Archive for 8月, 2012

汚れた心と国益

土曜日, 8月 25th, 2012

 太平洋戦が終わる前後、戦争の混乱に輪をかけてさまざまな悲劇が起きた。敵に殺されるならと自害した人もいる。与論島から満州に入植した一団のなかでは、ソ連の侵攻でパニックになったある若者が同郷の子女を自ら手にかけてしまった。

 いままで信じていたものが180度変わってしまったこともあり、社会も人々の心も大きく動揺する。それでも現実を突きつけられれば前に進むしかないが、終戦を遠く日本を離れて迎えた人たちは情報不足や置かれた立場(移民など)によって日本にいる日本人とはまた違った複雑さがあったろう。

 いま公開されている映画「汚れた心」は、ブラジルに移民した日本人のあるコミュニティーのなかの悲劇を描いている。終戦を迎えてもなお日本が負けるはずがないと狂信的に思い込む“勝ち組”と呼ばれたグループが、負けを自覚する“負け組”を国賊として攻撃する。

 本当は心のどこかでおかしいと感じつつも、皇国の不敗神話に縛られて狂気に走る主人公。それを苦しみつつ見守るしかない妻。日本人同士のなかでまた血が流れる。実際に戦後のブラジル日本人移民社会で数多くの事件があったという。

 情報から隔離され、事実に目をそらし神話を妄信する。それは不安の裏返しでもあるのだが、そこにつけ込むように訴えるカリスマ的な人物による扇動がある。
 不安なときの人の心は弱く、こうした扇動になびいていく。そして、冷静に対応するような言動を弱虫となじり、同胞の中に敵を作っていく。

 いまの日本でも、似たようなムードはなにかことあるごとに頭をもたげる。個人的な国家観の表出にすぎないものを“国益”などと安易に呼び、「わが国の国益とはなにかを考えないといけない」などという言葉は要注意だ。

 先の戦争はもちろんのこと、原発計画も沖縄の基地も国益の名の下であったことだけいえば十分だろう。そんなことを考えさせられた映画だった。  

ただの酒屋よ!

金曜日, 8月 17th, 2012

 ちょっと少し黙っていてくれないか―。オリンピックの男子サッカーの試合を見ていて、実況中継があまりに能弁なので、思わず口に出してしまった。サッカーに限らず、とにかく競技の最中にアナウンサーは、ひっきりなしに話している。

 競技の内容を追って、ときどき選手のバックグランドなどを織り込むのならいいが、中継を盛り上げたいのか、感情的な言葉や精神論をゲームの進行中にあれこれ言われると鬱陶しい。

「下を向いているときではありません」とか「ようやく見えてきたメダルに向かって・・・」といったようなことを延々と話している。 

 テレビをはじめマスコミの宿命なのか、とにかく盛り上げようという意図が強すぎはしないか。仕掛けたい気持ちはわかるが、みんながほんとうはそれほど感動したり盛り上がっていないのに、過剰に盛りたてるのは痛々しい。アンデルセン童話の「裸の王様」のようだ。ほとんどの人が嘘だとわかっていても煽動者にうまくのせられ、真実を口に出せない。

 そんな作られた感動の嘘くささに見事に冷や水を浴びせた例を最近テレビで見て、痛快だった。演出=フィクションを砕く事実=ノンフィクションの心地よさといってもいい。それはあるニュース番組で取り上げられた宅配酒屋チェーンの「カクヤス」についてレポートのなかにあった。

 24時間、缶ビール一本から配達するというカクヤスの店舗なかで、ゲイバーが多く深夜までににぎわう新宿二丁目の実情を番組は伝えていた。配達の若い男性がちょっとバーでからかわれたりするといったお話やバーの“ママ”のコメントも紹介されていて、いかにこの地域でカクヤスが重宝されているかがわかった。

 そしてレポートの最後で、別のゲイバーのママを訪ねたレポーターがママにマイクを向けた。話題の酒屋チェーンがなるほど人気がある、ということを再度視聴者に知らせ、盛り上げて番組をしめようとして尋ねたのだろう。

「あなたにとって、カクヤスさんとはどんな存在ですか」。確かそんなことをきいた。するとママである彼は、一瞬「ン?」という感じで間を置いてちょっとぶっきらぼうにこう言った。
「ただの酒屋よ」

 これには笑った。だからこの手のママはいい。こちらの勝手な想像だが、いろいろな偏見にさらされても自分のスタイルを通してきた者が持つ、体制に媚びない率直さがあるからこういう言い方ができるのだろう。
 あえて尋ねる側の期待をはずしてシニカルに構えることの“受けねらい”もあるだろうが、相手に迎合して本意でもない答えをしない、本音の気持ちよさがある。

 レポーターとしては「(カクヤスは)水や空気と同じ、なくてはならない存在よ!」とでも、期待したのだろうか。でも冷静に考えれば、互いに商売。「ただの酒屋」である。この言葉、「うちもただのゲイバー」という、奥に自負を秘めた謙虚な姿勢もうかがい知るからまたいいのだ。(川井龍介)
 

三河島から行旅死亡人へ

木曜日, 8月 2nd, 2012

 月に一度、友人であるジャーナリストのH氏とぶらり飲み歩いている。この2人の飲み会にはちょっとしたコンセプトがあって、これまで行ったことがないようなところを事前情報を得ずに訪ね、行き当たりばったりで2,3件暖簾をくぐるということだ。
 街歩きをかねて、「ここのぞいてみる?」といった感じで店とは初対面の新鮮さを味わう。ひとりでは間が持てないような店も2人ならなんとかなるし、常連さんの、品定めをするような視線にも堪えられる。

 これまで門前仲町を皮切りに、人形町、戸越銀座、合羽橋、野方、赤羽、野毛(横浜)をぶらり飲み歩き、つい最近は三河島を“攻略”してみた。常磐線で日暮里から一つ目。私もH氏も初めて下車する駅だった。
 あとでわかったことだったが、ここには古いコリアンコミュニティーがあって、路地に入っていくと、下町らしい総菜や食料品を扱う小さな商店にまじって、「焼き肉」がちらほら目に入る。

 これらとは別で、「やきとん」と書かれた暖簾のかかる見るからに時代を感じさせる店に入った。煙がしみこんだような煤けた店内はカウンターのみ。仕事帰りの勤め人風の客もいるが、みたとこ近所のなじみ客がほとんどのようだ。風呂上がりでやってきたような中年カップルもいる。

 焼酎の一升瓶が水槽のなかで冷やされている。チューハイを頼むと、ちょっとむずかしい表情の老年の店主がそのビンを取り上げて、氷の入らないがレモンのエキス?を垂らしたジョッキ風のグラスを差し出す。
 1本70円からの焼き物数種と冷や奴、トマトを頼む。夜7時ごろ。すでに席はいっぱい。2人で2500円ほどを払い外へ出た。「いやー、正解だったね」と顔を見合わせ、再びぶらり歩き始める。

 小腹がすいたので小さな中華料理屋へ入る。まだ始めて間もないという中国人経営の店で酢豚やチャーハンを食べ、その後は「女性ひとりでもどうぞ」などと書かれたスナックのようなところでカラオケに興じた。

 そうしているうちに店内の常連さんと会話がはじまり、三河島の鉄道事故に話が及んだ。三河島といえば鉄道事故という記憶はあったが、改めて調べてみると大惨事だったと教えられた。いわゆる三河島事故(みかわしまじこ)とは、1962年(昭和37年)5月3日夜、当時の国鉄常磐線三河島駅構内で発生した多重衝突事故で、死者は160人も。

 犠牲者を悼んで近くの寺には聖観音像なるものが建てられた。また、この犠牲者のなかにたった一人だけ身元不明の男性の遺体があり、駅近くの寺に行旅死亡人として葬られたそうだ。なにかの用事で関係する列車に乗っていたのだろう。

 ところでこの 行旅死亡人とは、身元不明で遺体の引き取り手もない死者のことをいう。昔なら旅の途中で行き倒れて身元が判明しないような人だ。この行旅死亡人が日本では年間で1000人ほどいるとどこかで読んだが、不幸にして亡くなるだけでなく、その身元もわからず葬られるというのは、人の最期としてなんとも寂しい。

 だがその一方で、家出人の捜索願は毎年10万件ほどあるという。これらがすべて永遠の行方不明者ではないだろうが、かなりの数の人間が、自らの意志で過去を捨てていると推測できる。身元が判明されることを拒否しているともいえる。
 とはいっても最後まで身近な人に身元を知られることなく、あるいは知らせることなくこの世を去っていくのはむずかしいかもしれない。いずれにしても自分の意志で過去を捨てたのであれば、知られずに逝くことも必ずしも不本意ではないのだろう。

 問題は、そんなつもりはなくても、名無しのままに葬られるケースだ。三河島へ行った翌週都内は猛暑となった。私は炎天下、品川界隈を歩いていて、あるホームレスと見られる人に出会い衝撃を受けた。

 男性と思われるその人は、もはや着ているものも服の体をなさない、真っ黒いボロ雑巾のようなものをまとい顔も見えなかった。動いていなければ人とは思わなかったかもしれない。
 この暑さのなかをどうやりすごすのか。ふと“行旅死亡人”という言葉が頭に浮かんだ。(川井龍介)