無実の可能性が高い人間を死刑囚にした検察官、裁判官の重罪 1966年からはじまった誤りを 2024年まで放置した責任
金曜日, 1月 3rd, 2025 裁判所は公平に迅速に再審を進めなかった責任をどうとるのか。無罪判決を真摯に受け入れない検察の傲慢さは許されるか。
2024年9月26日、静岡地方裁判所は「袴田事件」の再審の判決で、袴田巌さん(88)に無罪を言い渡した。1966年6月、静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家四人が殺害されたこの事件で、強盗殺人などの容疑で袴田さんが逮捕されてから58年余、死刑判決を受けてから約44年、ようやく無実の訴えが認められた。
なぜ、こんなに時間がかかったのか。真実を見極めるのにこれだけの時間が必要だった、というわけでは全くない。再審に関する法律が未整備なこともあるが、被告の人権を配慮せず、審理に異常ともいえる時間をかけた裁判所の怠慢と、おなじく裁判を長引かせた検察の傲慢な対応がその理由だ。
今回の判決では、有罪の決め手とされた犯行時に使われたとされる5点の衣類は、「犯行着衣ではない」、「5点の衣類を含む3つの証拠は捜査機関によってねつ造された」などとして袴田さんは犯人とは認められないとした。
この事件に関わっていた弁護側やジャーナリストならわかるが、犯行時の着衣の件は、再審前の原裁判からずっと問題になってきたことのひとつである。また、新たな科学的方法により証拠が登場してこれまで未知の真実が解明されたわけでもない。つまり、裁判所がどうこれを判断するかにかかっていたわけで、もっと早い段階で裁判所が無罪判決が出しても妥当だったということだ。
この事件は、当初から袴田さんが無実だという可能性を示す証拠はいくつもあった。また、袴田さんは長時間にわたる過酷な取り調べのなかで犯行を自白するが、裁判開始後は犯行を否定した。つまり「100%黒」という根拠はないのに検察は死刑を求刑し、また、一審の静岡地裁の判決では裁判官三人のうち一人は無罪という心証をもっていたにもかかわらず、結論は死刑だった。いうならば、犯人かどうかは限りなく灰色のまま「多数決」で死刑判決は下されたことになる。
1981年4月再審請求が出されるが、27年も経って棄却が確定、すぐさま第二次再審請求が出され、さらに15年を経て無罪判決が出た。再審の過程をみると、国家権力として身分と生活を保障された検察側と手弁当で闘う弁護側は、立場からして不公平で、かつ検察側は弁護側に証拠を開示せず、それをまた裁判所は認めてきた。階級の違うボクサーが、不公平なレフェリーのもとで闘っているようなものだった。
今回の判決について、畝本直美検事総長は、「承服できないもので、控訴して上級審の判断を仰ぐべき」だとしながら、控訴しないとした。情けないことにその理由は明快ではなく説明になっていないので、識者から批判が出ている。
畝本氏は、事件発生から今日までの取り調べや証拠の問題点など、警察・検察が犯しただろう誤りの可能性を真摯に考慮したとは到底思えない。違法な取り調べで検事が訴えられた事例といい、昨今、次々と明らかになる警察、検察の捜査の問題を謙虚に真摯に受け止めていれば、なおさらのことである。
畝本氏の発言は「他者に厳しく自らに甘い」検察の体質をさらけだし、一人の人間を死の淵に長期にわたり追いやっていたことを、公僕として、そして人間として恥ずかしく思わないのだろうかと言いたくなる。
弁護側は、畝本氏の発言が袴田さんをいまも犯人と考えているに等しいなどとして、名誉毀損にもあたりかねない、と痛烈に批判している。
最後にもう一つ問題をあげておく。畝本氏は、袴田さんを犯人であると立証しようとした理由について、「4人の命が犠牲になった重大事犯につき」とも言っているが、天に唾するとはまさにこのことである。
この事件には犠牲者の被害状況などからして怨恨による、暴力団関係者などの犯行を疑わせるものが当初からあった。しかしそれを追わず、袴田さんだけに容疑を絞り自白を強要し、起訴した警察・検察は、被害者のために真犯人を取り逃がした可能性も十分あるということを肝に銘じるべきだろう。