Archive for 10月, 2012

屈辱的な事件に怒りはないか

火曜日, 10月 23rd, 2012

  オスプレイ問題にひきつづきとんでもないことがまた沖縄で起きた。若い二人の米軍兵による日本人女性への強姦致傷事件だ。あるテレビの報道番組が、容疑者の一人の故郷テキサスを訪ね、彼の友人へインタビューをした。
 友人は、容疑者は女性に対してそんなことをする男ではなかったと、容疑者がもともと健全な人格であったことを語った。
 もしその通りなら、彼は軍人になったことが原因で女性を襲うような人間になったのか。それとも、沖縄という異国の基地のまちで、相手が日本人女性だったからたいした罪の意識なく犯行に及んだのか。
 軍人という身分が保護されていると意識していたのか。故郷のアメリカ人の白人女性に対してだったらそんな卑劣なことはしなかったのか。

 いずれにしても、彼らがこれまである程度普通の人間だったなら、これまで米軍兵が引き起こした沖縄での数々の事件とそれに対する沖縄の人の気持ちなどほとんど意識になかったことは容易に想像がつく。
 アメリカは事件について綱紀粛正を強めるというが、根本的解決策としては米軍の大規模な縮小か撤退以外にありえないだろう。それでも事件後ルース駐日米大使は「私にも25歳になる娘がいる、個人的なものとして、多くの人がこの事件に対して抱く怒りを理解している」と、声を詰まらせコメントした。

 また、沖縄県の仲井真知事は「正気の沙汰とは思えない」と、怒りと悲しみの表情を浮かべた。それに対して、野田首相はまず最初に記者に感想を聞かれてなんといったかといえば、「あってはならないこと」だった。
 同胞が屈辱的な乱暴を受けて、こんな紋切り型の言葉しか最初に出てこないのだろうか。気持ちの問題だ。

 この言葉からだけでなく、震災の被災者、拉致被害者、そして沖縄の人たちという生身の人間としての国民の怒りや悲しみを共有して、守っていこうという気持ちが政治家から感じられない。だが、それは政治家からだけでなく国民全体からもあまり感じられない。
 国の安全保障のために、日本のエネルギーの安定供給・経済成長のために・・・。その大義(実際は一部の集団の利益やイデオロギーのカモフラージュでもある)の下に結果として蹂躙されてきた個人としての国民の生活のなんと多いことか。
 沖縄については、この際せめて日本全国の学校教育の現場で沖縄の歴史を必修として、生徒が学ぶようにしたらどうだろうか。 

沖縄の実態を想像しよう

月曜日, 10月 15th, 2012

  私の家は、三階建てのマンションの駐車場と細い道路を挟んで接している。ここは袋小路なので、マンションに用のある宅配便などは、この駐車場でUターンして出入りする。 小刻みな時間帯で、荷物などを授受できることで、ずいぶん便利になったと思うが、その一方で頻繁に出入りする自動車の音が気になる。はっきりいってうるさいと感じることもしばしばだ。 

 音の問題は個人差はあるが、一度でも飛行機の離着陸する基地のそばに行ったことがある人なら、その騒音は耐え難いものだと身に染みるだろう。日本中のこうした基地、とくに沖縄の普天間周辺の人は、この騒音と日々つきあい、万一事故が起きたらどうしようという精神的な不安と緊張感を抱えてきた。

 いままでさんざんそういう思いをしてきたから、オスプレイの配備についても拒否反応を示すのは当然だろう。特定の軍備についての安全性という問題ではない。戦時中から沖縄が本土の防波堤と位置付けられ、地元では日本軍からも同じ日本人とは別の扱いを受けた記憶をもつ人は少なくない。

 さらに戦後の占領下はもとより、返還後も基地がある事によって起きた米軍兵による犯罪の被害を受け、なおかつ公正な処罰が受け入れられなかったという多くの事実があるのはいうまでもない。
 そういう歴史のなかで、アメリカの要求するままに沖縄に負担が増えるという危惧を及ぼす政策が繰り返されることにがまんがならないという気持ちは、沖縄以外の人でも歴史を知り、現地のことを想像してみれば容易に理解できることだろう。これはイデオロギーでも、政治的な問題ではない。
 
 その深い苛立ちを押し切って先日配備されたオスプレイは、さっそく沖縄で住宅地の上空を飛行した。とんでもない話だ。オスプレイの安全確保策を協議した日米合同委員会は「運用上必要な場合を除き米軍施設・区域内のみで垂直離着陸モードで飛行し、転換モードの飛行時間はできる限り限定する」と合意しているのに、もうこれに反している。

 さらにひどいのは、この合意違反に対する玄葉光一郎外相のコメントだ。彼は、10月5日の閣議後の会見で「沖縄に懸念の声があるので、よく守ってほしいと(米側に)伝えた。これから事例を集めてフォローしなければならない」という。
 まるで他人事のような言い方ではないか。これじゃ沖縄の人が怒るのも無理はない。あれだけ問題になっていながら安全性以前の、普通の約束事すら守られず、それを知っても地元の怒りすら代弁できないのである。

 自分の住んでいるまちや故郷が長年にわたって同じような扱いを受けたら、きっと沖縄でオスプレイ配備に反対する人の気持ちがわかるだろう。国益のために仕方ないなどという論が沖縄の基地問題についてはよく展開されるが、長年にわたって同じ国民の平穏な生活をこれほど犠牲にして成り立つ国益とはなんなのか。 

 そういう安易な国益論が、これまで反対者に“地域エゴ”というレッテルを貼ってきた。あるいは生活者からの発想を、イデオロギー的な信条とみなすことで封じ込めようとしてきた。
 本当の地域エゴというのは、安全とわかっている震災の瓦礫を受け入れようとしない市民や、自分のところには基地の受け入れを拒否するくせに、沖縄の基地負担を仕方ないと考えることだ。
 沖縄をめぐってはいま独立論が話題になっているという。日本の国の沖縄に対する扱いが植民地を扱うようなものに似ているからである。  

TSUNAMI と津波

月曜日, 10月 8th, 2012

  昨年の大震災のあと「TSUNAMI」という歌はとても人前で歌える雰囲気にはなかったし、歌う気分にもならなかった。もちろん歌に罪はないし、歌詞も津波そのものとは関係ない。

 しかし津波によって失われた命の数と遺族の胸を引き裂かれるような気持ちを考えれば、歌という一種のエンターテインメントのなかで聴かされるのは、なんらかの抵抗を感じるのは当然のことだろう。

 2000年にリリースされたサザンオールスターズのヒット曲「TSUNAMI」は、切ないバラードを得意とする桑田佳祐の作品のなかでも、「真夏の果実」と並ぶ秀作だ。切なさ、侘びしさを叫び、やがて諦めのように消えて行く。哀しく美しい曲だ。

 この「TSUNAMI」をテレビやラジオで聴くことになるには、どのくらいかかるのだろうかと、震災直後に思ったことがある。それが今晩たまたまテレビで外国人が日本語のヒット曲を歌い競う番組を見ていたら、アメリカの20歳の男性がこの「TSUNAMI」を歌って優勝した。

 番組を通して見て、彼だけではなく日本語の曲をこんなに愛好して、上手に歌う外国人がいかにたくさんいるのかと驚くばかりだったが、「TSUNAMI」が歌われたのにも驚いた。というのは、番組のなかで先にサザンの別の曲も歌われたので、私は「もし誰かがサザンのTSUNAMIを選曲したら、テレビ局は“待った”をかけるかもしれないな」と思ったりした。
 ところが最後に「TSUNAMI」がすらりと歌われたので、その果敢な挑戦に「おー」と感心したのだった。

 日本人だったらタブー視したり、遠慮していたことを、外国人がさらりと言ったり、行動したりすることはときどきある。時にそれは顰蹙を買うこともあるが、因襲に風穴を開けてくれる役割も果たす。

 津波による惨事を知らないわけはないこの日本ファンの若者が、TSUNAMI(津波)という言葉に、どれほどのことを感じていたのかわからない。だが、彼の熱唱はこの歌の魅力を再び教えてくれた。封印を解いたかのようでもあった。
 
 震災に遭った地方でもこのゴールデンタイムの番組を見ていた人は多かったろう。その人たちはアメリカ人の若者が、素晴らしい歌声と感覚で披露したこのバラードを聴いてどう思っただろうか。