「人を見たら感染者と思え」的な漠然とした政策にいつまで頼るのか。リスクは具体的に

(川崎「医療生協」新聞4月号、「コロナの風」より)

 ようやく少し前に進んだのでしょうか。感染者の早期発見などのためのPCR検査と疫学調査の拡充のことです。以前このコラムでも触れましたが、多くの科学者、医師などが一年以上前から検査の重要性と日本での検査の遅れに疑問を投げかけてきましたが、なかなか進んできませんでした。
 それが先月、緊急事態宣言を延長する際、菅総理は、感染の早期発見とクラスターの防止のため高齢者施設などでの検査を行うこと、そして市中感染を探知するため無症状者のモニタリング検査を拡大することを明言しました。
 改めて、なぜ検査が必要かを、感染拡大の“場”として懸念されている飲食店の営業状況を通して考えてみます。飲食店の営業時間が長くなると感染者が増える。このことは、状況証拠からなんとなく推測できます。しかし、その理屈は「風が吹けば桶屋が儲かる」とまではいわないまでも、少々説明が必要です。
 あくまで一般論でかつ推論ですが、営業時間が長くなると二つのことが考えられます。一つは、より多くの人間が一定空間のなかで飲み食いすることになる。多くなればその中に感染者のいる確率は高くなる。もう一つは、仮に感染者が一人であっても長時間飲み食いし、会話をすれば、より多くの飛沫がとび他人に感染させる確率は高くなるというわけです。だから営業時間の短縮が求められてきました。
 もちろん感染者がこの中にいなければ、リスクはゼロですが、そんなことは想定されていません。誰だかわからないけれど、どこかに感染者がいるのではないかという前提(恐れ)でみんな対処しています。言い方は悪いですが「人を見たら泥棒と思え」のように「誰もが感染者かもしれない」として対処しなくてはならないのが現状です。飲食店にかかわらず、職場でも店舗でも駅でも、市中では長い間こうした息苦しい空気のなかでみんななんとか対応してきました。
 しかし、これには無理があります。不透明なリスクに対して常に最大限の準備をするのは限界があります。反対にどの程度のリスクなのかがある程度わかれば、対処の仕方も変わり精神的にも余裕ができます。だから、市中における無症状者を検査によって浮かび上がらせリスクを可視化することが必要なのです。
 無作為に行うのは効果はないでしょうが、飲食店が多く感染者が出ている地域などリスクが高いと思われる地点に絞ってPCR検査を定期的に進めることはできたはずで、こうした施策の必要性を多くの識者が提言してきたのです。
 では、諸外国と比べてもなぜできなかったのか。この点については、明らかに厚労省に問題があったことは多方面から指摘されていますが、昨年末出版された「新型コロナの科学」(黒木登志夫著、中公新書)に、特に事実分析をもとに整理されています。癌の研究家で大学学長なども歴任したサイエンスライターでもある著者が、無症状者らへの検査拡大に反対していた厚労省の言い分の問題点を指摘、反論しています。
 漠然とした不安に耐えるのは限界があります。今からでも、無症状者の検査の拡充によって、少しでもリスクを具体的に把握し、国民に提示してほしいものです。(ジャーナリスト 川井龍介)


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