋葉原の無差別殺人のKの弟は自殺した。弟が兄の人格に人殺しをするまでの悪影響を与えたわけはない。こうした兄を持った弟はむしろ被害者である。それが自殺に追い込まれる。

佐世保の同級生を殺害した少女の父親もまた自殺した。父としての責任と苦しみから逃れられなかったのか。この場合、彼女を一人暮らしさせていたとかいろいろ責任を問われる報道があった。
責任がないわけはない。しかし、殺人を犯すまでのことを予想できただろうか。親の教育責任という点では、世の中虐待を含めてひどい親は腐るほどいる。その子供たちが凶悪な犯罪を犯すとは限らない。
自殺した父親に対して、「責任逃れ」という批判の声が上がった。確かにそうかもしれないが、死に至る苦しみなど顧みられることはない。
近しい人間の罪と自死との関係という点では、STAP細胞研究の笹井芳樹教授の事件も同種だ。責任の重みに耐えられず自殺したのか。彼は自殺に追い込まれるほどひどいことをしたのだろうか。中学生の息子に暴力をつづけ自殺に追いやった父親が逮捕された。自殺してしかるべきはこういう人間だが、こういう人間に限って自殺などしない。

この世には犯罪者の家族は数えきれないほどいる。責任を負う必要もないのに責任を感じ、後ろめたい思いで暮らす人がどれほどいることか。それは運が悪かったということなのか。彼らの多くもまた被害者である。

それを世間は、池に落ちた犬に石を投げつけるような態度にでる。冷たい社会ではないか。

戦争論、地獄変、高橋和巳

 

 戦争を振り返る季節を迎え、ヒロシマ、ナガサキの原爆記念日が来て、被爆の惨状が思い起こされ平和への願いが語られる。

重要なことだが、その一方でいまもどこかで戦争があり被害がつづいている。ガザではこうしている間にも子供たちが傷ついている。そして攻撃の手を緩めないイスラエルを否認しはしないアメリカにわれわれ日本は同調している。

69年前の惨禍を痛む被害者でありながら、当時は圧倒的な加害者であり、いまも間接的な加害者であるかもしれないわれわれは、ヒロシマ、ナガサキを語るときに同時にそのことに触れなければ説得力ある平和への願いとはいえないのではないか。

われわれは真に戦争を検証し反省してきたのだろうか。半世紀も前のエッセイ「戦争論」で作家高橋和巳は、ヒロシマの原爆慰霊塔の石碑に刻まれた言葉、
「安らかに眠ってください。あやまちはくりかえしませぬから」

に、強い違和感を示している。いったい何を過ったというのか。戦争は過失ではない、国家的確信犯罪であると断罪する。総じて国民が何かを過ったのではなく、国家が犯した罪である。しかしそれはいとも巧みに戦後政治的な領域で処理されてしまった。
繰り返すが、半世紀前にいわ れたことである。

戦争や紛争の報道をみつづけるのが嫌になってくる。ガザの子供らへの爆撃の様子をいかに臨場感をもって伝えられても、それを止める手立てがなにもないからだ。もう現状報告だけならやめてくれといいたくなる。その後でなにか個人ができることをマスコミは示してくれないか。
日本政府は何をしていているのか、その政府に対策を取らせるためにわれわれは何ができるのか、報道の域を超えているかもしれないが、なにか個人にできることを示してもらえないだろうか。凄惨な状況をリアルにただ眺めているに過ぎず、すぐそのあとにビールでも飲みながらバラエティー番組に興じ、どこかで己の平和を感じ取っているのでは、他人の不幸を肴にしているのとおなじである。

高橋和巳は、1965年に「見る悪魔」と題したエッセイのなかで、ヴェトナム戦争における日本のジャーナリズム作品についての“齟齬感”を語る。ヴェトナム戦争に対して行為者としての自分の無力を認めながら、表現者としての姿勢を問い詰めるなかでのことだ。
齟齬感の在処は、ひとことでいえば、書かれる側、見らえる側の立場、視点と表現者のそれとの乖離である。たとえば広島の慰霊塔の前で焼香する遺族の顔を30センチばかりの至近距離でとらえるカメラについて、「人々がなにか大事なことを考え落としている事実は否めない」と警鐘を鳴らす。

地獄変

高橋は、芥川龍之介の小説「地獄変」を思い出して、この乖離について語る。それは、酷いものでも平然と 芸術として描く老画家が、最後は大殿様の命よってだが、自分の寵愛する娘が焔に焼かれて苦しみ死ぬ姿 を描写し芸術とする悪魔的な精神のあり方を書いたものだ。ここから芥川のテーマである芸術至上主義を考えさせ、議論も引き起こされるが、高橋は別の角度から問題を提起する。
「老画家が娘の焼け死ぬのを描写している時、焼け死ぬ当の娘がどういうつもりで父を睨み返していたかということを私たちは常に考えおとしがちなのである」
ガザで爆撃に傷ついた子供をカメラがとらえる、ということは子供もまたカメラを見るかもしれない。その子はどういうつもりで見返していただろうか。
地獄変の老画家は、その“地獄絵”を描き終えたのち、自ら命を絶つ。見続けるだけのわれわれは、やがてこの老画家のようにならないともかぎらない。

2014 青森の夏~深浦高、助っ人を得て出場

 

7月に入り、今年もまた青森へでかけた。第96回全国高校野球選手権の青森大会の開会式をみて、翌日六戸で木造高校深浦校舎の試合を観戦した。
雨で一日のびた開会式では、はじめての光景を目にした。違うユニフォームの生徒がひとつのチームとして入場行進をしている。部員の数が少ないため、合同での出場が認められた青森東平内と松風塾の選手たちである。

開会式で入場更新する深浦の選手たち

開会式で入場更新する深浦の選手たち

 

 減少する生徒数にともない、単独で野球部を維持できなくなる学校が増えてきているなか、部員数が不足するチームが合同でひとつのチームとして参加することを全国高野連がみとめたのでこうした光景がみられるようになったのだ。

青森県内での中学校卒業予定者は、2017年から27年までの10年間で3000人以上減少することが予想され、今後の県立高校の再編に大きな影響を与えるとみられている。青森県だけの問題ではないが、同県ではこれまでも生徒数の減少のなかで学校の統廃合や分校化がすすみ、1998年に122対0という記録的な大敗を喫した深浦高校もその後生徒数は逓減し、2007年に木造高校深浦校舎という「分校」となった。

今年の深浦は、4月に新入生が29人と昨年に比べて12人も増え、野球経験者もいることから野球部への入部が期待されたが、ふたをあけてみると新入部員は1人。2,3年合わせて7人しかいないので、大会に出るには頭数はそろわず、仕方なくサッカー部から3人、イラスト部から1人を借りて、なんとか出場にこぎつけた。しかし、助っ人も野球経験はあり、対戦相手によっては勝算は十分あった。
その相手は青森西高校で、チーム力では負けるだろうが勝ち目のない相手ではなかった。試合会場は十和田市より東、太平洋に近い六戸にあるメイプルスタジアム。日本海側の深浦町からは車で4時間近くかかる。

試合前に球場外でアップする

                     

一度戻って出直してくるのはとても難儀であり、選手や監督たちは十和田市内のビジネスホテルに宿泊し翌日午後の試合にのぞんだ。一日日程がずれてしまったため、当初の予定していた全校応援は、自由参加の応援となり、この時期予約がとりにくい大型観光バスをチャーターして、三年生を中心に先生たちを含めて30人ほどがはるばるやってきた。

三塁側、深浦の応援席で声援を送る生徒たちと教頭先生

三塁側、深浦の応援席で声援を送る生徒たちと教頭先生

相手の青森西は、全校生徒は深浦校舎のほぼ10倍にあたる711人だが、この日は応援団やチアガールなど応援席は深浦とおなじくらいの数に見える。それでも華やかなチアガールの声が響き、深浦の選手たちもむしろこの声にいい意味での緊張感を覚えたようだった。
三塁側深浦の一般応援席には、野球部員の父母やOB、それにかつてこの学校に在籍していた先生など20人ほどがあつまった。日差しは強く、風もライトからレフトへとやや強く吹いて、外野の守備が心配されるほどだった。

 試合は先攻の深浦が二回に4番で投手の阪崎がライト前に安打。これを手堅く送ったが、あとが続かなかった。その裏、青森西は三塁線を抜く2塁打のあと、犠牲フライや守備の乱れもあり2点を先制。深浦は三回にも2安打で1死1,3塁の絶好のチャンスを迎えるが、走者が牽制で飛び出すなどしこれを生かせなかった。

一方青森西は三回にも、深浦の内野の乱れと安打に犠打を加えて1点追加、3-0とリードする。その後深浦はマウンドの阪崎が踏ん張って二回を抑えると、6回には打順よく1番西崎から始まり、その西崎と三番キャプテンの中村が安打し、ここで4番阪崎がライト前にタイムリーを飛ばし、西崎が還りようやく1点を返した。

6回表、1死1,3塁の好機を迎える。このあと走者生還。
6回表、1死1,3塁の好機を迎える。このあと走者生還。

 
しかし、その裏四球で先頭打者を出すと連続安打され5点目を献上、ここで投手が阪崎から三塁を守っていた島川に交代するが、さらに安打と味方のエラーもありこの回合計4点を許し、7-1とされた。

 なんとか7点差でのコールドゲームだけは避けたい深浦だったが、7回、8回と先頭打者が死球で出塁するものの相手左腕の巧みな牽制に相次いで刺される。その後に阪崎のセンターオーバーの2塁打が出るなど、タイミングも悪く加点できず、逆に8回の裏に加点されて、8回コールドで試合を終えた。

深浦校舎をさったのちも応援に駆け付けた先生

深浦校舎をさったのちも応援に駆け付けた先生

安打数だけ見れば青森西10に対して深浦8と、差は少ないが結局試合運びと守備の差が得点差につながったようだ。

試合後の選手は、涙を浮かべるものもあり、それなりに悔しさをにじませていたが、投打に活躍の阪崎は、悔いのない表情だった。毎年のことだが2年生のなかには3年生の最後の試合に役に立てなくて申し訳ないという気持ちと、もう少し3年生と一緒に試合をしたいという気持ちを表す生徒がいた。

イラスト部から助っ人で来た佐藤竜太は、試合の迫力と緊張感に手ごたえを感じたのか、野球部に入ることを考えているようだった。しかし3年生4人が抜けた秋の新人戦は、単独チームでは戦えず、となりまちの鰺ヶ沢高校と合同で出場することになるようだ。

しばらく球場外の芝の上で余韻をかみしめ、最後は中村監督や武田部長、古跡副部長ら若い指導陣と言葉を交わした生徒たちは、ともにマイクロバスに乗って深浦への帰路についた。

 

なんだろ、自分たちのサッカーって

 

ワールドカップで日本が初戦を落とした理由について、「自分たちのサッカーができなかった」と、キャプテンの長谷部が言った。他のメンバーでも似たようなことを言う。なんだろう、自分たちのサッカーって。
勝ったときは自分たちのサッカーができて、負けた時はできなかった。なにも具体的に勝敗を分けた理由を言っていないに等しい。

 言うまでもなく、思考は言葉で行う。言葉で説明できないということは、思考が整理されていないことになる。こうなると、敗因も頭の中で整理されているのかどうか疑問である。

 あえて言葉で説明したくない人は別として、説明する立場にある人が、具体的に論理的に説明できないということは、いかがなものか。また、それに対してインタビューする側も「自分たちのサッカーって何ですか」とはきかない。

 日ごろの付き合いがあり、日本ではどうしても聞く側と答える側に仲間意識があるから、きびしい突っ込みはしない。解説者の元サッカー選手たちも同じだ。「過ぎたことは忘れて前を向いて」とか言う。視聴者、読者より仲間が大事なのだ。

 ただの批判ではなく、建設的な意味で反省点をしっかり聞きたいものだが、そういうことは残念ながら聞けない。だれか、教えてくれないか。自分たちのサッカーってなんなのか。

Ross MacDnaldの言葉③~「動く標的」から

 ロス・マクドナルドの作品のなかで、最初に映画化されたのが「動く標的(The Moving Target)」だ。1966年に公開されたこの映画では、主人公、リュウ・アーチャーをポール・ニューマンが演じている。

 映画は、原作から想像されるアーチャー像との違いに違和感はあるが、舞台の南カリフォルニアの風土や生活様式などはこういうものかとリアルにつたわってくるのも確かだ。

動く標的①

 映画の話は別の機会に書くとして、この作品はリュウ・アーチャーが登場する長編シリーズの第一作である。久しぶりに66年初版の創元推理文庫(井上一夫訳)を読んでみると、アーチャーが若く、行動的でタフでハードボイルド色が濃いことに驚いた。

 一読者としてアーチャーのプロフィールが改めてよくわかった。彼はこのとき36歳で6月2日生まれの双子座。なぜ、警察をやめて探偵になったのか、どうして探偵のような仕事についたのかがわかる。

 失踪した実業家の夫の捜索を依頼された彼は、依頼人の娘を車に同乗させながら、彼女と交わす会話のなかで、自分について語る。霧が晴れて青空が広がるカリフォルニアの丘陵を走る。無鉄砲で魅力的なこの娘とこんな会話がある。


「アーチャー何に追っかけられているの?」 彼女がからかうような調子でいった。
(略)
「ちょっとしたスリルが好きなんだ。自分で制御できる、馴化された危険というやつだね。自分の命はこの手で握っているんだぞという、力を握ったような感じを与えてくれるし、そいつは決して失わないということもわかっている」
(略)
「それで、きみはどうしてそんなにつっ走ったんだね」
「退屈したときにとばすのよ。自分をだますようにしてね。なにか新しいものに出くわすぞと思わせるのよ。むき出しの光り輝いている、路上の動く標的とでもいうようなものよ」

 このあとアーチャーは、あまり度が過ぎるとひどい目に遭うぞと威かす。すると彼女は気にもせず訊いてくる。アーチャーが切り返す。

「男の人って、みんなヴィクトリア時代の遺物みたいなところがあるのね。あなたも、女は家庭にいるべきだと思っているの?」
「わたしのうちにはいないほうがいいと思うね」

 妻に愛想をつかされて離婚したアーチャーらしい。女性は家にいるべきか、どうか。もっともらしい“問い”は、いつしか定型化する。しかし、そもそも“問い”自体がおかしいこともある。「いるべきかどうか」より「いたほうがいいか、いなほうがいいのか」、さらにいえば、「わたしと一緒にいたほうがいいのかどうか」                                  ※

 この文庫本を電車で立って読んでいたら、向かいで座っていた娘がときどき本の方を見上げる。文庫本の表紙のカバーは、映画化されたときのポール・ニューマンの古い写真だったので、それが気になっていたのか。しかし、電車を降りた後しばらくして本を広げてみて気がついた、裏表紙は艶めかしい女の写真

ミランダ

だった。

 これも映画のなかからのカットのようで、アーチャーと会話を弾ませたミランダ・サンプスンの姿態だ。演じたのはPamela Tiffin。60年代風に髪を盛り上げ、胸のあたりがV字のメッシュになっている黒い水着らしきものを着ている。あー、おそらくこれだ。いまどきみかけないこのファッションに“なんだろあれ”と、怪しげに思ったのだろう。

 

 

Ross MacDonald(ロス・マクドナルド)の言葉②

 千葉県柏市の路上で通りがかりの31歳の男性会社員を殺した男は無職の24歳だった。未来のある何の罪もない人間を殺した罪は一生かかっても償いきれるものではないだろう。

 名古屋駅前で自動車を暴走させて、無差別に13人に重軽傷を負わせた事件の容疑者は30歳の男だった。彼の父親が警察官だったことが報じられ、報道のなかには、親ならまして警察官なら、公衆に対して謝罪すべきだという浅薄な意見があった。

 百歩譲って、よほど幼児期に虐待をしたなど、家庭教育の過程で人格を歪めたような形跡がはっきりとしているなら、そうした意見も容認されるかもしれないが、30歳の人間の犯行に対して、外部が容疑者本人にではなく、親だから警察官だから謝罪せよなどと断罪できるはずがない。

 自分が親で警察官で、常識ある人間だったら言われなくても悔い、謝罪をしたいと誰でも思うだろう。しかしそれは第三者が強制できるものではない。

 車を暴走させた男は幸い死者こそださなかったが、被害者を心身ともに傷つけ、またその家族を傷つけただけでなく、自らの家族を死に等しい状態に追いやったといっていい。通り魔殺人犯の24歳の凶行は、被害者の命を奪い、その家族の命も奪うに等しい残忍な行為であり、同時に自分の家族をも“殺した”に等しい。

 

 彼らはもちろん刑に服するだろうが、さまざまな形で被害をうけた関係者の将来を思うとやるせない。

さむけ2

 

 ロス・マクドナルドは、彼の作品中最高傑作だといわれる「さむけ」(The Chill 1976 小笠原豊樹訳)のなかで、作者とも主人公リュー・アーチャーのつぶやきともとれる言葉でこんなことをいい表している。

「ある種の人間は、自分がこの世に生まれてきたことを償うだけで生涯を費やしてしまうものである」

 妻殺しという無実の罪を着せられ、服役した男をめぐっての言葉だ。ろくでもない夫ではあったが、妻は殺していない。しかし、当時幼い娘が周囲の大人に強制されて、父親が母親を銃殺したと証言したことで、彼は有罪となってしまう。出所した男は、娘に会い自分の無罪を確認させようとしていた。こうした殺人事件が三つかさなって、物語はかなり複雑に展開していく。

 この世に生まれてきたことを償うだけで生涯を終える、とっていはあまりにも運命的すぎるし救いはない。だれだって生まれてきたときは、そんな運命は背負ってなかったはずだ。だが、どこでどうまちがったか、ある時からのちは、償いだけで生涯を費やす、あるいは費やさなくてはならない人生があることも確かだろう。

大雪と無人店舗

 滅多にない首都圏の大雪は、滅多にない予想外の出来事をいくつももたらした。知人の家では、屋根から落ちた雪が隣家の駐車場の屋根を壊し、隣人が“どうしてくれる?”と、苦情を言ってきた。確かに知人の家から雪は落ちたのだが、降雪は自然現象でその量はよくあるとはいえないほど大量だった。

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横浜・馬車道付近で

 道路に雪が積もれば、通行のじゃまになるから雪かきをしなくてはいけない。わが家の近所でも、どこもみんな出てきて慣れない雪かきをしていた。自分のためでもあるが、自分の家の前だけ雪が残っていては、近所に迷惑がかかるから仕方のないところもある。

 こういうとき雪かきをしていないところが顰蹙を買うのはいうまでもない。商店街をみると、個人商店はほとんどみな店先がきれいになっているが、都市部で私が見た範囲では事業ではかなりの雪を残しているところがあった。

 そして、もっとも最後まで雪が残っていたのは、消費者金融の無人店舗だった。現場には会社の人間はいないからしかたがないとはいえ、わざわざ雪かきに来るような気の利いたことはしないのだろう。
電車に乗れば、車内の広告モニターでは、頻繁に“金貸し”の宣伝が流れ、有名俳優たちが登場するお手軽な金融のポスターがよく目立つ。多額の宣伝費を使って派手にそしてチャーミングに商売を演出するこのビジネスには、雪かきのことなど頭にない。

 地方都市の駅周辺にはもうずいぶん前から潰れた商店のあとに、ポツンポツンと無人の金貸しコーナーが、どぎつい色の看板を出している。いつまでも雪が残るのは、そういう看板の前なのだろう。

「右」と「左」の違いを掘り下げる

あるテーマについて、同じよう意見を持つ人たちは、別のテーマについても同じような意見を持つ。原発に賛成だという人は、沖縄の米軍基地も容認するし、首相の靖国神社参拝は賛成で、中国、韓国は反日であると怒り、秘密保護法には賛成する。

反対に原発に反対だという人は、沖縄の米軍基地は県外にもっていくべきだとし、靖国参拝は反対、中国、韓国とはもっと平和的に交渉し、秘密保護法は反対。少し乱暴かもしれないが、だいたいこういう傾向にある。CIMG1915

これらの問題を判断するにあたって、どうやら共通のある基準があり、それに照らし合わせて意見の方向が決まるようだ。その基準とは、「国家」と「個人」の関係についての考え方ではないだろうか。「全体」と「個人」、もう少し抽象化すると「秩序」と「自由」との関係である。

「個人より国家を重んずる」・「個人の自由より全体の秩序を尊重すると考える」か、「国家より個人を尊重する」・「全体の秩序より個人の自由を尊重する」と考えるかの違いが根本にあって、さまざまな問題について意見が分かれているのではないか。

これが俗に「右翼」、「左翼」といわれることに近いのかもしれないが、それは置いても、根源的に違いがあるのなら、その根源について、互いにどうしてそう考えるのかを徹底的に論じあってみたらどうだろうか。新聞やテレビは、一つ一つのテーマについて、いつもその論点をとりあげるだけだ。表層的でありそれでは解決の糸口は見えてこない。

一例をあげれば、原発が安全かどうかの意見の違いも、科学的な見解の相違ではなく、価値観の問題であるという点から論じたろうどうだろう。立派な識者の専門的な解説、分析も掘り下げればある種の価値観から出発していることがわかったりする。極端な話、幼児期の体験が原点だったりすることもないことはない。

価値観の相違について掘り下げて互いに認識し合うことがなければ、いくら議論をしても解決の方向にはすすまず、互いの正当性をぶつけ合うだけの、議論のための議論に終わってしまう。

「あなたはどうしてそういう考え方をするのか」、「そういう意見を持つようになった根本はどこにあるのか」。それを冷静に、徹底的に掘り下げていかなければ、相手のことなどわからないだろう。

わかる必要がないと思う人なのだろう、ただ自説を正当化する意見を延々と吠えている人がメディアによく登場する。そして、それに同調する人は、目を血走らせて拍手喝采を送る。自分のカタルシスのための議論の行く末がどうなるか、歴史に照らせばわかる。