今年5月沖縄が日本に復帰して50年になります。新聞では昨年から特集記事が組まれていましたが、それよりもこの時期沖縄が注目されたのは県内での新型コロナウイルスの急拡大でした。その後感染は全国的に拡大しましたが、沖縄での感染状況が特異だったのは、米軍基地から拡大していったという点でした。
昨年12月海兵隊基地キャンプ・ハンセン(金武町など)でクラスター(感染者集団)が発生しました。日本が水際対策に必死になっている一方、感染した部隊は出入国の際にPCR検査をしていませんでした。沖縄の基地はアメリカ国内扱いな反面、基地内の米軍関係者は、基地を出て街なかで自由に行動することができるし、基地の外で暮らしている人もいます。また、マスクをつけていない人も多々見られます。つまり日本のルールや常識に縛られないというのが実情です。さらにこうした実態に対して日本から厳しい目で見られていることに対する意識も薄いようです。クラスター発生後に、キャンプ・ハンセンの米兵が酒気帯び運転で逮捕されたという事実がこれを物語っています。
沖縄県の玉城デニー知事は、感染発覚直後から在沖米軍トップに米兵の外出禁止など対策を再三要請しました。しかし、米軍は当初「陽性者が出た部隊の感染封じ込めに成功している」と反応、その後日米間の協議の結果ようやく20日後に外出制限などが実施されました。
いったい、沖縄の実情はどうなのか、北谷町に住む知人の今郁義さんに聞いてみました。北海道出身の今さんは、返還前の沖縄社会をとらえた「モトシンカカランヌー」というドキュメンタリ―の制作に携わり、以来沖縄に住み市民活動などをしています。
「基地のある金武町に行ってみたが、米兵はマスクもしていない。(アメリカンビレッジというレジャー地区のある)北谷町でもマスクをしていない米兵は目につく。また米兵はほとんど複数で行動し、レストランなどに入ってくる。基地の外で暮らしている米兵もたくさんいるが、そうした数もアメリカ側は明らかにしていない」と言い、こうした基地をめぐる問題を協議する日米合同委員会のあり方に疑問を呈します。
日本にある米軍基地の約7割が国土の0.6%の面積の沖縄に置かれていることによる沖縄県民の負担は、飛行機の騒音、墜落、落下物による被害、米兵による犯罪とその処罰の問題など、さまざまな面で沖縄以外と比べ甚大です。
このほか社会インフラの面でも大きなハンディを負ってきました。戦前沖縄には鉄道がありました。しかし戦後の占領下、公共の利益より基地としての利用が優先され鉄道は復活されることはありませんでした。また、沖縄を車で走ってみればわかりますが、カーナビの画面がほとんど塗りつぶされたようになってしまうことがあります。これが基地の存在です。救急車の搬送も基地を迂回しなければならないことがあります。
さらに今、沖縄の魅力であり日本の貴重な自然でもある辺野古の海が無残にも埋め立てられ恒久的な基地がさらにつくられつつあります。そして多くの基地を抱えるがゆえの感染症のリスクがこれらに加わりました。復帰から50年、米軍基地があることによる沖縄県民への負担と不安はさらに増したことになりました。(川崎医療生協新聞より)