戦争論、地獄変、高橋和巳

 

 戦争を振り返る季節を迎え、ヒロシマ、ナガサキの原爆記念日が来て、被爆の惨状が思い起こされ平和への願いが語られる。

重要なことだが、その一方でいまもどこかで戦争があり被害がつづいている。ガザではこうしている間にも子供たちが傷ついている。そして攻撃の手を緩めないイスラエルを否認しはしないアメリカにわれわれ日本は同調している。

69年前の惨禍を痛む被害者でありながら、当時は圧倒的な加害者であり、いまも間接的な加害者であるかもしれないわれわれは、ヒロシマ、ナガサキを語るときに同時にそのことに触れなければ説得力ある平和への願いとはいえないのではないか。

われわれは真に戦争を検証し反省してきたのだろうか。半世紀も前のエッセイ「戦争論」で作家高橋和巳は、ヒロシマの原爆慰霊塔の石碑に刻まれた言葉、
「安らかに眠ってください。あやまちはくりかえしませぬから」

に、強い違和感を示している。いったい何を過ったというのか。戦争は過失ではない、国家的確信犯罪であると断罪する。総じて国民が何かを過ったのではなく、国家が犯した罪である。しかしそれはいとも巧みに戦後政治的な領域で処理されてしまった。
繰り返すが、半世紀前にいわ れたことである。

戦争や紛争の報道をみつづけるのが嫌になってくる。ガザの子供らへの爆撃の様子をいかに臨場感をもって伝えられても、それを止める手立てがなにもないからだ。もう現状報告だけならやめてくれといいたくなる。その後でなにか個人ができることをマスコミは示してくれないか。
日本政府は何をしていているのか、その政府に対策を取らせるためにわれわれは何ができるのか、報道の域を超えているかもしれないが、なにか個人にできることを示してもらえないだろうか。凄惨な状況をリアルにただ眺めているに過ぎず、すぐそのあとにビールでも飲みながらバラエティー番組に興じ、どこかで己の平和を感じ取っているのでは、他人の不幸を肴にしているのとおなじである。

高橋和巳は、1965年に「見る悪魔」と題したエッセイのなかで、ヴェトナム戦争における日本のジャーナリズム作品についての“齟齬感”を語る。ヴェトナム戦争に対して行為者としての自分の無力を認めながら、表現者としての姿勢を問い詰めるなかでのことだ。
齟齬感の在処は、ひとことでいえば、書かれる側、見らえる側の立場、視点と表現者のそれとの乖離である。たとえば広島の慰霊塔の前で焼香する遺族の顔を30センチばかりの至近距離でとらえるカメラについて、「人々がなにか大事なことを考え落としている事実は否めない」と警鐘を鳴らす。

地獄変

高橋は、芥川龍之介の小説「地獄変」を思い出して、この乖離について語る。それは、酷いものでも平然と 芸術として描く老画家が、最後は大殿様の命よってだが、自分の寵愛する娘が焔に焼かれて苦しみ死ぬ姿 を描写し芸術とする悪魔的な精神のあり方を書いたものだ。ここから芥川のテーマである芸術至上主義を考えさせ、議論も引き起こされるが、高橋は別の角度から問題を提起する。
「老画家が娘の焼け死ぬのを描写している時、焼け死ぬ当の娘がどういうつもりで父を睨み返していたかということを私たちは常に考えおとしがちなのである」
ガザで爆撃に傷ついた子供をカメラがとらえる、ということは子供もまたカメラを見るかもしれない。その子はどういうつもりで見返していただろうか。
地獄変の老画家は、その“地獄絵”を描き終えたのち、自ら命を絶つ。見続けるだけのわれわれは、やがてこの老画家のようにならないともかぎらない。


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