Archive for 3月, 2013

万年筆と身上申告書

土曜日, 3月 16th, 2013

 筆記用具をなかなか捨てられない。赤や黒のボールペン、赤鉛筆、普通の鉛筆、シャープペンシルにサインペン・・・。わが家では整理棚や小物入れの中にまとめてしまってある。 仕事柄ずいぶんと彼らにはお世話になった。だからなかなか捨てられない。文字を「書く」ことが少なくなりキーボードで打ち込むのが大半になったいまもだ。一番使わないのにとくに捨てられないのが万年筆だ。

 大事にしていていたわけではないが、高校か大学時代に父親にもらったもので、パーカーというブランド品だったのでとっておいた。当時でいえば“舶来の品物”だ。細かい格子模様でいぶし銀の色艶だが、本来はもっときれいな銀色だったのかもしれない。それほど外見はみすぼらしくなってしまった。

 しかし、本体を握ってみると、細身の割にずっしりと重く金属のいい質感が伝わってくる。急にこれで文字を書いてみたくなった。文具屋に行くと、かつて使っていたパーカーのブルー・ブラックのインクカートリッジはまだ売っていた。5本で500円余。

 このペンにインクが通るのは30年ぶりくらいになる。果たしてペン先は傷んでいないか、心配しながらカートリッジを差し替えてしばらくしてノートにペン先を滑らせると、これがなかなかなめらかに走る。多少太めなところは変わりなく、男性的な味わいの文字になる。
 以来、気をよくして机の上でノートに書くときは、ボールペンの代わりにしばしばこの万年筆を使っている。古いオーディオ機器などと同じように、捨てられずにとっておいたものが再び役に立つというのはうれしいものだ。
                 ※
 大正生まれの父親が亡くなってもう20年近くたつ。父の書く字が、なんとなく自分の字と形が似ていることにある時気がついた。自分と似た筆跡も手がかりとなって、父の若いころのことで、知らなかったことが最近わかった。
 父が十代で満州の新京にある商業学校へ行き、そののち徴兵されて再び満州に趣き、最後は朝鮮の平壌にいたことは昔聞かされていた。しかし、戦時中でそれ以外のことは知らなかった。戦争に関わる古くさいことなど、高度経済成長期の子供だった私にはなんの興味もなかったし、父の方もそういう相手に話す気にもならなかったのだろう。

 恥ずかしながら最近になって、戦時中の父のことを調べてみようと思いたった。歳のせいかもしれない。兵籍について県の地域保健福祉部生活援護課というところに問いあせたところ「身上申告書」なる書類のコピーが送られてきた。兵役についていた者の引き揚げ時の記録だ。
 そこで初めて私は、父が所属していた部隊や配属先、そして終戦の翌年、仁川を出て博多港に上陸したことを知った。記録は1枚の紙に手書きで記されていた。よくみると父が自分で書いたとものに違いなかった。筆跡に見覚えがある。
 私が誕生する10年ほど前のこと、当時23歳だった父が書いた文字は、56歳になったいまの私が、パーカーで記す文字とどこか似ていた。

長い老後とバカンス

金曜日, 3月 8th, 2013

 ちかごろ80代の人が珍しくなった。90歳を超える人もちらほらみかける。親戚でも94歳の伯母がいるが、この人はマンションで一人暮らしをしている。人の悪口ばかりいっているのが元気の秘訣のようで、頭と口はまだまだよく回るからたいしたものだ。

「あたしは、老人ホームなんて絶対いやだね」と、よく言っている。団体生活にはなじめないだろうし、若いころから美容師で、一人で美容院を切り盛りしてきた働く女性だったので自立心も人一倍強い。
 おとなしくて静かなお年寄りを期待されるようなホームはまっぴらごめんというわけだ。
 
 確かに日本の老人ホームは、かつてとずいぶん変わったとはいえ、まだまだお年寄りを子ども扱いしているところがある。
「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれて当たり前だと思っている人は多いだろうが、「○○さん」と、名前で呼んでくれと言いたい人もいるはずだ。

 先日ある特別養護老人ホームに行ったら、くだけた人間関係を出そうとしているのか、「~でいいじゃねぇか」といった言葉遣いを男性職員がしていた。耳も遠くなっている人が多いとはいえ、聞いていて気持ちのいいものではなかった。
 まだできて間もないホームで、内装も無垢の木を使ったりして温かみを出そうとしている。しかし、どうもホームの内部の雰囲気は殺風景だ。ホームは入所者にとってはおそらく“終の住処”だ。それは自分のホーム(家)であるはずだ。病院とは違うし、リハビリをするための施設でもない。

「特養」の絶対的な不足を補うように雨後の竹の子のようにいま有料老人ホームができている。こぎれいなこうしたホームですら、豪華かどうかは別にして、“アットホーム”な感じを受けない。
 本気で“ホーム”を演出する力と、それを支える確たる思想がないからだろう。どうやって人生の最後の場所を居心地よく作り上げるのか、高齢者への福祉とはどうあるべきかを考え尽くしているのか、といった疑問が出てしまう。

 

 函館で「旭ヶ丘の家」という老人ホームをつくった、フランス人神父のフィリップ・グロードさんは、「老後はバカンスだ、ホームは老人にとってバカンスを過ごす所です」と宣言し、“大人のホーム”を完成させた。
 昨年のクリスマスの日、グロードさんは85歳で亡くなった。十数年前何度かそこを訪ね神父さんに話をきいた。

 寿命が延びると同時に、多かれ少なかれ障害をもって長い老後を過ごさなくてはいけない。心身ともに衰えていく中で、最後の居場所はどんなところになるのだろうか。

 (参考)「老いはバカンス ホームは休暇村―グロードさんと旭ヶ岡の家」(旬報社)