青森、122対0 の青春

 今年もまたこの時期青森にやって来た。夏の高校野球、青森大会で県立木造高校深浦校舎という小さな学校の野球部の試合を取材するのが目的だ。
 いまから14年前、深浦校舎はまだ分校ではなく、深浦高校として独立していたが、その野球部は、夏の大会で、名門東奥義塾と対戦し「122対0」という前代未聞のスコアで敗れた。

 なぜこんな結果になったのか。そこから野球部はどう立ち直ったのか、それらを地域の実情などとあわせて、私はノンフィクションとしてまとめた(「122対0の青春:講談社文庫)。

 それ以来、ほぼ毎年のように夏の彼らの奮闘ぶりを観戦してきた。その途中で学校は分校化され存続が危ぶまれほど生徒数は減少、現在は全校生徒数が74人だ。しかし野球部は指導者にも恵まれ、このところ強豪でないかぎり一勝をものにするまでに成長した。
                              

 日本海側、秋田県と接する西津軽の深浦町から、およそ二時間半をかけて、2台のワゴン車を指導の先生自ら運転して、今年は12人の部員たちを大会会場の青森市営球場まで連れてきた。
 この春入部した1年生も含めて、相変わらずここの生徒たちは、別の学校から赴任する先生が驚くほど純朴である。開会式を終えた彼らは、外野席で開幕試合を観戦しに行ったが、他校の野球部が大人数で芝生に腰を下ろしていたのに対して、ほとんどが後ろのフェンスにもたれて立っていた。遠慮していたのだろうか。

 だが、見た目と中身とはずいぶんちがう。素朴で静かで、ときに頼りなげではあるが、どこか芯の強さのようなものがあることを、長年見ていてわかる。それは練習のたまものかもしれないが、都市部の生徒が日頃経験しないような真冬の横殴りの雪のなかの通学や、決して豊とは言えない地域の生活のなかで育まれてきたもののような気がする。

 11日の大会開会式のあと、大会本部で14年前の試合を観戦していたある野球部の元監督と当時の試合についてあれこれ話をした。この試合で青森大会の多くの記録が生まれた。一つあげれば11打数連続安打がある。
 攻めた方もよく攻め続けたが、同様に守る方もよく最後まで守った。
「都市部の生徒だったら、とても最後まで続けなかったと思う。私が監督だったチームでも無理だったと思いますよ」
 元監督は、そう言って眼を細めた。         


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122対0


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深浦012開会式


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