Archive for 2月, 2022

いま起きているのはロシア、プーチンによる殺人、犯罪である。殺人を傍観していいのか。

日曜日, 2月 27th, 2022

 ロシア軍のウクライナへの侵攻。これは「戦争」ではない、軍事侵略であり犯罪である。ウクライナ人に死者が多数出ている。これはロシア、プーチンによる大量殺人である。
 ロシアを非難することが第一、そして必要なのは、攻撃をやめさせこれ以上の犠牲者を出さないことである。そのためのメッセージを国際的に広め、同時にロシア国民に対して圧力をかけてこの蛮行をやめさせるかが最重要だ。日本にいるロシア人に働きかける手もある。

 現状報告で終る報道に意味はない。プーチンの思惑や歴史的な経緯、さらに、日本もウクライナのようにならないためにどうするか考えるべきだ、などいうのはあとで議論すればいい。いまはひとりでも犠牲者を増やさないために、日本として、人間としてなにができるかを考えるときだ。
 ロシア国民に働きかけるツール、国際的な反ロシアと平和の世論をどう巻き起こすか、それを探りたい。

沖縄と感染 さらなる負荷がかかる

日曜日, 2月 27th, 2022

 今年5月沖縄が日本に復帰して50年になります。新聞では昨年から特集記事が組まれていましたが、それよりもこの時期沖縄が注目されたのは県内での新型コロナウイルスの急拡大でした。その後感染は全国的に拡大しましたが、沖縄での感染状況が特異だったのは、米軍基地から拡大していったという点でした。
 昨年12月海兵隊基地キャンプ・ハンセン(金武町など)でクラスター(感染者集団)が発生しました。日本が水際対策に必死になっている一方、感染した部隊は出入国の際にPCR検査をしていませんでした。沖縄の基地はアメリカ国内扱いな反面、基地内の米軍関係者は、基地を出て街なかで自由に行動することができるし、基地の外で暮らしている人もいます。また、マスクをつけていない人も多々見られます。つまり日本のルールや常識に縛られないというのが実情です。さらにこうした実態に対して日本から厳しい目で見られていることに対する意識も薄いようです。クラスター発生後に、キャンプ・ハンセンの米兵が酒気帯び運転で逮捕されたという事実がこれを物語っています。
 沖縄県の玉城デニー知事は、感染発覚直後から在沖米軍トップに米兵の外出禁止など対策を再三要請しました。しかし、米軍は当初「陽性者が出た部隊の感染封じ込めに成功している」と反応、その後日米間の協議の結果ようやく20日後に外出制限などが実施されました。

 いったい、沖縄の実情はどうなのか、北谷町に住む知人の今郁義さんに聞いてみました。北海道出身の今さんは、返還前の沖縄社会をとらえた「モトシンカカランヌー」というドキュメンタリ―の制作に携わり、以来沖縄に住み市民活動などをしています。
「基地のある金武町に行ってみたが、米兵はマスクもしていない。(アメリカンビレッジというレジャー地区のある)北谷町でもマスクをしていない米兵は目につく。また米兵はほとんど複数で行動し、レストランなどに入ってくる。基地の外で暮らしている米兵もたくさんいるが、そうした数もアメリカ側は明らかにしていない」と言い、こうした基地をめぐる問題を協議する日米合同委員会のあり方に疑問を呈します。
 日本にある米軍基地の約7割が国土の0.6%の面積の沖縄に置かれていることによる沖縄県民の負担は、飛行機の騒音、墜落、落下物による被害、米兵による犯罪とその処罰の問題など、さまざまな面で沖縄以外と比べ甚大です。
 このほか社会インフラの面でも大きなハンディを負ってきました。戦前沖縄には鉄道がありました。しかし戦後の占領下、公共の利益より基地としての利用が優先され鉄道は復活されることはありませんでした。また、沖縄を車で走ってみればわかりますが、カーナビの画面がほとんど塗りつぶされたようになってしまうことがあります。これが基地の存在です。救急車の搬送も基地を迂回しなければならないことがあります。
 さらに今、沖縄の魅力であり日本の貴重な自然でもある辺野古の海が無残にも埋め立てられ恒久的な基地がさらにつくられつつあります。そして多くの基地を抱えるがゆえの感染症のリスクがこれらに加わりました。復帰から50年、米軍基地があることによる沖縄県民への負担と不安はさらに増したことになりました。(川崎医療生協新聞より)

今こそ地球市民 世界連邦が地球を救う

日曜日, 2月 27th, 2022

 新型コロナウイルスが世界中に広まりはじめたころ、私は広島市へ出かけ加藤新一という人物について取材をはじめました。1960年にアメリカ本土をひとり車で駆けめぐり、日本からアメリカに渡った移民一世についての膨大な記録をまとめた彼の功績をたどるためです。
 1900年に広島市で生まれ、十代でカリフォルニアへ渡り農業に従事、その後現地の日本語新聞の記者、編集者になり、戦争がはじまると日米交換船で広島に帰り、現地の中国新聞の記者として活躍します。原爆の投下時には本人は辛くも難を逃れますが、弟、妹をなくします。
 妹は、亡くなる間際に「兄さん、仇をとって」と言い残しました。しかし、加藤氏は、被ばくの翌月広島を訪れた米軍の原爆調査団に同行した赤十字駐日首席代表のマルセル・ジュノー博士を案内します。そして妹の気持ちは十分組みながらも、その後新聞社を離れると平和運動に積極的に関わります。
 1952年11月、広島で「世界連邦アジア会議」が開かれた時は事務局長をつとめ、再渡米し70年に再び日本に帰って来ると、被曝25周年を迎えた広島で開かれた「第二回世界連邦平和促進宗教者会議」の事務局次長をつとめます。
 世界連邦とは、「世界の国々が互いに独立を保ちながら、地球規模の問題を扱う一つの民主的な政府(世界連邦政府)をつくることで、世界連邦運動は、第二次世界大戦後、世界各国の科学者、政治家の支持を得て急速に発展。1947年には各国の世界連邦運動団体の国際組織として「世界連邦運動(WFM)」(本部ニューヨーク)が結成されます。(世界運動連邦協会HPより)
 また、同じような考えから、元国連事務総長のウ・タント氏は、人々が地球人運命共同体意識を持つことが先決であるとして「地球市民」という概念を提唱しました。これに共鳴した加藤氏は、国家や体制の枠を越えて、全人類が同胞愛をはぐくむべきだと主張し、自ら地球市民登録をしました。また、1978年6月の第一回国連軍縮特別総会には、きのこ雲と妹、弟の写真を配したパネルを手に国連に乗り込みます。 
 国益やナショナリズムが声高に叫ばれる昨今の世界の風潮をみると、世界連邦や地球市民といった考えとは、反対の方向に社会のベクトルは働いているようです。しかし、いま私たちの前に立ちはだかるコロナウイルスによるパンデミックや地球温暖化という地球規模での課題は、まさに“世界連邦”的な考えでなければ解決できません。
 各国のワクチンの接種率をみるとアフリカなどでは極端に低くなっています。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が「ワクチン分配の不平等が長引くほどウイルスは拡散し、予測や予防ができない形で進化していく」(毎日新聞より)というように、自国のみならず地球規模で接種率を上げていかなければ、コロナ禍は終息へ向かわないのです。
 ともすると高邁な理想主義ととらえられた「世界連邦」や「地球市民」は、今まさに難関を乗り切る現実的なアイデアである、といえるのではないでしょうか。(川崎医療生協新聞より)