最後の年賀状

 この正月にいただいた年賀状をみると、表の宛名ほほとんど印刷された文字で、手書きものは数えるほどだった。手書きの文字はそれぞれ癖があり、差出人の名前を見る前に、「この美しい筆跡は・・・」とか「ミミズののたくったような字はたしか○○だ」などと、時に懐かしさを感じたものだった。

 風貌や体型はかなりかわっても、筆跡というのはそれほど変わらないものだ。手書きの文字はきれいだろうが下手くそだろうが、人間的な息づかいと人となりが伝わってくる。それを思い出すから、逆に印刷された文字はなんとも味気なくみえる。
 裏面の挨拶もたいていは印刷だ。ひと言でも手書きの文字があれば、温かみもあるのだが、すべて印刷文字となれば、差出人と個人的に向き合った気がしない。こうして賀状はますます形式化していくのだろう。
 
 手書きで私の住所と名前が記されてた賀状のなかに、これまでいただいた賀状にはなかった文面をみつけて少々はっとした。それは、この賀状が最後になるという挨拶を兼ねた一文だった。
「つきましては誠に勝手乍ら、以後年賀状の儀、失礼させていただきたく、よろしくお願い申し上げます」とあった。
 差出人のAさんは今年84歳。7回目の干支の巳年を迎え、どうやら高齢を理由に賀状の挨拶はこれを最後にし、転居など今後の通知も遠慮したいということだった。

 高齢になれば人付き合いなど鬱陶しくなることはよく聞くし、まだ50代の自分もその気持ちは多少理解できる。しかし私がこの賀状にはっとしたのは、Aさんのこれまでの生き方を知っていたので、文面から潔さのようなものを感じたからだった。
 Aさんは会社をリタイアすると、妻とともにヨーロッパに居を構え、そこを拠点に数年かけて大好きな美術鑑賞のための旅をした。名作の本物をその目で確かめ味わってきた。目的を達成したのちは、この間他人に貸していた都内のマンションに戻り、趣味をみつけて静かに暮らしてきた。

 子供はいるが、成人したら自分で暮らしなさいと自立させた一方、老後はできるだけ子供たちの世話にならないようさまざまな面で段取りをしてきた。日本の葬儀の形式的な面を嫌い、自分が死んでも葬儀はしない。生前の意思として万一の時についても「尊厳死」を選び、亡くなった後の実務的なことまで、処理してもらうよう契約をしてある。
 その流れからすれば、高齢になり自分の意思がはっきりすしているうちに、「これにて年賀状の儀は最後とする」という決断をしたのだろう。
 
 ある年になって、事情があって賀状が出せなくなったり出すのが面倒になったところで、だれに迷惑をかけるわけではない。しかし、賀状をもらえばやはり礼儀として返事を出さないわけにはいかない。また、事情を知らずにAさんに賀状を出してしまう友人、知人のことを考えると申し訳ないという気持ちもあるのだろう。
 Aさんは、最後の年賀状のなかで、あれもこれもみなさまのおかげです、と感謝の言葉を述べている。

 人は自分の寿命はわからないし、将来など予測もできない。だから、流れに身を任せていくという生き方もある。しかしAさんは、できる限りある種の方針をもって、さまざまな場面に対処してきた。言い方を替えれば、意志を持って「決める人生」を貫いてきた。
 だからこれにて賀状を最後にすることを決めたのである。もう賀状をいただけないかと思うとさびしい気はするが、新年早々、清々しさをいただいたと思うことにした。


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