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 安っぽい美意識~国家と国民

木曜日, 1月 2nd, 2014

元日の午前10時ごろ、自転車で近くの神社をまわった。小さな鳥居と短い参道のある神社やコミュニティーセンターの一角にある社、そして交差点の角の御稲荷さんなど、それぞれに小さないながらも地域の住民に支えられながら新年を迎えて装いを整えている。

無数にある地域の神社や仏閣に、今年も多くの人がさまざまな願いを胸に訪れている。こうした光景をみると、地域の人々が自分たちのものとして社(やしろ)を守ってきたことで地域の安らぎや平和が培われてきたことを痛感する。

こういうことを言うと、「いや、国家が安全だから、国が守られているからこそ、個人生活の安全が保障されている」といった意見が立ち上がってくる。わが国の首相もおなじである。そして、結果として国家全体の安全のためには、個人は多少犠牲になっても仕方ないという理屈ができあがる。

だから、沖縄の米軍基地により永年にわたって被害を受けてきた住民は、我慢を強いられても仕方ないということになる。原発建設も似たところがある。原発がつくられる周囲は、エネルギーの安定供給といった、公共の利益のためにリスクを受忍してもらいましょうとなる。

首相は、国家がまず大事だと信じているので、その国家のために戦い亡くなった人を祀ってある神社はなんとしても参拝する。ここにはA級戦犯も合祀されている。東京裁判をどう評価するかは別にしても、少なくとも国家・軍の指導的な立場にある人間が、その責任をとらなくていい、あるいは一般国民と同様のレベルで戦争の責任がある、などと考えている人は非常に少ないだろう。

また、「国家のため」と言われて死んだ軍人も民間人も無数にいる。そのなかにはもちろん不本意ながら命を落とした人が腐るほどいる。彼らが生きていたら、あるいは彼らの遺族が、A級戦犯を国を代表する首相が参拝することに、嫌な思い、悲しい思いをするのは想像に難くない。
他国がどう評価するかと言う前に、自国の国民に嫌な思いをさせてまで参拝する価値がどこにあるのか。喜んでくれる人がいることを優先するより、悲しい人の気持ちを斟酌すべきではないのか。それなくして彼が描く「美しい国」など、安っぽい美意識を額縁に入れたようなものである。

純粋に英霊の冥福を祈ることは何の異論もない。どうぞご自分一人でひっそりと隠れて参拝し冥福を祈ればいいではないか。参拝したということを世に知らしめたいというのは、英霊のためのではなく、自身の美意識への陶酔ではないか。

「美しい国」という目標をリーダーが掲げることにも異論はない。しかし、そのために個人個人が地道に作り上げようとする“美しい生活”が阻害されるなら、そのどこが美しいのだろう。国家はなくても人は生きるが、人のいない国家などない。
原発対策など喫緊の課題が頓挫しているとき、己の美意識に固執して靖国参拝に情熱をかける時間があったら、街角にひっそりと佇む社をめぐってみてはどうか。

猪瀬直樹、大衆、権力 

木曜日, 12月 5th, 2013

馬脚を現す。猪瀬直樹・東京都知事の人品骨柄について、これほどぴったりくる言葉はないだろう。彼が権力志向の強い男で、そのための振る舞いがいかに醜いものであったかということは、多くの人が感知していたところだが、それが今回の5000万円問題で、白日の下に晒された。

醜態の例はあまたあるが、一つだけあげれば、都知事選でテレビでの選挙広報収録時、自分で収録時間を勘違いしておきながら、時間内におさまらなかったことに腹を立て、番組関係者どなりつけたことがあった。女性関係でも、その醜態は知られている。

さて、問題はこんな人格の人間がどうして都知事になれたのかということだ。投じた都民は「そんな男だとは知らなかった」ということになるのだろうが、近くにいた人間、メディアの人間だったら知っていたはずだ。その意味で、一部の週刊誌を除いて、メディアの責任は大きい。

そしてもう一つは、石原慎太郎・前知事の後継者として支持を得ていたということが大きいだろう。良くも悪くも美意識の強い石原氏からすれば、「男として猪瀬というのはなんと魅力のないのことか」と思っていたのではないだろうか。、
しかし、部下としては有能でかつ自分にすり寄ってくる。そうなると、“使える奴”ということになる。問題はここにある。組織のなかで、部下には威張りちらしたり、ずる賢いく人望がなくても、米つきバッタのように強い者にはへりくだる人間は、上司にとっては非常に使いやすく無碍にできないところがあるものだ。

だが、これをみて末端の不満は高まり、組織は徐々に腐っていく。「あんなやつがどうして出世するのか」という例を多くの会社員のみなさんは知っているだろう。多くの人が上司をもち、かつ部下も持っている。猪瀬氏のような人間の本質を上司の側からも、また部下の側からも見抜く力が問われている。

ある朝の「人身事故」

木曜日, 11月 28th, 2013

朝の通勤時間帯、駅近くのコーヒーショップには、オーダーのため人が列を作っている。都心に向かう電車が、人身事故のため止まっていて、当分動きそうもないため、しばらく様子を見ようと、あきらめてきた人たちだ。

ちょうど、電車が駅で停車したときアナウンスを聞いた私は、即座に降りてこのコーヒーショップをみつけた。よくあるチェーン店の一つだ。

まだ十分席が空いていたので、4人がけのテーブルについた。どうせみんな一人ずつだろう。着席してから30分近く経っているが、いまだに人が並んでいる。店内はほとんどいっぱいだ。

中年の女性がトレーをもって席を探していたので、「どうぞ」と、相席をすすめた。「ありがとうございます」と、彼女は席について、モーニングセットを食べ始めた。

多くの人がそれぞれスマホを見ている。なかには私のようにPCを立ち上げている人もいるが、圧倒的にスマホだ。向かいの女性もスマホをいじりはじめた。見回すと、新聞を読んでいる人はだれもいない。もちろん店には置いていない。
本を開いている人もどうやらいない。年齢は20代、30代が中心だろうか。男女は半分ずつくらい。

こういうとき、もし田舎の駅の待合室だったら、いろいろ話しかけてくる人がいたりするのだろう。知らない人同士でも、こんなところからちょっとした人間関係や男女の出会いが生まれないとも限らない。

後ろに座っていた若い男性が、注文したサンドイッチをもって店員の若い女性に話している。虫かゴミがついていたのか、店員が「あー、すいません」と言ってそのサンドイッチを持っていった。

隣にいた若い女性の所に、男がやってきて合流した。職場の仲間か。まだ途中までしか動いていないという。私鉄に乗り換えていくかを相談をしている。

目の前の女性が、席を立った、でかけるようだ。なにかこちらに挨拶するのかな、と思っていると、「どうもありがとうございます」と、おじぎをした。「あ、どうも、行ってらっしゃい」と、小さな声で、PCに向かったまま返した。

すでに40分を過ぎたがまだオーダーの列は続いている。ネット調べると、9時まではストップ。つまりあと20分くらいしないと再開しないようだ。

今度見回すと2人本を読んでいる人がいる。そういえば、フロリダの友人、ベテラン記者のノーランが言っていた。「インターンで来た若い女性が、紙の本を最後に読んだのは、2年前だって」。

50分後、ようやく並ぶ人が少なくなってきた。通常の形にもどったのか。この日、店の売り上げはぐっと伸びたことだろう。困る人がいれば喜ぶ人もいる。世の中、完全に悪いことなどない、そして良いこともない。

「喫煙は満員です!」。店員が業務報告の声をあげた。席数の少ない喫煙席は満員。かなり煙いだろう。そういえば、先日駅構内のコーヒーショップで、喫煙席しか空いてなく仕方なく入った。待ち合わせをした人が喫煙でもいいというので我慢した。
しかし、1時間以上いたら、息苦しくなった。臭いもすごい。喫煙が満席。阿片窟のようなものだ。

ウェブ上の運航情報の案内によると、8時40分頃に運転を再開したという。ようやく動き出していた。それから30分ほどして私は席を立った。

※   ※   ※

ホームで電車を待っていて、「人身事故」について考えた。人が巻き込まれた事故だが、たいていは自殺だ。とても悲惨で現場は凄惨なありさまに違いない。でも、「だれかがホーから飛び込んだ」などとはいわない。コーヒーショップの人たちも、人身事故に遭った人、あるいは自ら事故を起こした人のことなど想像することもないのだろう。
「人身事故」といわれれば、仕方ないと、コーヒーショップに避難するだけになってしまった。

Ross MacDonald(ロス・マクドナルド)の言葉①

月曜日, 10月 28th, 2013

この夏から、ロス・マクドナルド(Ross Macdonald)を再び読み直してみた。作品によっては3度目になるものもある。ハード・ボイルド・ミステリーとして、ただでさえ込み入ったストーリーの彼の作品は、2度目に読んでもほとんど既読の感がない。
「南カリフォルニアをこんなふうに描いた作家はいなかった」と、批評された彼の世界は、青い空と光り輝くビーチと海のカリフォルニアを舞台に、心に闇を抱えた人たちが織りなす仕方のない哀しさを描く。
主人公、リュウ・アーチャー(Lew Archer)は、事件を追う中でその人たちの心と生活のなかに入り込み、やがて出てくる。彼は深く思い、考え、そして訊ねる。ロス・マクドナルドがアーチャーに語らせる言葉には、この世と人間に対する真実がこめられはっとさせられることがある。
また、アーチャーの目と心を通して描かれるカリフォルニアとアメリカは、光がつくる陰がつきまとっている。
陰を見たがらない人、無視しようとする人、それに気がつかない人には、知ることがない陰=真実を明かす。辛くても哀しくても「本当のことなのだ」、と目をそらさない人がアーチャーとマクドナルドに惹かれるのだろう。

「ドルの向こう側」(The Far Side of The Dollar 1965年、菊池光訳)の最後にこんなくだりがある。一連の殺しの真犯人としてリュー・アーチャーに追い詰められたミセス・ヒルマンが、逮捕前に自害させる機会を与えて欲しいとアーチャーに頼む。しかし彼は「間もなく、警察が来る」と、それを断る。

彼女は言う。
「きびしい人ね」
アーチャーが応える。
「きびしいのは、私ではないのです、ミセス・ヒルマン。現実が追いついたのにすぎないのです」

この先、ときどきリュウ・アーチャーの言葉を紹介していきたい。

優先順位と社会科学

金曜日, 9月 20th, 2013

 社会も個人も、常になにか課題を抱えている。数え上げたらきりがないし、ことの重要さにおいて甲乙つけがたいものもたくさんある。しかし、それでも人は一度にたくさんの問題に同じように向かうことはできない。

 だから優先順位というのが大切になる。力の入れようの順番だ。社会で言えば、福島原発の汚染水処理の問題が日本でいま一番力を入れるべき課題だろう。だが、これまでの東電と国の対応をみれば、とても最優先に値するほど全力で対処しているとは思えない。

  東電も国も当事者意識が十分ではない、などと識者もマスコミも批判する。しかし、なぜ十分に対応できなかったのか、その根本原因を見極めないと今後の対応も変わらないだろう。
 
 本来は、最優先課題であれば国がいち早くリーダーシップをとって対処すべきだ。一民間企業の東電に任せられるはずがない。一企業の失敗を国が、国民が肩代わりするのはおかしいなどと言うのは、瀕死の病人を前にして、「日頃の健康管理がなっていないからだ」と、説教をするようなものだ。

 だれの責任だろうが、まずは全力で対処する、法整備もする、そのための負担であれば国民の多数は納得するだろう。しかし、それをしないで東電に任せておいて、ようやく国が腰を上げて対処するという。それもオリンピック招致のために本腰を入れるような感がある。恥ずかしい限りだ。

 もとをたどれば、戦後の長年の自民党政権のときに計画をつくりあげ、推進してきたのが原発建設である。これに関わった政官財(ときにマスコミも含まれた)の共同利害が適正な批判を受けることなく、進めてきた責任は大である。これには一部有権者の責任もあるが、原発事故後との各調査委員会の報告でも明らかなように、原子力ムラといわれる馴れ合いの仕組みのなかで独善的に進められてきた過ちは、政策に関与したものの責任である。
 
 しかし、これをもって「私たちに責任があった」として、立ち向かう姿勢は見られない。逆に、真摯に対応することが、責任があることを認めてしまうかのようにとられるのを恐れるように、中途半端な対応をする。だから、国に責任があるのか東電に責任があるのか曖昧なままになる。
 
 こうしただれも責任をとらない仕組み、集団責任という名の、無人格なものや制度に責任を負わせているような仕組みは、先の戦争の責任を詰め切れない日本社会の体質のようだ。この体質とそれに基づく、社会政策の仕組みを変えないといつも同じ対処の仕方になる。政策決定の公正な仕組みと、失敗や過ちを犯したときの責任の取り方をはっきりさせることが求められているのではないか。

 難しい原発の設計ができてもタンクからの水漏れすら防げない事実は、科学技術の問題ではない。予見できていても、あるいは、こうすべきであるということが想像できても、それを実行しない、実行しなくても済む仕組みと体質があるのだ。これを徹底的に解明する必要があるだろう。
 安全対策に欠陥があったという単純な問題ではない。社会の仕組みに欠陥があるのだ。原発の安全性などの問題についても、自然科学の議論ではなく社会科学的なアプローチで問題の本質をえぐり出す必要がある。

(写真は浜岡原発)
 

サザンよ、今夜はありがとう

日曜日, 9月 1st, 2013

 サザンの茅ヶ崎凱旋ライブ。
 なかなかはじまらないので風呂に入っていると、いきなり聞こえてきたオープニングの曲。サザン茅ヶ崎凱旋ライブの1曲目は、「海」だった。桑田らしいラブバラードだ。着替えてベランダに出たときには、3曲目の「勝手にシンドバッド」に変わっていた。

 ライブ会場となる野球場周辺の住宅街にはところどころアルバイトのスタッフが立ち、住民以外の立ち入りを“ご遠慮願いたい”と、通行規制が随所で行われた。
 それでもできるだけ近くで、雰囲気を味わおうと、ライブ開始とともに徐々に人々が、演奏が聞こえ、ライブ映像が見られる場所に溜まりはじめる。6時半過ぎ陽も落ちかけると、近くのマンションの駐車場にも人が集まる。
 住人だけでなく、どこからかやってきたファンもいる。ライブ会場の照明とモニターがほんのわずかでも見えそうなところは人だかりができた。

   

 「You」「涙のキッス」そして「夏をあきらめて」。いい曲がつづく。マンションの階段や窓からは人が身を乗り出して、モニターを見つめている。
 徐々に観衆、聴衆のテンションはあがり、拍手と「桑田さんありがとう」なんて言葉が飛び交う。一緒に歌う声も大きくなってきた。この様子をどこかのテレビ局が取材に来た。

 「慕情」のバラードが聞こえる。このあと、眠くなったのでベランダから家の中に入り、ソファでウトウトしていると、「真夏の果実」が聞こえて来るではないか。胸に迫るこの曲で一つの山を迎えた。
 レーザー光線が夜空と松林の先端を照らし、花火が上がった。新曲「マンピーのG☆SPOT」では、力が入っているのか演出も派手だ。

 あとでアンコールの曲だとわかったのだが、「ロックンロール・スーパーマン~Rock’n Roll Superman」「HOTEL PACIFIC」「いとしのエリー」でめいっぱい盛り上がり、最後は「希望の轍」で終わった。
 
 こうして、サザンライブの場外鑑賞は終わった。生で、タダで、自宅で。8月最後の日、取り立ててなにも印象に残ることのなかった夏にアクセントをつけてくれたサザンに感謝だ。  
  

サザンがやってきた、茅ヶ崎凱旋ライブ 

土曜日, 8月 31st, 2013

 2013年8月31日、ただいま午後4時30分。あと1時間でサザンオールスターズの茅ヶ崎ライブがはじまる。開場となる野球場運動公園周辺は、サザンファンがつめかけ、公園に近いわが家の周辺には、一部のファンが路上からライブを楽しもうと集まっている。

 野球場が開場となり、バックネット側に巨大なモニターがならび演奏する。そのバックネットあたりのモニターと音響設備や照明の一部がちょうどわが家の二階ベランダから見えることがわかった。(★写真は、電信柱と電線が交錯する向こうに見えるライブの装置を望遠でとらえたもの)

 

 よく見るとモニターの動画もなんとなく分かるではないか。さきほどはリハーサルで、桑田が、「涙のキッス」と「夏をあきらめて」が歌っているのが、風呂場で聞こえた。なんともいえない贅沢な気分になってきた。

 開場で見たいのはもちろんだが、残念ながらはずれてしまった。しかし、自宅で窓を開けて聞くライブもまたいいもんだろう。桑田にとっては久しぶりの凱旋ライブ。このほど茅ヶ崎市民栄誉賞も受賞し、まさに市民の誇りであり英雄だ。

 地元では彼のことを悪く言う人に会ったことはないし、サザンが嫌いだという人も知らない。地元に愛され、地元で恩返しをできる。桑田という人は才能もさることながら幸せな人だ。
 
 桑田の歌のいいところは、村上春樹的に言えば、歌が完結して閉じていないところだ。愛しさや、やるせなさや、哀しさをつづる歌は、歌が終わってもどうなるものでもなく、気持ちは投げ出されたまま。そこがいいのだろう。
  
 ヘリコプターがさきほどから公園の上空を旋回している。開始まであと30分。さて、シャワーを浴びて酒の用意をするとしよう。ところでオープニングはなんだろうか。前回は、「希望の轍」だったが。けっこう「You」とかいいと思うんだが、どうだろう。 

戦争を知ろう-8月15日を休日に 

土曜日, 8月 17th, 2013

 猛暑の終戦記念日を迎えて、新聞では戦争にかかわるさまざまな記事が掲載される。戦中の秘話や、戦争で家族や友人を失った人の記憶など、戦後68年を経ていまもなお戦争の影を引きずっている日本人が数多くいることがわかる。
 季節ものの特集のように言われるが、こうした事実を掘り起こし語り継ぐメディアの役割は重要だと、その意義を認めたい。しかし、その一方で日本人は先の戦争の事実についてどの程度客観的に知っているのだろうかという疑問を拭えない。

                       

 まちで20代、30代の若者に8月15日がなんの日かを尋ねたところ、2割以上が知らなかったという結果が、テレビの調査として報道されていた。義務教育の中でも、とくに戦争については授業あるいは学習として触れられていないのが現状だ。
 サザンオールスターズの新曲「ピースとハイライト」のなかで桑田佳祐が、
「教科書は現代史をやる前に時間切れ それが一番しりたいのに 何でそうなっちゃうの?」と、さらりと歌い日本の歴史教育を批判している。

 戦争が現在の日本のあり方を大きく決めたことは、紛れもない事実である。なのに、その戦争の発生前から終結後までの客観的な事実すら、しっかりと学ぶことがない。思想的な対立はあるにせ、最低限の事実を徹底的に学習させることを怠った国の罪は重い。
 その事実を知らずに、自国中心の歴史教育を受けた韓国や北朝鮮、中国から批判を受けると、まずは気分を害して感情的に反発をするという態度が日本の若年層にみられるような気がする。

 沖縄では、毎年6月23日は、沖縄戦が終結した「慰霊の日」として県内の学校は休みとなり県をあげて戦争を振り返り気持ちを新たにする。もちろん、全国的にはこの日は休日ではない。しかし、沖縄の人にとってこの日は特別なのだ。
 翻って、国家の終戦日は休日ではなく、その日がなんであるかも分からない若者が2割以上もいるのが日本の現実だということを、われわれは深刻に考えなくてはいけないのではないか。靖国神社への首相の参拝が相変わらず議論になるが、その議論の意味も無意味さもどれだけ若い人に伝わっているのか。

 わが家の近くの公園に、「戦没者慰霊之碑」がある。数年前に建て替えられモダンなデザインのモニュメントで人目を引くようになった。しかし、これが果たして慰霊之碑だと子供たちは知っているだろうか。
 ときどき、この慰霊碑のすぐ近くでスケートボードやBMX自転車で走り回る子供たちがいる。花火の燃えかすを見ることもある。今朝訪れてみると、周りにジュースの紙パックが二つ捨てられていた。
 嘆かわしいことだが、地域の学校でこの慰霊碑と戦争の犠牲者の事実などをしっかりと教えてあげれば、少しは変わるのではないだろうか。

 えらそうなことを書いたが、私の子供のころも戦争についてなにも学ばなかった。兵隊の経験がある父親が夕食の時に独り言のようにこぼしていた思い出話を、「またか」と、聞き流していたくらいだ。
 日本の戦争については「愚かだった」と、感じていただけだった。だから、テレビでアメリカの戦争ドラマである「コンバット」などを楽しく見ることができた。まだ、戦後20年ほど。よく見れば、戦争のなまなましい記憶に、苦しんでいた人はたくさんいただろう。

 だが、日本は高度経済成長へまっしぐらで、かつ、左右の対立ばかりで、戦争を客観的に検証しようなどというまっとうな動きは、少なくとも一般の国民に知られるレベルではなかった。
 高度な議論も結構だが、まずは広く基本から知りたいところだ。その意味でせめて8月15日を休日にすべきだ。

2013年青森の夏、あれから15年

木曜日, 7月 25th, 2013

 長い間、県内2強と言われてきた、八戸学院光星と青森山田がともに敗れ、弘前学院聖愛が甲子園へ初出場を決めたこの夏の全国高校野球選手権記念権青森大会。今回もまた私は、トーナメントのなかで木造高校深浦校舎の試合を観戦してきた。
 
 第95回になる今夏は、減少傾向にあった参加チーム数が70を切った。この先も学校の統廃合や生徒数の減少で、野球部の数は少なくなっていくとみられる。そのなかで、木造高校深浦校舎は、なんとか部員数を維持し、今大会も出場した。

  
 昨年度は地元の中学の卒業生の数が非常に少ないこともあって、この春の新入生は17人。そのうち男子はたった4人。しかし、そのうち3人が野球部に入り、部員数はなんとか10人になった。
 これだけでも驚きだが、さらにサッカー部も存続して人数をそろえている。そして地域の大会では勝つこともあるというのだ。女子陸上では競歩で黄金崎夏未さんが東北大会に出場し6位入賞の快挙を果たした。
 このほか、女子バドミントン、男女卓球も善戦している。その意味では、野球部は注目度は高いのだが、この春の地区の大会では勝利はなかった。

 もう少し、学校について記録しておこう。今年度(2013年度)の全校生徒数は71人(男27、女44)で、1年生17人(男4、女13)、2年生28人(男12、女16)、3年生26人(男11、女15)。各学年1クラスだ。 
 私が10年以上前に取材した頃は、普通科と商業科それぞれ一クラスずつあり、全校生徒も200人くらいだった。

 一方、現在の教職員は、現場のトップである教頭をはじめ、実際に生徒の学習の指導にあたるのは教諭が5人(男4、女1)、臨時講師が5人(男3、女2)、臨時養護助教諭が1人(女)、臨時実習助手1人(男)となっている。かなりの割合を“臨時”の先生に頼っているのが現状である。
 臨時職員の加重な登用、僻地校と都市部の学校における職員配置の内容の差。弱い立場の臨時職員と僻地校から大きな声が上がらないのをいいことに、改善策をとらない、というより、あえて臨時職員と僻地校を、問題吸収の緩衝材として利用しているとさえ思える策をとりつづける県教委の姿勢はいずれ問われることになるだろう。
 
 つぎに、生徒の進路についてみてみよう。この春の卒業生のうち、大学に進んだのは2人、短大2人、専門学校5人、就職では公務員1人、民間では県外5人、県内5人となっている。

 こうしてみても本当に小さな学校である。さて、前置きが長くなったが今年の戦いぶりを振り返ってみる。

                バットはかなり振れていたが・・・

 何より戦力の低いチームにあっては組み合わせが非常に重要だが、珍しいことに今年は昨年同様、県立の浪岡高校と対戦することになった。昨年は善戦しながらも敗北。今年も戦前の予想では厳しい戦いが予想された。

 雨のため2日試合が伸びて、7月13日ようやく弘前の運動公園内にある球場で午前11時43分、ゲームが始まった。夏らしい雲が南の空に立ち上り陽射しはかなり強い。
 深浦は1年生が3人、2年生が4人、3年生が3人の計10人。1,2年生バッテリーが先発だ。
 先攻の深浦はさい先よく、いきなり先頭打者の中村がセンター前安打で出塁。これをしっかり送れなかったが、3番島川がレフト前に安打、1死1,2塁として4番阪崎がセンターオーバーを放ち1点を先取した。

 

 その裏、浪岡は四球やバント、盗塁にエラーもからんであっさり追いつき、さらに安打で逆転した。2回裏にも3点を加え、深浦は5-1と引き離された。しかし深浦も3回、四球に2安打で1点を追加した。

 この日は当初の試合予定が変わったため、学校からの応援は自主応援となり、主に1,3年生と職員などが用意された大型バスに乗り込んでやってきた。ブラスバンドはないし、組織的な応援もできなかったが、決して打ち負けしているという感じのない自チームに明るい声援を送っていた。
 独自に応援に来たOBやかつて子供が深浦の野球部にいた地元の人たちなど、30人ほども一塁側スタンドに詰めかけた。

  
 3回表を終え5-2と詰め寄った。しかし、そのあと先発の島川が四球と安打で安定感を欠き、2年生の阪崎と交代。この阪崎も四球で崩れ結局3,4,5回に加点され、5回の裏を終えて12-2と、10点差がついたため大会規定でコールドゲームとなり、深浦の負けが決まった。

 試合終了後、新聞社などの簡単な取材を受け、ひといきつくとナインは球場の外の大きな木の下に道具や荷物を置いて集合した。日影に心地よい風が吹いてくる。悔し涙を流していたのは半数くらいだろうか。

 監督が総括をして、つぎにみんながひと言ずつ話をした。意外にかつてにくらべるとかなり言葉が多くなっているような気がした。3年生からのひと言では、後輩たちに、あれこれと期待と注文も述べながら最後の挨拶をする生徒もいて、聞くものは神妙な顔つきだった。

 部員の数からすれば、まさに土俵際の戦いを強いられているこの学校の運動部は、なにより部員の確保が課題だ。3年が抜ける秋の大会は、サッカー部あたりから助っ人を頼んで大会に出ることになるだろう。
 厳しいなかの朗報は、今年の地元深浦中学では、この春より卒業生はぐっと増え野球部に入る生徒もかなり期待できるという。これで来年度の計画もたてることができそうだ。しかし、薄氷を踏む思いというか綱渡りというか、喩えは適当でないかもしれないが、毎月何とか不渡りを出さずにやりくりしていく苦しい零細企業のようでもある。

 今年は122対0の記録的な試合が行われた1998年の夏から15年目にあたる。98年は横浜高校の松坂大輔や鹿児島実業の杉内俊哉が甲子園で戦った、印象的な夏だった。
 この時、青森代表は八戸工大一で、1回戦で鹿児島実業とあたり杉内にノーヒットノーランをくらった。その杉内は、2回戦で松坂大輔らを擁する横浜と対戦し、松坂に本塁打を浴びるなどして6失点で敗退した。

 あのとき、徹底的に打ちのめされた深浦ナインの一年生もいまでは30歳になる。彼らの後輩の戦いは、また来年もつづきそうだ。  

欲望と自由の果ての肥満

土曜日, 7月 13th, 2013

 なんでアメリカにはこんなにデブばかり多いんだろう。ずいぶんまえから思っていたが近年さらに進行しているのではないか。
 空港のロビーで目の前を行く人を目で追ってみた。
 デブ、普通、デブ、すごいデブ、普通、普通、普通、デブ・・・。だいたいこんな感じだ。体型など、人をみてくれで判断し偏見をもってはいけないのは重々承知だ。しかしこれだけ肥満が増えると、それを生む社会の問題として考える必要がある。
 
 子供にまで肥満化が蔓延しているのは明かな国民的健康上の危機だ。太っていることを表す英語には、一般によく使われるfat のほかに丸々とぽっちゃりしたという意味のchubby、そしてでっぷりとして肥満であることを意味するobese(オビース)などがある。
 これでいうと、オビースがまれではなくなっている。性別、人種、年齢を問わず太っている。世の中、異常なものが多くなれば、これがスタンダードになってくるから恐ろしい。
 その恐ろしさの原因は、レストランに行けば明らかだ。とにかくまず量が多い。加えてフライものや肉類が目立つし、甘いものでも「ジャバニーズラージ」が「アメリカンスモール」だ。

                

 食べる量(エネルギー)と、消費される量を差し引きすれば、残る量が多くなりそれがたまっていき、贅肉などになっていることが単純に計算されると思う。
 だから、わかっていて、食欲を抑えられないか、別に抑える必要がないと思っていることの証だろう。体が重く肉がたまってもいい、食べたいものは食べるという欲望を優先しているのだ。

 ところで、欲望を抑えないという点では、食欲にかぎったことではなく、なにかをやりたいという欲望についてアメリカという社会は積極的に認めている。それは「欲望」という概念が、言い換えれば「自由」でもあるからだ。
 欲望=自由を求めることは正義であり、その反対の「禁欲」はあまり理解され尊重されることはない。控えめであることは美徳になりにくい。そういう人を決して悪くはいわないが、そんなことしたら損をするという風潮が社会にある。
 食いたいものをとくかく腹いっぱい食い、いいたいことをいい、やりたいことをやる。自由の謳歌だ。しかし、むずかしいのは人は自由を完全にマネジメントできない。すべて自由にしていいといわれたらどうなるだろう・・・。

 また、アメリカの「食」についていえば、自由に食べているようで、フード産業の提供する圧倒的な力に、実は食い物にされているところがある。小学校で甘いソフトドリンクなどを止められない理由はそこにある。ビジネスもまた限りなく自由だ。
  
 自由だと思って欲を追究していっているようで、実はもっと大きな自由を求める力が差し出す限られた選択肢のなかで、得られる自由の極大化が肥満なのかもしれない。太っているのか太らされているのか。よく考えると恐ろしくもある。
 こういう仕組みの社会をもつアメリカという国が牽引する、さまざまなグローバルスタンダードに、われわれがついていこうとしていることに大いなる疑問がわく。