風のように過ぎた惜敗の夏~深浦球児

 外野席の芝生にときおり夏らしい陽射しが雲間から差し込む。心地よい西風が吹く青森市営球場では、その日の第二試合がはじまった。
 ついさきほどまで、そのグラウンドで必死に戦い、そして惜敗した深浦の選手たちは、球場外でひとしきり涙を流し、肩を落とし、うなだれたあと、ふたたび球場へ戻り外野の芝生で第二試合を観戦した。

 目の前で繰り広げられる他校の試合と、さきほどまでの自分たちの熱戦はまるで別のもののように感じていたのではないか。それほどフィールド内の戦いの当事者と、いったん外へ出て見る立場とは違いがある。
 
 一年間、一生懸命練習してきても、試合はあっという間にすぎる。なんだったんだろうと思うくらいだ。スポーツの大会での“勝負”とはそういうものだ。
「最後だったから少しでも長く試合をしたかった」
 深浦のキャプテン、ショートの安田英幸は、赤い目をしてそう言った。
 せっかく力を試せるときがきたのだから、できれば二試合、三試合と重ねていきたいきもちはよくわかる。いい試合をしただけになおさらだったのだろう。

「コールドゲームになるかもしれないですよ」、「相手の浪岡は青森市内で1,2を争ういいチームですから」
 一方、深浦は部員13人、必死に鍛えられたチームだが都市部の有力校と比べれば戦績も選手の体格も見劣りする。戦前の予想は、かなり深浦にとって厳しいものだった。しかし、誰が言ったか「高校野球と人生はやってみないとわからない」。
 長年、彼らを見てきた私としても、そうならないように一泡吹かせてやったらいいのに、と心のなかで応援した。
 
 試合は浪岡が先攻し、すぐに2 死3 塁とチャンスをつくるが、深浦のサイドスローの川村が見事に後続を断った。その後もなんどか前半でピンチを招くが、守備陣が踏ん張る。
 ショート安田が左右へのフットワークと確実なグラブさばきで、なんどもアウトカウントを増やし、ライトの山本純平のスライディングキャッチ、そして手元で変化する球を武器に丁寧に投げ続けた川村の力投。

 一方、攻撃面ではストライクは見逃さずに強振していく積極性で、最終的には浪岡とおなじ5安打を放った。
 均衡が破れたのは5回で、ヒットとバントなどで三塁に走者を進めた浪岡が、この試合唯一の左前長打で走者を返すと、さらに安打で2点目を追加した。だが、ここで川村は崩れることなく、その後守りも堅くこの失点だけにチームは抑えた。
 深浦にとっては、攻撃面で2塁走者をけん制で刺されたことや序盤でのサインミスで走者を進められなかったのが惜しまれるといえば惜しまれる。が、「2対0」のスコアは、ほぼ彼らの力を出し切った結果だった。

 試合時間は1時間24分。たんたんと進んだ試合は、9回まで緊張感のある攻防を繰り返し、大会本部や審判の間からも「いいゲームだった」と誉められた。
「100パーセントに近い力を出したと思う。なにも悔やむことはないよ」
 今年で監督として三回目の夏を経験する竹内俊悦さんは、試合後のミーティングで生徒たちにそう言葉をかけた。いつもは、試合後考え込む様子が見られた竹内さんも、この日はうっすらと笑顔を浮かべた。

 本来なら、この試合は12日に行われる予定だったが、雨のため当日の試合時間後に順延ときまった。こうなると選手も大変だが応援団にも影響がでる。深浦から青森市まで約2時間半。全校生徒74人と先生たちをのせた大型バス2台は、試合開始の10時に十分間に合うように、朝6時には集合して出発しなくてはならない。
 雨模様だが順延という連絡が大会本部からないかぎりとにかく駆けつける。しかし、結局順延となってしまった。明日は来るか来ないか。もう一度来るとなればバス代もかかる。大きな学校で後援会組織が充実していれば予算もあるが、小さな学校では大きな出費だ。が、そこはみんなで盛り上げようとという“英断”によって、再度出直してくることになったのだ。13日、再びバス2台で西津軽から応援団は駆けつけた。
 
 小さな学校だけに、教頭はじめ先生たちも生徒同様声をあげる。ときにファインプレーの場面では、「素敵よ-」といった若い女性教師たちの声も響く。決して多いとはいえない保護者たちも温かい目で見守っている。
 応援席のなかには、かつての卒業生の父母や、その昔、深浦にいた先生の姿も見えた。
 この日の試合は負けたとはいえ、こうした人たちに満足感を与えた。「よくやった」という声がいくつもかかる。
                                   
「腹減ったな、飯食いに行こうか」
 竹内監督の一声で、芝生に座り込んでいた深浦の選手12人とマネジャーは、外野スタンドをあとにした。駐車場でユニフォームをTシャツとショートパンツに着替え、監督、青山部長が運転するワゴン車に分乗、近くの牛丼のすき家へ向かった。
 私も武田副部長の運転する車に乗せてもらい一緒に昼を食べた。生徒たちの前にいくつもの特盛りが運ばれ、それらはあっというまに空になった。

 彼らの二泊三日のこの夏の大会遠征もこれで終わり、深浦までの長い家路につくときがきた。私も東京に帰ることにした。彼らの帰路の途中にある新幹線、新青森駅まで副部長が送ってくれた。
 その車のあとに2台のワゴン車も着いてきた。人気のほとんどない真新しいその駅の近くで下ろしてもらい、ワゴン車を見ると、なかで生徒たちが上を向いて眠っていた。しかし、すぐに監督に声をかけられたのか、車から下りてきてにこやかに顔を向けてきた。

 記念に新青森駅をバックに写真をとって、私が駅に向かって歩き出すと、「ありがとうございます!」だったか、「お疲れさまです!」だったか、野球部独特のとにかく大きく、そしてこの時は明るい声が背中に響いた。少し照れくさかったが、なかなか気持ちのいいものだった。


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試合後の話


応援席に挨拶


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