Archive for 1月, 2013

最後の年賀状

金曜日, 1月 18th, 2013

 この正月にいただいた年賀状をみると、表の宛名ほほとんど印刷された文字で、手書きものは数えるほどだった。手書きの文字はそれぞれ癖があり、差出人の名前を見る前に、「この美しい筆跡は・・・」とか「ミミズののたくったような字はたしか○○だ」などと、時に懐かしさを感じたものだった。

 風貌や体型はかなりかわっても、筆跡というのはそれほど変わらないものだ。手書きの文字はきれいだろうが下手くそだろうが、人間的な息づかいと人となりが伝わってくる。それを思い出すから、逆に印刷された文字はなんとも味気なくみえる。
 裏面の挨拶もたいていは印刷だ。ひと言でも手書きの文字があれば、温かみもあるのだが、すべて印刷文字となれば、差出人と個人的に向き合った気がしない。こうして賀状はますます形式化していくのだろう。
 
 手書きで私の住所と名前が記されてた賀状のなかに、これまでいただいた賀状にはなかった文面をみつけて少々はっとした。それは、この賀状が最後になるという挨拶を兼ねた一文だった。
「つきましては誠に勝手乍ら、以後年賀状の儀、失礼させていただきたく、よろしくお願い申し上げます」とあった。
 差出人のAさんは今年84歳。7回目の干支の巳年を迎え、どうやら高齢を理由に賀状の挨拶はこれを最後にし、転居など今後の通知も遠慮したいということだった。

 高齢になれば人付き合いなど鬱陶しくなることはよく聞くし、まだ50代の自分もその気持ちは多少理解できる。しかし私がこの賀状にはっとしたのは、Aさんのこれまでの生き方を知っていたので、文面から潔さのようなものを感じたからだった。
 Aさんは会社をリタイアすると、妻とともにヨーロッパに居を構え、そこを拠点に数年かけて大好きな美術鑑賞のための旅をした。名作の本物をその目で確かめ味わってきた。目的を達成したのちは、この間他人に貸していた都内のマンションに戻り、趣味をみつけて静かに暮らしてきた。

 子供はいるが、成人したら自分で暮らしなさいと自立させた一方、老後はできるだけ子供たちの世話にならないようさまざまな面で段取りをしてきた。日本の葬儀の形式的な面を嫌い、自分が死んでも葬儀はしない。生前の意思として万一の時についても「尊厳死」を選び、亡くなった後の実務的なことまで、処理してもらうよう契約をしてある。
 その流れからすれば、高齢になり自分の意思がはっきりすしているうちに、「これにて年賀状の儀は最後とする」という決断をしたのだろう。
 
 ある年になって、事情があって賀状が出せなくなったり出すのが面倒になったところで、だれに迷惑をかけるわけではない。しかし、賀状をもらえばやはり礼儀として返事を出さないわけにはいかない。また、事情を知らずにAさんに賀状を出してしまう友人、知人のことを考えると申し訳ないという気持ちもあるのだろう。
 Aさんは、最後の年賀状のなかで、あれもこれもみなさまのおかげです、と感謝の言葉を述べている。

 人は自分の寿命はわからないし、将来など予測もできない。だから、流れに身を任せていくという生き方もある。しかしAさんは、できる限りある種の方針をもって、さまざまな場面に対処してきた。言い方を替えれば、意志を持って「決める人生」を貫いてきた。
 だからこれにて賀状を最後にすることを決めたのである。もう賀状をいただけないかと思うとさびしい気はするが、新年早々、清々しさをいただいたと思うことにした。

世界三大“当たり前”ー 元旦の海と病院

水曜日, 1月 2nd, 2013

 元旦の湘南海岸は穏やかで、適度なサイズの波に“初乗り”するサーファーたちが集まった。空気は澄み富士山もくっきりと青空に映えた。私は自転車で茅ヶ崎海岸を江ノ島の方に向かい、ヘッドランドといわれる広い浜に下りた。陽の光が粒のように反射する海面に浮かび、波をとらえて滑るサーファーたちを眼を細めてしばし眺めていた。
 こういう瞬間だけは気が休まる。「やっぱり海はいいね、自然はいいな」と、まったく“ベタな”な言葉が浮かんでくる。

 家に戻り、「のんびりとしたいい正月だ」などと家人にいいながら、ふと、元日でも働いている人はたくさんいるし、さらに、病院で正月を過ごす人もかなりいるんだろうなと、この気分を味わえない人たちに同情した。
 そんなことを思ったからではないだろうが、夕方になってとんでもないことが起きた。車で小一時間ほど離れた所に住む母親がなんと入院することになってしまった。80歳を過ぎている母親は年末に、やたらと眠りはじめ、おかしいことを言うようになったという。

 近頃物忘れが激しくなり、コミュニケーションもややうまくとれないことがあったし、認知症の疑いをもっていたので、それが形を変えて表に出たのか、と最初は思った。しかし、少し頭が痛いといっていたこともあったので、心配になり病院に連れて行くと、「CTを撮った方がいいでしょう」ということになり別の大きな病院へ。
 結果は、脳内で出血していることがわかり即入院、集中治療室に入った。一時はどうなることかと思ったが、一夜明けて幸い容態は安定し、会話もできるし体の麻痺などもないようだったのでまずは安心したが予断を許さない状況にはある。

 母親は、元旦の午前中もほとんど眠っていたので、せっかく用意したおせち料理も食べないまま、入院。しばらくして「お腹がすいた」といい、翌日の朝も出された食事に、「これしかないの?」とがっかりしていたようだが、まだ“食い意地”が正常に残っているところでこれも一安心ではあった。
 おそらく本人にとっては、出産以外では初めての入院で、それも元旦ということで「なんでこんなことになったのか」と、訳がわからず混乱したようでもあった。

 昨年は、親しい友人、知人が4人入院して、手術を受けた。私は暮れに胃と大腸の内視鏡の検査を受けた。ひょっとするとどこか悪くて、自分も手術なんて事になるのかもしれない。そんな心配もしていたが結果は大きな異常はなく、少し安心して年を越したが、こういう形で元旦から“入院”が身近なものになってくるとは・・・。まったく人生は予想外な事がいつも起きる。

 二日の天気は晴れたが、一転して南風が砂浜を巻き上げるほど吹いた。一方、母親の容態は安定した。「自然の美しさ」、「健康の大切さ」、そして「世の中何が起きるかわからない」という、世界の“三大当たり前”をしみじみ感じた年の初めであった。