カリフォルニアの空の下で

 サンフランシスコから車で東へ向かい、1時間ほどでカリフォルニア州の州都サクラメントに着く。27年前、一度だけ長距離バスで旅をしていたとき立ち寄ったことがあるこの町で、このほど私は三日間を過ごした。
 宿泊したのは、日本人のTさんのお宅だった。Tさんは戦後夫とともに日本から布教のためにやってきて、サクラメントで“教会”を立ち上げた。7人の子どもを育てあげ、夫が亡くなったあとは責任者となって活動を続けてきた。

  彼女は知人に頼まれて、日系アメリカ人に関わるあるイベントに参加する私のために宿を提供してくれたのだった。滞在中取材に出ていた私は、なにかの食べ物にあたったのか、お腹をこわし熱を少し出してしまった。心配した彼女は、おかゆをつくってくれたりドクダミ茶を煎じて飲ましてくれたりした。食事のことだけでなく、私は教会に招かれ“お祈り”もしていただいた。
 おかげで1日休んだだけでほぼ回復した私は、なんとか次の取材地に向け出発することができた。その朝、Tさんは「おかずを入れると、日中は暑くて傷むといけないので、おにぎりだけにしました」と、おにぎりの弁当をつくってくれた。
 
 カーナビのないレンタカーを借り、乾いた空気を突き抜ける陽射しの下、なだらかな起伏のつづくカリフォルニアのハイウェイを走った。かつて日本人のコロニーがあったというリヴィングストンという町一帯は、いまも当時と変わらずアーモンドやももなどの作物が広がっている。
 そこで小学校や小さなミュージアムを訪れたり、日系人のお宅を訪問したりして、数時間を過ごすとすでに6時過ぎになっていた。翌朝にはサンフランシスコを発つことになっていたので、この夜は空港近くのホテルに泊まることにしていた。迷うことなくドライブしても3時間はかかるだろう。

 Tさんと一緒に暮らす7男のRさんが、インターネットで調べて紙に打ち出してくれた、空港まで言葉だけの“道案内”を頭にたたき込み、これをハンドルと一緒に

片手に持ちながら、99号からはじまりいくつものハイウェイを乗り換えながらアクセルを踏み続ける。
 アメリカでハイウェイを走るといつも思うことなのだが、100キロほどの速度で数車線の車の流れに乗り、茫漠たる大地をひとりハンドルを握っていると、何ともいえない寂寥感に襲われる。どうしてかなのか。大げさに言えば、自分の歩んできた道を何かにたとえるなら、この状況に似ているのかもしれない。
 
 そんな甘っちょろいセンチメンタリズムにも浸りながら、一度だけ間違えただけで、たいしたロスもなくなんとかホテルにたどり着いたときはすっかり暗くなっていた。サンブルーノというこの場所は、この夜かなりの強風で、ホテルのカウンターにいたインド系の女性は、「これはサンブルーノの風よ」と、よくあることとばかりにそっけない顔をしていた。
 予約した「禁煙」の部屋は、確かに今は禁煙かもしれないが古いタバコの臭いが染みついていた。カウンターの女性の顔を思い出すと、いまさら換えてくれというのも面倒だ。キングサイズのベッドが二つ。無駄に広く、窓ガラスの隙間を突く風の音もあってか、寂寥感はここにも漂う。 

 強風のなか夕食を食べに行く気にもならない。が、幸いなことに、Tさんがつくってくれたおにぎりがほとんど残っていた。海苔で巻いた小ぶりのものが4つ。これに昆布となにか野菜のような佃煮が少し添えられていた。
 こんな部屋でも紅茶のティーバッグがある。お湯が沸くのも待たずにおにぎりを一つ口にすると、梅干しが顔を出した。すでにいただいたことがあるTさん自家製のものだ。ドクダミ茶も自家製で、教会の敷地内でドクダミを育てて乾燥させているという。
 これに関してはおもしろい話があって、Rさんによれば、ドクダミをいっぱい生育している様子はマリファナ(大麻)に似ているらしく、パトカーが通りがかりに止まっては、訝しげに見て匂いを嗅いでいく。彼が説明して納得して帰ったこともあったという。

 おにぎりのありがたさをしみじみ感じひとつひとつ口にしていると、不覚にも途中で佃煮の一片を落としてしまった。それは古びたマットの上にあった。一瞬間をおいて、すぐにそれをつまみ上げるとバスルームに行き、水道水でよく洗った。そして再びおにぎりと一緒に噛みしめた。
 強風が窓を突く音は続いたが、この夜は早く眠りにつくことができた。


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