懐かしのチョーロンギー通り

 この一年ほど、直木賞作家佐々木譲の初期の作品を読んだ。「エトロフ発緊急電」といい「ストックホルムの密使」といい、第二次大戦を背景に日本人や日系人が国際舞台でダイナミックに活躍する小説は、構成といいテーマといい実に見事だ。

 この人の作品は警察ものから読み始めたが、“かきっぷり”がいい。人格が文章表現にあらわれているようだ。といっても本人のことは知らないのだが、きっと好人物ではないだろうか。
 つい最近「ベルリン飛行指令」(昭和63年、新潮社)を読みはじめ、最初は物語の設定に興味をもてなかったが、描かれる登場人物にいつしか引き込まれた。個人の自由や意志など全体への奉仕のなかに埋没する時代にあっても自分のスタイルを貫こうとする人間が主人公だ。
 
 そのなかで物語の本筋とは別に懐かしい地名に出くわした。「チョーリンギー通り」である。インドの北東部の大都市、カルカッタの中心を走る有名な通りのことだ。カタカナではチョーロンギーとも書く。
 日本からベルリンまで大戦中に戦闘機、零戦を飛ばすという計画があった。英軍などの攻撃をかわしながら、インド、イラク、トルコを抜けてベルリンへ向かう。
 そのインドを描いた中にこの名が出てくる。

 インドでジャーナリストを装いながら諜報活動をする柴田という陸軍大尉のくだりである。

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 柴田亮二郎が列車でカルカッタに着いたのは、十月二十四日の夕刻のことである。
 柴田はすぐにチョーリンギー通りにあるタージ・キャピタル・ホテルに投宿した。

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 今から33年前の1979年2月。私は友人と二人でバンコク経由でカルカッタ(いまはコルカタという表記が一般らしい)に入り、そこからおよそ一ヵ月をかけてぐるりと、インドを大まかに一周した。
 デリー、ジャイプール、ボンベイ(ムンバイ)、ゴア、バンガロール、マドラス、そしてカルカッタ。これが初の海外旅行でもあり、衝撃的な旅だった。

 なかでもカルカッタの町だ。町に人と牛とリキシャとが入り乱れてうごめき、路上では生死のわからないような人の横たわる姿もあった。
 夜、停電で暗くなった雑踏を歩いた。電気がつけば怪しい祭りの夜店のような明かりが、人々を照らし出す。二人でレストランに入った。ろうそくをともしたボーイがわれわれをテーブルへと案内してくれた。
 
 そのインドはいまとてつもなく変わったようだ。チョーリンギー通りが懐かしい。
 


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