Archive for the ‘社会, Social Problem’ Category

欲望と自由の果ての肥満

土曜日, 7月 13th, 2013

 なんでアメリカにはこんなにデブばかり多いんだろう。ずいぶんまえから思っていたが近年さらに進行しているのではないか。
 空港のロビーで目の前を行く人を目で追ってみた。
 デブ、普通、デブ、すごいデブ、普通、普通、普通、デブ・・・。だいたいこんな感じだ。体型など、人をみてくれで判断し偏見をもってはいけないのは重々承知だ。しかしこれだけ肥満が増えると、それを生む社会の問題として考える必要がある。
 
 子供にまで肥満化が蔓延しているのは明かな国民的健康上の危機だ。太っていることを表す英語には、一般によく使われるfat のほかに丸々とぽっちゃりしたという意味のchubby、そしてでっぷりとして肥満であることを意味するobese(オビース)などがある。
 これでいうと、オビースがまれではなくなっている。性別、人種、年齢を問わず太っている。世の中、異常なものが多くなれば、これがスタンダードになってくるから恐ろしい。
 その恐ろしさの原因は、レストランに行けば明らかだ。とにかくまず量が多い。加えてフライものや肉類が目立つし、甘いものでも「ジャバニーズラージ」が「アメリカンスモール」だ。

                

 食べる量(エネルギー)と、消費される量を差し引きすれば、残る量が多くなりそれがたまっていき、贅肉などになっていることが単純に計算されると思う。
 だから、わかっていて、食欲を抑えられないか、別に抑える必要がないと思っていることの証だろう。体が重く肉がたまってもいい、食べたいものは食べるという欲望を優先しているのだ。

 ところで、欲望を抑えないという点では、食欲にかぎったことではなく、なにかをやりたいという欲望についてアメリカという社会は積極的に認めている。それは「欲望」という概念が、言い換えれば「自由」でもあるからだ。
 欲望=自由を求めることは正義であり、その反対の「禁欲」はあまり理解され尊重されることはない。控えめであることは美徳になりにくい。そういう人を決して悪くはいわないが、そんなことしたら損をするという風潮が社会にある。
 食いたいものをとくかく腹いっぱい食い、いいたいことをいい、やりたいことをやる。自由の謳歌だ。しかし、むずかしいのは人は自由を完全にマネジメントできない。すべて自由にしていいといわれたらどうなるだろう・・・。

 また、アメリカの「食」についていえば、自由に食べているようで、フード産業の提供する圧倒的な力に、実は食い物にされているところがある。小学校で甘いソフトドリンクなどを止められない理由はそこにある。ビジネスもまた限りなく自由だ。
  
 自由だと思って欲を追究していっているようで、実はもっと大きな自由を求める力が差し出す限られた選択肢のなかで、得られる自由の極大化が肥満なのかもしれない。太っているのか太らされているのか。よく考えると恐ろしくもある。
 こういう仕組みの社会をもつアメリカという国が牽引する、さまざまなグローバルスタンダードに、われわれがついていこうとしていることに大いなる疑問がわく。

経済成長神話、だれか説明してくれないか

火曜日, 4月 30th, 2013

 世の中には、ずっと疑問に思っていても、あまりにも根源的な問題なので提起しづらいことがある。「経済成長」はその最たるものだ。成長戦略だとか、経済を成長させるため、という言葉はほんとうによく聞かされる。

「自然環境や資源の保護」との関係で言えば、「経済成長」がつづけば、資源も自然環境も失われていく。「いやそんなことはない、自然エネルギーの促進や省エネ技術の進化によって、それは防ぐことができる」などとよく言われるが、こういうことを言う人は、本気でそう思っているのだろうか。
「成長を暗黙のうちに是とする」、言い方を換えれば、「あまり根源的なことを考えても仕方ない」、あるいは「考えられない」といった、思考の停止が根底にあるのではないか。                                       

 景気がよくなればエネルギーもより必要となる。そうすればどのような形であれ電力開発は進む。これまで原子力をはじめ火力、水力でも成長に伴う需要増をまかなうために発電所はつくられてきた。これにともない自然海岸や自然な河川は少なくなっていった。
 経済成長とは概ねそういうことなのだ。だから、一方で自然保護、環境保護を謳いながら、経済成長をしないことが問題だというのはおかしなことなのだ。今世間で言われているような成長は、意図するかどうかは別としても、紛れもなく自然資源・環境を食いつぶして達成されのである。

 日本の近代化をとってみても、近代化=経済成長にともなって自然環境がどれだけ変化(劣化)したことか。一例を挙げれば、自然海岸は80年前後に50%を切っている。50数個できた原発の立地は、すべて長閑でほとんど手つかずの自然海岸だった。我々は自然海岸を失うことと引き替えにエネルギーと経済成長を得てきた。
  
  私は個人的にはできる限り自然を保護してほしいと願う。しかし、便利で効率のいい経済的に豊かな社会のために自然をある程度(あるいは、かなり)損失しても仕方ないという考え方があるのも理解できる。しかし、環境を保護しながら経済成長を半永久的に求めて行けること、求めて行くことが当然だというような考えは理解できない。

 よく考えれば矛盾する「考え」でも、それぞれがもっともらく見える「考え」だったりすると、人は深く考えなかったり、あるいはそれとなく矛盾を察知しても思考を掘り下げて問題に気がつくことを本能的(感覚的に)恐れ、立ち入らなかったりする。掘り下げて本質的な問題が露呈したら、簡単には解決できないからだ。
 それぞれが問題と思ったら、個々に取り上げ「なんとかしなければ」ととりあえず言ってみる。ジャーナリズムの悪しき面はここにあり、その方が簡単だし受け手にもわかりやすいし、おそらく提唱する自分でもわかりやすからだろう。
 
 根本的な問題ほどジャーナリズムをはじめ大衆を議論に巻き込む側には難題である。「極端な金融緩和が経済成長につながるのか」などといった一見専門的で難しく思われるテーマより「経済成長と自然保護は矛盾しないのか」といった根源的なテーマの方がはるかに難しいのである。
 しかし、専門的だが表層的なテーマに精通する方が、はるかにお金になるし、日々の生活にすぐ影響するからジャーナリズムのなかでは受け入れられやすい。原発の是非の議論でもそうだった。
 原発について賛成、反対の意見の違いは 安全性についての意見の相違だけでなく、経済成長(経済的豊かさ)に対する見方、さらに掘り下げれば「豊かさとは何か」についての見解の相違についてを問う、深い議論が交わされてしかるべきだった。が、残念ながらこうした「テーマ」を掲げて議論を促したところはなかった。

 仮にこういう議論をしていくと、価値観の相違が浮き彫りなる。たとえば、ひとつのもっともらしい意見の根源は、「組織のなかでの自分の地位の保持」や「自然崇拝」だったりする。それらが悪いというのではもちろんない。
 でも、そこまで掘り下げて徹底的に議論することで、考えの優劣は別にして、いろいろな価値観をむき出しにしてみることは、互いを理解するという点で必要なのではないだろうか。平和で民主的な社会なら幸いそれができるのだから。

長い老後とバカンス

金曜日, 3月 8th, 2013

 ちかごろ80代の人が珍しくなった。90歳を超える人もちらほらみかける。親戚でも94歳の伯母がいるが、この人はマンションで一人暮らしをしている。人の悪口ばかりいっているのが元気の秘訣のようで、頭と口はまだまだよく回るからたいしたものだ。

「あたしは、老人ホームなんて絶対いやだね」と、よく言っている。団体生活にはなじめないだろうし、若いころから美容師で、一人で美容院を切り盛りしてきた働く女性だったので自立心も人一倍強い。
 おとなしくて静かなお年寄りを期待されるようなホームはまっぴらごめんというわけだ。
 
 確かに日本の老人ホームは、かつてとずいぶん変わったとはいえ、まだまだお年寄りを子ども扱いしているところがある。
「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれて当たり前だと思っている人は多いだろうが、「○○さん」と、名前で呼んでくれと言いたい人もいるはずだ。

 先日ある特別養護老人ホームに行ったら、くだけた人間関係を出そうとしているのか、「~でいいじゃねぇか」といった言葉遣いを男性職員がしていた。耳も遠くなっている人が多いとはいえ、聞いていて気持ちのいいものではなかった。
 まだできて間もないホームで、内装も無垢の木を使ったりして温かみを出そうとしている。しかし、どうもホームの内部の雰囲気は殺風景だ。ホームは入所者にとってはおそらく“終の住処”だ。それは自分のホーム(家)であるはずだ。病院とは違うし、リハビリをするための施設でもない。

「特養」の絶対的な不足を補うように雨後の竹の子のようにいま有料老人ホームができている。こぎれいなこうしたホームですら、豪華かどうかは別にして、“アットホーム”な感じを受けない。
 本気で“ホーム”を演出する力と、それを支える確たる思想がないからだろう。どうやって人生の最後の場所を居心地よく作り上げるのか、高齢者への福祉とはどうあるべきかを考え尽くしているのか、といった疑問が出てしまう。

 

 函館で「旭ヶ丘の家」という老人ホームをつくった、フランス人神父のフィリップ・グロードさんは、「老後はバカンスだ、ホームは老人にとってバカンスを過ごす所です」と宣言し、“大人のホーム”を完成させた。
 昨年のクリスマスの日、グロードさんは85歳で亡くなった。十数年前何度かそこを訪ね神父さんに話をきいた。

 寿命が延びると同時に、多かれ少なかれ障害をもって長い老後を過ごさなくてはいけない。心身ともに衰えていく中で、最後の居場所はどんなところになるのだろうか。

 (参考)「老いはバカンス ホームは休暇村―グロードさんと旭ヶ岡の家」(旬報社)

琉球独立

火曜日, 11月 6th, 2012

 またしても沖縄で米兵による事件が起きた。11月1日の深夜、今度は酒に酔った若い米兵が民家に侵入しその家の中学生を殴りケガをさせたという住居侵入・傷害事件だ。前回の強姦致傷事件のときもふくめこれだけ基地があることに起因する問題を目の当たりにしながら、驚くべき反応が日本人のなかにある。
 それは、「沖縄の人には気の毒だが、日本の安全保障のために我慢してもらうしかない」という意見だ。国家の安全保障というが、つきつめれば国家を盾にした自分の身の安全のためだろう。
 加えて、こういう意見の人は自分が一番大事だから自分のところに基地を引き受ける気持ちなど毛頭ない。長年にわたって同じ国民として明らかに不利益を被っている人がいるのに、それを是正しようとしないで成り立つ安全保障は、民主国家としておかしいし、第一だれかの痛みの上に自分の安全を確保して気持ちがいいだろうか。
 日本人に不利益な日米地位協定を見直すことはもちろん、基地の縮小を実現しなければ事態は変わらないだろう。

 沖縄ではいま「琉球独立」の動きさえある。先日、龍谷大学の松島泰勝教授が、毎日新聞のインタビューのなかで、独立も現実的な選択として考えざるを得ないと話している。
 パラオ、ツバル、ナウルといった太平洋に浮かぶ小国のように、沖縄よりはるかに規模が小さくても独立している国を例に挙げるなどし、独立は不可能ではないという。

 昨年沖縄で話を聞いた沖縄国際大学野球部監督の安里嗣則さんは、野球をはじめさまざまなスポーツの大会の開催地として沖縄は国際的に大いなる可能性があるという。
 また、これまで返還されてきた基地は再開発によって基地以上の経済効果を生んでいるという実証データもある。つまり、基地がないと経済的にやっていけないなどというのは乱暴な論だということだ。
 松島教授らは10年に「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表、政治・経済学、国際法、民族学、社会学など幅広い分野で組織する琉球独立総合研究学会が来年度の発足を目指しているという。
 その歴史は古い、琉球独立論の現実性を今後探ってみたい。(9月24日毎日新聞参考)

屈辱的な事件に怒りはないか

火曜日, 10月 23rd, 2012

  オスプレイ問題にひきつづきとんでもないことがまた沖縄で起きた。若い二人の米軍兵による日本人女性への強姦致傷事件だ。あるテレビの報道番組が、容疑者の一人の故郷テキサスを訪ね、彼の友人へインタビューをした。
 友人は、容疑者は女性に対してそんなことをする男ではなかったと、容疑者がもともと健全な人格であったことを語った。
 もしその通りなら、彼は軍人になったことが原因で女性を襲うような人間になったのか。それとも、沖縄という異国の基地のまちで、相手が日本人女性だったからたいした罪の意識なく犯行に及んだのか。
 軍人という身分が保護されていると意識していたのか。故郷のアメリカ人の白人女性に対してだったらそんな卑劣なことはしなかったのか。

 いずれにしても、彼らがこれまである程度普通の人間だったなら、これまで米軍兵が引き起こした沖縄での数々の事件とそれに対する沖縄の人の気持ちなどほとんど意識になかったことは容易に想像がつく。
 アメリカは事件について綱紀粛正を強めるというが、根本的解決策としては米軍の大規模な縮小か撤退以外にありえないだろう。それでも事件後ルース駐日米大使は「私にも25歳になる娘がいる、個人的なものとして、多くの人がこの事件に対して抱く怒りを理解している」と、声を詰まらせコメントした。

 また、沖縄県の仲井真知事は「正気の沙汰とは思えない」と、怒りと悲しみの表情を浮かべた。それに対して、野田首相はまず最初に記者に感想を聞かれてなんといったかといえば、「あってはならないこと」だった。
 同胞が屈辱的な乱暴を受けて、こんな紋切り型の言葉しか最初に出てこないのだろうか。気持ちの問題だ。

 この言葉からだけでなく、震災の被災者、拉致被害者、そして沖縄の人たちという生身の人間としての国民の怒りや悲しみを共有して、守っていこうという気持ちが政治家から感じられない。だが、それは政治家からだけでなく国民全体からもあまり感じられない。
 国の安全保障のために、日本のエネルギーの安定供給・経済成長のために・・・。その大義(実際は一部の集団の利益やイデオロギーのカモフラージュでもある)の下に結果として蹂躙されてきた個人としての国民の生活のなんと多いことか。
 沖縄については、この際せめて日本全国の学校教育の現場で沖縄の歴史を必修として、生徒が学ぶようにしたらどうだろうか。 

汚れた心と国益

土曜日, 8月 25th, 2012

 太平洋戦が終わる前後、戦争の混乱に輪をかけてさまざまな悲劇が起きた。敵に殺されるならと自害した人もいる。与論島から満州に入植した一団のなかでは、ソ連の侵攻でパニックになったある若者が同郷の子女を自ら手にかけてしまった。

 いままで信じていたものが180度変わってしまったこともあり、社会も人々の心も大きく動揺する。それでも現実を突きつけられれば前に進むしかないが、終戦を遠く日本を離れて迎えた人たちは情報不足や置かれた立場(移民など)によって日本にいる日本人とはまた違った複雑さがあったろう。

 いま公開されている映画「汚れた心」は、ブラジルに移民した日本人のあるコミュニティーのなかの悲劇を描いている。終戦を迎えてもなお日本が負けるはずがないと狂信的に思い込む“勝ち組”と呼ばれたグループが、負けを自覚する“負け組”を国賊として攻撃する。

 本当は心のどこかでおかしいと感じつつも、皇国の不敗神話に縛られて狂気に走る主人公。それを苦しみつつ見守るしかない妻。日本人同士のなかでまた血が流れる。実際に戦後のブラジル日本人移民社会で数多くの事件があったという。

 情報から隔離され、事実に目をそらし神話を妄信する。それは不安の裏返しでもあるのだが、そこにつけ込むように訴えるカリスマ的な人物による扇動がある。
 不安なときの人の心は弱く、こうした扇動になびいていく。そして、冷静に対応するような言動を弱虫となじり、同胞の中に敵を作っていく。

 いまの日本でも、似たようなムードはなにかことあるごとに頭をもたげる。個人的な国家観の表出にすぎないものを“国益”などと安易に呼び、「わが国の国益とはなにかを考えないといけない」などという言葉は要注意だ。

 先の戦争はもちろんのこと、原発計画も沖縄の基地も国益の名の下であったことだけいえば十分だろう。そんなことを考えさせられた映画だった。  

ただの酒屋よ!

金曜日, 8月 17th, 2012

 ちょっと少し黙っていてくれないか―。オリンピックの男子サッカーの試合を見ていて、実況中継があまりに能弁なので、思わず口に出してしまった。サッカーに限らず、とにかく競技の最中にアナウンサーは、ひっきりなしに話している。

 競技の内容を追って、ときどき選手のバックグランドなどを織り込むのならいいが、中継を盛り上げたいのか、感情的な言葉や精神論をゲームの進行中にあれこれ言われると鬱陶しい。

「下を向いているときではありません」とか「ようやく見えてきたメダルに向かって・・・」といったようなことを延々と話している。 

 テレビをはじめマスコミの宿命なのか、とにかく盛り上げようという意図が強すぎはしないか。仕掛けたい気持ちはわかるが、みんながほんとうはそれほど感動したり盛り上がっていないのに、過剰に盛りたてるのは痛々しい。アンデルセン童話の「裸の王様」のようだ。ほとんどの人が嘘だとわかっていても煽動者にうまくのせられ、真実を口に出せない。

 そんな作られた感動の嘘くささに見事に冷や水を浴びせた例を最近テレビで見て、痛快だった。演出=フィクションを砕く事実=ノンフィクションの心地よさといってもいい。それはあるニュース番組で取り上げられた宅配酒屋チェーンの「カクヤス」についてレポートのなかにあった。

 24時間、缶ビール一本から配達するというカクヤスの店舗なかで、ゲイバーが多く深夜までににぎわう新宿二丁目の実情を番組は伝えていた。配達の若い男性がちょっとバーでからかわれたりするといったお話やバーの“ママ”のコメントも紹介されていて、いかにこの地域でカクヤスが重宝されているかがわかった。

 そしてレポートの最後で、別のゲイバーのママを訪ねたレポーターがママにマイクを向けた。話題の酒屋チェーンがなるほど人気がある、ということを再度視聴者に知らせ、盛り上げて番組をしめようとして尋ねたのだろう。

「あなたにとって、カクヤスさんとはどんな存在ですか」。確かそんなことをきいた。するとママである彼は、一瞬「ン?」という感じで間を置いてちょっとぶっきらぼうにこう言った。
「ただの酒屋よ」

 これには笑った。だからこの手のママはいい。こちらの勝手な想像だが、いろいろな偏見にさらされても自分のスタイルを通してきた者が持つ、体制に媚びない率直さがあるからこういう言い方ができるのだろう。
 あえて尋ねる側の期待をはずしてシニカルに構えることの“受けねらい”もあるだろうが、相手に迎合して本意でもない答えをしない、本音の気持ちよさがある。

 レポーターとしては「(カクヤスは)水や空気と同じ、なくてはならない存在よ!」とでも、期待したのだろうか。でも冷静に考えれば、互いに商売。「ただの酒屋」である。この言葉、「うちもただのゲイバー」という、奥に自負を秘めた謙虚な姿勢もうかがい知るからまたいいのだ。(川井龍介)
 

三河島から行旅死亡人へ

木曜日, 8月 2nd, 2012

 月に一度、友人であるジャーナリストのH氏とぶらり飲み歩いている。この2人の飲み会にはちょっとしたコンセプトがあって、これまで行ったことがないようなところを事前情報を得ずに訪ね、行き当たりばったりで2,3件暖簾をくぐるということだ。
 街歩きをかねて、「ここのぞいてみる?」といった感じで店とは初対面の新鮮さを味わう。ひとりでは間が持てないような店も2人ならなんとかなるし、常連さんの、品定めをするような視線にも堪えられる。

 これまで門前仲町を皮切りに、人形町、戸越銀座、合羽橋、野方、赤羽、野毛(横浜)をぶらり飲み歩き、つい最近は三河島を“攻略”してみた。常磐線で日暮里から一つ目。私もH氏も初めて下車する駅だった。
 あとでわかったことだったが、ここには古いコリアンコミュニティーがあって、路地に入っていくと、下町らしい総菜や食料品を扱う小さな商店にまじって、「焼き肉」がちらほら目に入る。

 これらとは別で、「やきとん」と書かれた暖簾のかかる見るからに時代を感じさせる店に入った。煙がしみこんだような煤けた店内はカウンターのみ。仕事帰りの勤め人風の客もいるが、みたとこ近所のなじみ客がほとんどのようだ。風呂上がりでやってきたような中年カップルもいる。

 焼酎の一升瓶が水槽のなかで冷やされている。チューハイを頼むと、ちょっとむずかしい表情の老年の店主がそのビンを取り上げて、氷の入らないがレモンのエキス?を垂らしたジョッキ風のグラスを差し出す。
 1本70円からの焼き物数種と冷や奴、トマトを頼む。夜7時ごろ。すでに席はいっぱい。2人で2500円ほどを払い外へ出た。「いやー、正解だったね」と顔を見合わせ、再びぶらり歩き始める。

 小腹がすいたので小さな中華料理屋へ入る。まだ始めて間もないという中国人経営の店で酢豚やチャーハンを食べ、その後は「女性ひとりでもどうぞ」などと書かれたスナックのようなところでカラオケに興じた。

 そうしているうちに店内の常連さんと会話がはじまり、三河島の鉄道事故に話が及んだ。三河島といえば鉄道事故という記憶はあったが、改めて調べてみると大惨事だったと教えられた。いわゆる三河島事故(みかわしまじこ)とは、1962年(昭和37年)5月3日夜、当時の国鉄常磐線三河島駅構内で発生した多重衝突事故で、死者は160人も。

 犠牲者を悼んで近くの寺には聖観音像なるものが建てられた。また、この犠牲者のなかにたった一人だけ身元不明の男性の遺体があり、駅近くの寺に行旅死亡人として葬られたそうだ。なにかの用事で関係する列車に乗っていたのだろう。

 ところでこの 行旅死亡人とは、身元不明で遺体の引き取り手もない死者のことをいう。昔なら旅の途中で行き倒れて身元が判明しないような人だ。この行旅死亡人が日本では年間で1000人ほどいるとどこかで読んだが、不幸にして亡くなるだけでなく、その身元もわからず葬られるというのは、人の最期としてなんとも寂しい。

 だがその一方で、家出人の捜索願は毎年10万件ほどあるという。これらがすべて永遠の行方不明者ではないだろうが、かなりの数の人間が、自らの意志で過去を捨てていると推測できる。身元が判明されることを拒否しているともいえる。
 とはいっても最後まで身近な人に身元を知られることなく、あるいは知らせることなくこの世を去っていくのはむずかしいかもしれない。いずれにしても自分の意志で過去を捨てたのであれば、知られずに逝くことも必ずしも不本意ではないのだろう。

 問題は、そんなつもりはなくても、名無しのままに葬られるケースだ。三河島へ行った翌週都内は猛暑となった。私は炎天下、品川界隈を歩いていて、あるホームレスと見られる人に出会い衝撃を受けた。

 男性と思われるその人は、もはや着ているものも服の体をなさない、真っ黒いボロ雑巾のようなものをまとい顔も見えなかった。動いていなければ人とは思わなかったかもしれない。
 この暑さのなかをどうやりすごすのか。ふと“行旅死亡人”という言葉が頭に浮かんだ。(川井龍介)

Air Force が後ろからツンツン

日曜日, 7月 1st, 2012

 アメリカ建国の象徴のまちフィラデルフィア。週末の夜、レストランやバーが集まっている繁華街をぶらつき、軽い食事をしようとあちこちの店の様子をうかがう。いくつもの店で、大きな液晶のモニターがテレビ番組を放送している。
 シアトルでも同じだった。落ち着いた感じのレストラン、バーでもこのでかいモニターがかなりの音量と共に映像を流している。

 場所はさらにかわって南のフロリダ。庶民的なリゾートホテルのバーでは、モニターが大小4つもあった。ひとつはちょっとしたダイニングテーブルほどだ。ウィンブルドン、メジャーリーグ、ドラマ、そして多くのコマーシャルが同時に目に入る。
 でかい液晶モニターが安くなったからか、にぎやかなのが好みなのか、ちょっと一日の終わりにビールを飲もうと思っているものにとっては、映像も音も勘弁してくれと言うほど鬱陶しい。

 鬱陶しいといえば、ニューヨークのマンハッタンを歩いていると、いきなり耳の後ろで声がしてどきっとする。かつてこのミッドタウンでカバンを盗まれたことがあったので、過敏になっていたのかもしれない。

 振り返ると、Tシャツにスニーカーの男性がイヤホンでなにかを聞き、独り言をブツブツ言いながら歩いている人のように話していた。通話していたのだ。携帯電話でもいきなり耳元で声がしてはっとしたことはあるが、端末を持たずに話せるとなると、さらにどこでもいつでも声を発しているので、聞かされることもまた多くなる。

 場所と時間を選ばず、なんでもできるようになる。便利だが、なんでもものには程度というものがある。フォートローダーデールからロサンゼルスに向かう飛行機のなかでのこと。前に座るシートに液晶モニターが組み込まれていて、機内で映画やゲームができる。操作は画面へのタッチ式だ。

 私の斜め前の赤毛の中年女性が、これでポーカーゲームをしていた。熱中しているようだが、液晶のタッチのポイントがすごく小さいこともあって、白いマニュキアの“ゴージャス”な指では今一つ反応しない。ボールペンを取りだし先っぽで突いたがこれもダメ。

 そのうち苛ついてきたのか、指で力強く何度か押している。当然、前の人のシートは頭のところがそれに合わせて前に動く。これを何度も繰り返している。
「ツンツンと押される前の人は嫌だろうな」と、同情していると、私の後頭部もツンツンと小さな衝撃を感じた。どうやら液晶をタッチしているらしい。

 気に障るので反対に少し押し返してみたが、相手は気がつかないのか、やめる気配はない。眠れないし、あまりつづくようだったら何か言おうかと思って、チラッと後ろを見ると、迷彩服に身を包んだ軍人だった。
 搭乗口で見かけた「Air Force」(空軍)の若者たちの一人だ。しばらくしてこのツンツンは収まったが、Air Forceに後ろから頭をツンツン攻撃されているかと思うと、鬱陶しいことこの上なかった。

スカイマークと公共性

木曜日, 6月 7th, 2012

 安全上のトラブルが相次いだ航空会社スカイマークの顧客対応が話題になった。

「機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センター』あるいは『消費生活センター』等に連絡されますようお願いいたします」と明記した文書を機内で顧客向けに置いていた。
 サービスの質も金次第という精神の極みのようだ。商売上のポリシーなのだろうが、常識のなさを露呈したのが、消費生活センターへ苦情の矛先を振り分けたことだ。

 お客に自分の店のトイレはつかわせず、となりの公衆トイレをつかってくれと言っているレストランのようなものだ。
 公共に対する認識が著しく欠如していて恥ずかしい。それでいて常識はなくても消費生活センターの存在を知っているところがずる賢さを示している。これに対して同センターはスカイマークに抗議、同社も謝罪して関係文書を回収したという。
 
 公的機関は広く誰のものでもあるが、個人のためにあるわけではない。図書館はみんなのものだが、だからといって借りた本に書き込みなどはしてはいけない。自分のものでありみんなのものであるものについては、自分だけのものより丁寧に扱うことで公共社会は質が高くなる。