時計台とNo-No Boy

 最初にその時計台を見たのは1986年の夏だった。以来、シアトルの街を訪れるたびにその塔を目にするとなぜかほっとする。King Street Station という駅舎の上に建てられたこの街のシンボルは、1906年以来周囲が変わろうと孤高の存在を示してきた。

 時計台の東には、戦前は日系移民がつくりあげた日本人町が賑わいをみせた。が、それも昔のこと。戦後は日本人町は姿を消し、近くにはInternational District と呼ばれるようになった、中華街や日本食のスーパー「Uwajimaya」が東洋的な雰囲気の一画を形成している。
 この時計台から歩いて数分、坂道を登ったところに「Panama Hotel」というかつて日本人が経営した古いホテルがある。一階がカフェになっているのだが、ここにはずいぶん前からシアトルでの日系移民の足跡を知る、写真やかつての移民の所持品などがなどが展示されている。

 このホテルは、昨年、日本でも翻訳が出版された小説「Hotel on the Corner of Bitter and Sweet」を象徴する場所になったことで、いまではさまざまな人が訪れるようになったようだ。日本では「あの日、パナマホテルで」と題したストーリーは、太平洋戦争を挟んでの、日系アメリカ人の少女と中国系アメリカ人の少年との切ない恋の行方を描いている。

 カフェに入ると、これまで何度か話をしたことがある白人女性のオーナーが、「ロジャー・シモムラが来ているわよ」と、ひとりぽつんとノートPCに背を向けている彼のところに案内してくれた。日系2世の画家で、大学でも教鞭をとった有名人である彼は、日系人としての立場から作品を発表し、発言をしている。
 私は、日系2世としてたった一冊の小説を残したシアトル生まれのジョン・オカダと彼の作品「No-No Boy」についてこの10年くらい調べていることを話した。

 ジョンの兄弟であるフランク・オカダと親しかった彼は、興味深く私の話を聞いてくれて、「ジョンは非常にミステリアスだ」と静かに言った。40代で亡くなったジョンのことを知る人がいまはもうなく、別れ際に「何かわかったことがあったら連絡しますよ」と、私の名刺を受け取ってくれた。

 一部実話を元にしたと思われる小説、「No-No Boy」の中心舞台は、時計台のすぐ近く、かつての日本人町周辺だった。この町を彷徨いながら主人公のイチローは、「日系人である自分は、いったい何者なのだと」と、心の叫びを繰り返す。私は何者で、どう生きるべきか。イチローの問いはいつの時代の若者も抱える普遍的な苦悩でもあった。

 いまはもう日系2世と言われる人がほとんどいなくなった。歴史の証人が消えていく。訊けるものならあの時計台に訊いてみたいものだ。


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時計台


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