万年筆と身上申告書

 筆記用具をなかなか捨てられない。赤や黒のボールペン、赤鉛筆、普通の鉛筆、シャープペンシルにサインペン・・・。わが家では整理棚や小物入れの中にまとめてしまってある。 仕事柄ずいぶんと彼らにはお世話になった。だからなかなか捨てられない。文字を「書く」ことが少なくなりキーボードで打ち込むのが大半になったいまもだ。一番使わないのにとくに捨てられないのが万年筆だ。

 大事にしていていたわけではないが、高校か大学時代に父親にもらったもので、パーカーというブランド品だったのでとっておいた。当時でいえば“舶来の品物”だ。細かい格子模様でいぶし銀の色艶だが、本来はもっときれいな銀色だったのかもしれない。それほど外見はみすぼらしくなってしまった。

 しかし、本体を握ってみると、細身の割にずっしりと重く金属のいい質感が伝わってくる。急にこれで文字を書いてみたくなった。文具屋に行くと、かつて使っていたパーカーのブルー・ブラックのインクカートリッジはまだ売っていた。5本で500円余。

 このペンにインクが通るのは30年ぶりくらいになる。果たしてペン先は傷んでいないか、心配しながらカートリッジを差し替えてしばらくしてノートにペン先を滑らせると、これがなかなかなめらかに走る。多少太めなところは変わりなく、男性的な味わいの文字になる。
 以来、気をよくして机の上でノートに書くときは、ボールペンの代わりにしばしばこの万年筆を使っている。古いオーディオ機器などと同じように、捨てられずにとっておいたものが再び役に立つというのはうれしいものだ。
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 大正生まれの父親が亡くなってもう20年近くたつ。父の書く字が、なんとなく自分の字と形が似ていることにある時気がついた。自分と似た筆跡も手がかりとなって、父の若いころのことで、知らなかったことが最近わかった。
 父が十代で満州の新京にある商業学校へ行き、そののち徴兵されて再び満州に趣き、最後は朝鮮の平壌にいたことは昔聞かされていた。しかし、戦時中でそれ以外のことは知らなかった。戦争に関わる古くさいことなど、高度経済成長期の子供だった私にはなんの興味もなかったし、父の方もそういう相手に話す気にもならなかったのだろう。

 恥ずかしながら最近になって、戦時中の父のことを調べてみようと思いたった。歳のせいかもしれない。兵籍について県の地域保健福祉部生活援護課というところに問いあせたところ「身上申告書」なる書類のコピーが送られてきた。兵役についていた者の引き揚げ時の記録だ。
 そこで初めて私は、父が所属していた部隊や配属先、そして終戦の翌年、仁川を出て博多港に上陸したことを知った。記録は1枚の紙に手書きで記されていた。よくみると父が自分で書いたとものに違いなかった。筆跡に見覚えがある。
 私が誕生する10年ほど前のこと、当時23歳だった父が書いた文字は、56歳になったいまの私が、パーカーで記す文字とどこか似ていた。


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