戦争を知ろう-8月15日を休日に 

 猛暑の終戦記念日を迎えて、新聞では戦争にかかわるさまざまな記事が掲載される。戦中の秘話や、戦争で家族や友人を失った人の記憶など、戦後68年を経ていまもなお戦争の影を引きずっている日本人が数多くいることがわかる。
 季節ものの特集のように言われるが、こうした事実を掘り起こし語り継ぐメディアの役割は重要だと、その意義を認めたい。しかし、その一方で日本人は先の戦争の事実についてどの程度客観的に知っているのだろうかという疑問を拭えない。

                       

 まちで20代、30代の若者に8月15日がなんの日かを尋ねたところ、2割以上が知らなかったという結果が、テレビの調査として報道されていた。義務教育の中でも、とくに戦争については授業あるいは学習として触れられていないのが現状だ。
 サザンオールスターズの新曲「ピースとハイライト」のなかで桑田佳祐が、
「教科書は現代史をやる前に時間切れ それが一番しりたいのに 何でそうなっちゃうの?」と、さらりと歌い日本の歴史教育を批判している。

 戦争が現在の日本のあり方を大きく決めたことは、紛れもない事実である。なのに、その戦争の発生前から終結後までの客観的な事実すら、しっかりと学ぶことがない。思想的な対立はあるにせ、最低限の事実を徹底的に学習させることを怠った国の罪は重い。
 その事実を知らずに、自国中心の歴史教育を受けた韓国や北朝鮮、中国から批判を受けると、まずは気分を害して感情的に反発をするという態度が日本の若年層にみられるような気がする。

 沖縄では、毎年6月23日は、沖縄戦が終結した「慰霊の日」として県内の学校は休みとなり県をあげて戦争を振り返り気持ちを新たにする。もちろん、全国的にはこの日は休日ではない。しかし、沖縄の人にとってこの日は特別なのだ。
 翻って、国家の終戦日は休日ではなく、その日がなんであるかも分からない若者が2割以上もいるのが日本の現実だということを、われわれは深刻に考えなくてはいけないのではないか。靖国神社への首相の参拝が相変わらず議論になるが、その議論の意味も無意味さもどれだけ若い人に伝わっているのか。

 わが家の近くの公園に、「戦没者慰霊之碑」がある。数年前に建て替えられモダンなデザインのモニュメントで人目を引くようになった。しかし、これが果たして慰霊之碑だと子供たちは知っているだろうか。
 ときどき、この慰霊碑のすぐ近くでスケートボードやBMX自転車で走り回る子供たちがいる。花火の燃えかすを見ることもある。今朝訪れてみると、周りにジュースの紙パックが二つ捨てられていた。
 嘆かわしいことだが、地域の学校でこの慰霊碑と戦争の犠牲者の事実などをしっかりと教えてあげれば、少しは変わるのではないだろうか。

 えらそうなことを書いたが、私の子供のころも戦争についてなにも学ばなかった。兵隊の経験がある父親が夕食の時に独り言のようにこぼしていた思い出話を、「またか」と、聞き流していたくらいだ。
 日本の戦争については「愚かだった」と、感じていただけだった。だから、テレビでアメリカの戦争ドラマである「コンバット」などを楽しく見ることができた。まだ、戦後20年ほど。よく見れば、戦争のなまなましい記憶に、苦しんでいた人はたくさんいただろう。

 だが、日本は高度経済成長へまっしぐらで、かつ、左右の対立ばかりで、戦争を客観的に検証しようなどというまっとうな動きは、少なくとも一般の国民に知られるレベルではなかった。
 高度な議論も結構だが、まずは広く基本から知りたいところだ。その意味でせめて8月15日を休日にすべきだ。


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