ひとり、海辺のデニーズ
アメリカで起きていることが、10年、20年たって日本でも起きる。若いころから聞いてきたこの格言めいた言葉が、かなり本当だということは歳を重ねるとわかる。
20数年前、私は中部フロリダの大西洋に面した町にいた。スピードウェイで有名なデイトナビーチという町に仕事で通い、住まいはその北隣、オーマンドビーチという町だった。
海沿いのA1Aという南北に海岸と並行して走る旧道からちょっと入ったあたりにレストラン、デニーズがあった。日本のデニーズとほとんど同じだったが、日本でファミリーレストランと呼ばれる、そのファミリーのほのぼのとした雰囲気は希薄だった。
近くにあるドクター・ルイス宅に寄宿していた私は、ときどき一人でデニーズに行き食事をした。
いかにも人工的に開発されたフロリダの町のなかで、アメリカらしいチェーン店のレストランに入り、ひとり食事をしているとなんとも言えない寂寥感が漂う。周りを見回すと、ひとり老人が食事をしていた。
「ああ、日本ではほとんど見られない光景だけど、アメリカでは老人がひとりファミレスへ行くんだ」。そう思ったのをいまでも覚えている。1986年のことだ。
フロリダはご存じのように、北東部を中心にアメリカ各地からリタイアした人たちが集まる場所としても知られているほど、お年寄りの多い州だ。そういうこともあるだろうが、ファミレスというファミリーで来るようなところにひとりでポツンと座っている姿は少し寂しい。
「いつか日本でもそんな光景を見られるようになるのかな」。そうも思ったものだが、その答えは今の日本のファミレスを見ればわかる。場所によってお年寄りがひとりで来ることは珍しいことではなくなった。
ひとり暮らしのお年寄りが増えたのだろう。小さな子供連れの歓声のなかでひとり高齢者が食事をするのは居心地が悪いかもしれない。しかし、こういうことは常に両面ある。煩わしさから逃れられるという利点もまたある。家族は決して温かさだけが満ちているわけではない。
その点については、アメリカ人は割り切っていて、孤独に対する耐性のようなものを持っている。空間的にも広く人の移動も大きいから、離ればなれの親子などいくらでもある。クリスマスの時だけやってきてディナーを共にする。そのくらいでいいのだと。
孤独と自由は表裏一体で、愛と煩わしさも同じ関係にある。
土曜日の早朝、わが家の近くにある海辺のデニーズにひとり行ってみた。後ろの席に座る高齢のカップルはどうやら夫婦ではなく、明るく話が弾んでいる。少し離れた所の両親とティーンエイジャーの3人家族は、ろくに会話もなく父親は横を向いて新聞を広げていた。(川井龍介)
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