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2013年青森の夏、あれから15年

木曜日, 7月 25th, 2013

 長い間、県内2強と言われてきた、八戸学院光星と青森山田がともに敗れ、弘前学院聖愛が甲子園へ初出場を決めたこの夏の全国高校野球選手権記念権青森大会。今回もまた私は、トーナメントのなかで木造高校深浦校舎の試合を観戦してきた。
 
 第95回になる今夏は、減少傾向にあった参加チーム数が70を切った。この先も学校の統廃合や生徒数の減少で、野球部の数は少なくなっていくとみられる。そのなかで、木造高校深浦校舎は、なんとか部員数を維持し、今大会も出場した。

  
 昨年度は地元の中学の卒業生の数が非常に少ないこともあって、この春の新入生は17人。そのうち男子はたった4人。しかし、そのうち3人が野球部に入り、部員数はなんとか10人になった。
 これだけでも驚きだが、さらにサッカー部も存続して人数をそろえている。そして地域の大会では勝つこともあるというのだ。女子陸上では競歩で黄金崎夏未さんが東北大会に出場し6位入賞の快挙を果たした。
 このほか、女子バドミントン、男女卓球も善戦している。その意味では、野球部は注目度は高いのだが、この春の地区の大会では勝利はなかった。

 もう少し、学校について記録しておこう。今年度(2013年度)の全校生徒数は71人(男27、女44)で、1年生17人(男4、女13)、2年生28人(男12、女16)、3年生26人(男11、女15)。各学年1クラスだ。 
 私が10年以上前に取材した頃は、普通科と商業科それぞれ一クラスずつあり、全校生徒も200人くらいだった。

 一方、現在の教職員は、現場のトップである教頭をはじめ、実際に生徒の学習の指導にあたるのは教諭が5人(男4、女1)、臨時講師が5人(男3、女2)、臨時養護助教諭が1人(女)、臨時実習助手1人(男)となっている。かなりの割合を“臨時”の先生に頼っているのが現状である。
 臨時職員の加重な登用、僻地校と都市部の学校における職員配置の内容の差。弱い立場の臨時職員と僻地校から大きな声が上がらないのをいいことに、改善策をとらない、というより、あえて臨時職員と僻地校を、問題吸収の緩衝材として利用しているとさえ思える策をとりつづける県教委の姿勢はいずれ問われることになるだろう。
 
 つぎに、生徒の進路についてみてみよう。この春の卒業生のうち、大学に進んだのは2人、短大2人、専門学校5人、就職では公務員1人、民間では県外5人、県内5人となっている。

 こうしてみても本当に小さな学校である。さて、前置きが長くなったが今年の戦いぶりを振り返ってみる。

                バットはかなり振れていたが・・・

 何より戦力の低いチームにあっては組み合わせが非常に重要だが、珍しいことに今年は昨年同様、県立の浪岡高校と対戦することになった。昨年は善戦しながらも敗北。今年も戦前の予想では厳しい戦いが予想された。

 雨のため2日試合が伸びて、7月13日ようやく弘前の運動公園内にある球場で午前11時43分、ゲームが始まった。夏らしい雲が南の空に立ち上り陽射しはかなり強い。
 深浦は1年生が3人、2年生が4人、3年生が3人の計10人。1,2年生バッテリーが先発だ。
 先攻の深浦はさい先よく、いきなり先頭打者の中村がセンター前安打で出塁。これをしっかり送れなかったが、3番島川がレフト前に安打、1死1,2塁として4番阪崎がセンターオーバーを放ち1点を先取した。

 

 その裏、浪岡は四球やバント、盗塁にエラーもからんであっさり追いつき、さらに安打で逆転した。2回裏にも3点を加え、深浦は5-1と引き離された。しかし深浦も3回、四球に2安打で1点を追加した。

 この日は当初の試合予定が変わったため、学校からの応援は自主応援となり、主に1,3年生と職員などが用意された大型バスに乗り込んでやってきた。ブラスバンドはないし、組織的な応援もできなかったが、決して打ち負けしているという感じのない自チームに明るい声援を送っていた。
 独自に応援に来たOBやかつて子供が深浦の野球部にいた地元の人たちなど、30人ほども一塁側スタンドに詰めかけた。

  
 3回表を終え5-2と詰め寄った。しかし、そのあと先発の島川が四球と安打で安定感を欠き、2年生の阪崎と交代。この阪崎も四球で崩れ結局3,4,5回に加点され、5回の裏を終えて12-2と、10点差がついたため大会規定でコールドゲームとなり、深浦の負けが決まった。

 試合終了後、新聞社などの簡単な取材を受け、ひといきつくとナインは球場の外の大きな木の下に道具や荷物を置いて集合した。日影に心地よい風が吹いてくる。悔し涙を流していたのは半数くらいだろうか。

 監督が総括をして、つぎにみんながひと言ずつ話をした。意外にかつてにくらべるとかなり言葉が多くなっているような気がした。3年生からのひと言では、後輩たちに、あれこれと期待と注文も述べながら最後の挨拶をする生徒もいて、聞くものは神妙な顔つきだった。

 部員の数からすれば、まさに土俵際の戦いを強いられているこの学校の運動部は、なにより部員の確保が課題だ。3年が抜ける秋の大会は、サッカー部あたりから助っ人を頼んで大会に出ることになるだろう。
 厳しいなかの朗報は、今年の地元深浦中学では、この春より卒業生はぐっと増え野球部に入る生徒もかなり期待できるという。これで来年度の計画もたてることができそうだ。しかし、薄氷を踏む思いというか綱渡りというか、喩えは適当でないかもしれないが、毎月何とか不渡りを出さずにやりくりしていく苦しい零細企業のようでもある。

 今年は122対0の記録的な試合が行われた1998年の夏から15年目にあたる。98年は横浜高校の松坂大輔や鹿児島実業の杉内俊哉が甲子園で戦った、印象的な夏だった。
 この時、青森代表は八戸工大一で、1回戦で鹿児島実業とあたり杉内にノーヒットノーランをくらった。その杉内は、2回戦で松坂大輔らを擁する横浜と対戦し、松坂に本塁打を浴びるなどして6失点で敗退した。

 あのとき、徹底的に打ちのめされた深浦ナインの一年生もいまでは30歳になる。彼らの後輩の戦いは、また来年もつづきそうだ。  

欲望と自由の果ての肥満

土曜日, 7月 13th, 2013

 なんでアメリカにはこんなにデブばかり多いんだろう。ずいぶんまえから思っていたが近年さらに進行しているのではないか。
 空港のロビーで目の前を行く人を目で追ってみた。
 デブ、普通、デブ、すごいデブ、普通、普通、普通、デブ・・・。だいたいこんな感じだ。体型など、人をみてくれで判断し偏見をもってはいけないのは重々承知だ。しかしこれだけ肥満が増えると、それを生む社会の問題として考える必要がある。
 
 子供にまで肥満化が蔓延しているのは明かな国民的健康上の危機だ。太っていることを表す英語には、一般によく使われるfat のほかに丸々とぽっちゃりしたという意味のchubby、そしてでっぷりとして肥満であることを意味するobese(オビース)などがある。
 これでいうと、オビースがまれではなくなっている。性別、人種、年齢を問わず太っている。世の中、異常なものが多くなれば、これがスタンダードになってくるから恐ろしい。
 その恐ろしさの原因は、レストランに行けば明らかだ。とにかくまず量が多い。加えてフライものや肉類が目立つし、甘いものでも「ジャバニーズラージ」が「アメリカンスモール」だ。

                

 食べる量(エネルギー)と、消費される量を差し引きすれば、残る量が多くなりそれがたまっていき、贅肉などになっていることが単純に計算されると思う。
 だから、わかっていて、食欲を抑えられないか、別に抑える必要がないと思っていることの証だろう。体が重く肉がたまってもいい、食べたいものは食べるという欲望を優先しているのだ。

 ところで、欲望を抑えないという点では、食欲にかぎったことではなく、なにかをやりたいという欲望についてアメリカという社会は積極的に認めている。それは「欲望」という概念が、言い換えれば「自由」でもあるからだ。
 欲望=自由を求めることは正義であり、その反対の「禁欲」はあまり理解され尊重されることはない。控えめであることは美徳になりにくい。そういう人を決して悪くはいわないが、そんなことしたら損をするという風潮が社会にある。
 食いたいものをとくかく腹いっぱい食い、いいたいことをいい、やりたいことをやる。自由の謳歌だ。しかし、むずかしいのは人は自由を完全にマネジメントできない。すべて自由にしていいといわれたらどうなるだろう・・・。

 また、アメリカの「食」についていえば、自由に食べているようで、フード産業の提供する圧倒的な力に、実は食い物にされているところがある。小学校で甘いソフトドリンクなどを止められない理由はそこにある。ビジネスもまた限りなく自由だ。
  
 自由だと思って欲を追究していっているようで、実はもっと大きな自由を求める力が差し出す限られた選択肢のなかで、得られる自由の極大化が肥満なのかもしれない。太っているのか太らされているのか。よく考えると恐ろしくもある。
 こういう仕組みの社会をもつアメリカという国が牽引する、さまざまなグローバルスタンダードに、われわれがついていこうとしていることに大いなる疑問がわく。