Archive for 4月, 2020

コロナ禍でもカジノを進める横浜市。そんな場合か。

土曜日, 4月 11th, 2020

 ギャンブル依存症、港湾・文化都市横浜にふさわしくない、など様々理由で市民から批判を受け、嫌悪の情を抱かれている横浜市のIR(カジノを含む統合型リゾート)誘致計画が、新型コロナウイルス対策に追われるなか進められようとしている。ウイルスの問題は将来も起こりえることを考えれば、穏やかな港湾環境のなかに飲食や享楽で人を集中させる施設を作り出すことの問題を、考えざるを得ない。

 それにもかかわらず、国による認定スケジュールに合わせようと、予定通り計画を進める林文子市長の責任は問われる。オリンピックの開催問題を優先させ、ウイルス対策に後れを取ったともみられる今回の国の姿勢から学ぶところはあるはずだ。林市長が、IRの誘致を将来の財政の危機、経済効果を鑑みて実現するのだと訴えるのであれば、その「危機と効果」と、IRを作らないことのメリットを具体的に比較して、市民に説明し、幅広い了解を得たうえですすめるべきものを、これまでは反対を押し切って進めている。

 以前、アメリカ東部のカジノの町、アトランティックシティーのカジノを取材したことがある。華やかな(華美で俗悪ともとれる)ネオンサインに彩られた施設と楽し気な内部のカジノだが、入り口あたりで「20ドル貸してくれないか」と、ドローンとした目つきのカジノ・ジャンキーから金をせびられたことがあった。24時間眠らない街は、裏に回るとネズミがはっていた。カジノをすべて否定するわけではない。楽しいところもある。だた、それと引き換えに港・横浜で失われるものがある。それを正直に市民の前に出してゆっくりと議論すべきではないか。市長の在職期間はほどなくすればおわりだが、電飾に施された施設は半永久的に湾岸を占有することになる。

PCR検査充実を阻むのは誰だ

土曜日, 4月 11th, 2020

 PCR検査の充実、拡充を訴える声が、専門家の間でいくつも聞こえてくるのに、なぜ進まないのか疑問だ。山中伸弥氏、本庶佑氏という二人のノーベル賞受賞者をはじめ、徳田安春氏ら著名な医師らもこれを訴えている。

 PCR検査を広げるべきではないという専門家の意見もあるが、その理由として挙げられるのは、1つに、検査は100%信頼できるものではなく、検査で陰性と判断された人が実は陽性の可能性もあるのに、陰性との判断で安心して感染を広げる可能性があるということ。また、だれもが検査を受けられるとなると検査に人が殺到してそこで感染が広がる危険があるということだ。

 最初の問題は、検査の信頼度について説明して、これまで通り慎重な行動をとることを指示すればよいことだ。検査を受けないことで自分は大丈夫だと思って行動している人もいることを考えれば、検査によって陽性の結果がでたことで、本来陽性なのに陰性だと思っていた人の行動を制約できる効果の方がはるかに大きいだろう。2つ目の問題は、ドライブスルー方式など、検査の方法を工夫すれば解決できることだ。つまり、いまのままの検査内容と方法でする限りディメリットはあるかもしれないが、それを変えればはるかにメリットがあるわけだ。

 それにもかかわらず、PCR検査が今日まで遅れてきたのはいったいどこがネック(山中伸弥氏は、律速段階という言葉を使っている)になっているか。厚労省なのか。首相も政府の専門家会議の尾身茂副座長も検査体制の充実を言っている。では、それが実行されないのはなぜなのか。徹底的に指示していないという、指示する側の問題なのか、それともそれを実行する厚労省のなかで、誰かが積極的に阻んでいるのか、あるいは何かの理由で動かないのか。具体的に責任の所在がどこにあるのか、メディアには責任者、担当部署という固有名詞を出して追及してほしい。

 

 

検査をしない合理的な理由があれば

状況報告はもういい 誰が解決策を阻んでいるのか

日曜日, 4月 5th, 2020

 「医療崩壊の危機が迫っています」。テレビの報道番組がいう。医療従事者に感染が広まっているという記事がある。現場の悲鳴に似た声がとどく。なんとかしないといけないという。

 それはもうわかった。対策を講じなければいけない。医療現場へのさまざまな支援を行う必要がある。お金とものとマンパワーだ。これを動かすのは政治、行政だろう。医療現場で働く人の子供のケアを手助けするだけでも役に立つ。

 「いま、早急な対策が求められています」とテレビが言う。いつからだ。そんな報告より必要なのは、なぜ必要な対策が具体的にとられないのか。誰が何がそれを阻んでいるのか。それを突っ込み、暴き出し、告発し、動かす報告にもっていくことがメディアだろう。

 もう現状報告はいい。解決策を阻むものをあぶりだし、現実を動かそう。

 

大衆という裸の王様 コロナが映し出す社会

土曜日, 4月 4th, 2020

 都内に住む知人が、発熱が4日ほどつづいたので、新型コロナウィルスの感染を疑い、都が示したマニュアルに従いコールセンターに電話した。応対した人は、かかりつけの医師に診てもらうようにいった。いないというと、最寄りの診療所へ行くことを勧められた。

 その通りのすると、医師は「なんでうちに来たのか」と訝し気にいい、肺のレントゲンをとり、肺炎ではないと診断した。知人は念のためどこかでPCRの検査をしてほしいというと、私には判断できないと医師は答えた。仕方なく自宅マンションに帰ったが、心配なので再度コールセンターに電話した。応対した人があまりにも不親切だったので、上司にかわってもらうと、丁寧ながらも重症者でないと検査はできないと説明する。体もだるいので知人は、ただ自宅でじっとしていることにした。幸い一人暮らしだったからよかったが、感染の疑いは晴れたわけではないので、部屋からでることができなくなった。

 おそらくこうした人はかなりいるのではないか。この場合、同居する家族がいて、まして家が狭かったり家族が多かったりして接触が避けられないようであれば大変なことになったろう。本当は感染していなくても疑いがあれば身動きがとれなくなる。その一方で、一人暮らしでも人によっては外に出てしまう人、食糧確保のため出ざるをえない人もいるだろう。この人がもし感染者であれば他にうつす可能性はある。いずれの場合でも、PCRが行われていれば避けられることだ。しかし、これができないのが現状だという。

 結果として、感染者の実態を表わすことにならないだけでなく、非感染者の行動を阻害し社会活動を停止させる。しかし、これも 国の方針であえてそうしているのか、またはせざるを得ないというのであれば、せめてその理由と実態を明らかにして、国民に説明をする必要がある。診療所や病院が困惑をあらわにし、患者を惑わすことのないように、医療機関や保健所が統一した理解ができるようにしなくてはまずいだろう。

 どうも、一連の国の対策や方針について、明確な内容がメッセージとして国民に聞こえてこない。困難なときこそ、なにができてなにができないかを明らかにし、そのうえでみんなで課題を共有していく必要がある。それなら、できないことについても納得がいくしあきらめもできる。

 ほんらいならこれは当然国のリーダーの役割であるのはいうまでもない。が、残念ながら今のリーダー安倍首相が語る方針と対策は、マスクを着けて読み上げる原稿でしかない。顔をあげて国民を真正面に見据えて話す力強さはない。ドイツのメルケル首相などとは大違いだと感じている人は多いだろう。

 しかし、怒り嘆いているばかりでは仕方ない。首相がそうできない理由を追及し、その問題点をなんとか除去して前に進む道をさぐりたい。国が何かしてくれるということを待つのでなく、国をうごかす声をあげたい。それができなければ、批判されるべきは首相だけではない、だまってみている国民もまたそうである。メディアも首相や政府、厚労省を批判しても国民は批判しない。それはタブーだからだ。大衆を敵に回すことを大衆で支えられているメディはもっとも恐れる。しかし、あえていえば、大衆こそが「裸の王様」なのだ。