裸の王様は首相ではない。大衆、我々自身だ。

 医療現場が崩壊の危機に瀕している。患者の側も危機に瀕することになる。発熱外来の設置などコロナ関係の疑いのある人を専門的に受け入れる窓口、感染者とわかった場合の収容先、その整備が遅れている。1月以上前から言われていたことだ。

 なぜ、できないのか。実際権限のある厚労省の担当者、厚労大臣の具体的な話が全く出てこないで、メディアで専門家たちが「しっかりした対応が求められる」的な発言を繰り返している。

 世の中には、地震など突然襲いかかってきて対応できない災害がある。しかし、今回のウイルス禍問題は、他国の例があり対応する時間があり、先行きを危惧する意見は多々あった。なのに対応できない。最大の責任はリーダーにある。そのリーダーが、「なぜPCR検査が進まないのか」と、疑問を投げかけている。天につば吐くようなセリフを平気で言う。だから、場違いな動画で批判を受ける。

 今、責任を問い詰めても時間がない。厚労省も手一杯なら民間に、国民に助けをもとたらどうだろう。「総理や厚労省は何している?」と糾弾するレベルは過ぎてしまった。金と知恵をみんなで出し合ってなんとかしようではないか。

 二つの言葉を思い出す。一つは、かつてアメリカのジョン・F・ケネディ大統領が言ったことだ。「国があなたに何かをしてくれるかを問うのはなく、あなたが国に何をできるかを考えてほしい」。もう一つは、反ナチ運動の神学者、マルティン・ニーメラーの詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」だ。ナチスの攻撃は最初は共産主義者だけだった。しかし自分には関係ないと思っていると、それがいつしか自分へと向かい、そう気が付いたときは助けてくれる人は誰もないということだ。

 星野源の動画に、入り込んだ首相の行動が笑いと批判を浴びている。医療現場では、自らの危険を顧みず必死に働いている人がいる。それを少しでも感じれば、優雅にソファで犬を抱えて、カップを口に運んでいることがおかしなことが想像できるのではないか。これは常識だろう。首相には残念ながら人の気持ちをさっする情というものが欠けている。また、この一大事にマスクをつけながら原稿を下を向いて読みながら国民にメッセージを発するなど、リーダーとしての覚悟も感じられない。リーダーに必要な情と覚悟がない。

 想像するに側近とか親しい人にはとてもやさしくていい人なのだろう。だから大新聞や経済界の重鎮も取り込まれるのだろう。この人の在任中、有権者のモラルも下がったのでないかと気になる。ことの良しあしより、首相(あるいは、首相のように権力を持つ人)のお友達になった方が得だろうと思うような人が増えてしまったのではないかということだ。

 話は少しわきにそれたが、首相に適切なアドバイスをする側近はいなのか、首相は裸の王様だという論がある。しかし、首相は裸だともう多くの人がいっている。裸の王様は首相ではない。こうした事態を招いている安倍内閣を支持する大衆こそが裸の王様である。メディアは大衆を批判すべきだ。

 

 

 


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