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「人を見たら感染者と思え」的な漠然とした政策にいつまで頼るのか。リスクは具体的に

金曜日, 4月 2nd, 2021

(川崎「医療生協」新聞4月号、「コロナの風」より)

 ようやく少し前に進んだのでしょうか。感染者の早期発見などのためのPCR検査と疫学調査の拡充のことです。以前このコラムでも触れましたが、多くの科学者、医師などが一年以上前から検査の重要性と日本での検査の遅れに疑問を投げかけてきましたが、なかなか進んできませんでした。
 それが先月、緊急事態宣言を延長する際、菅総理は、感染の早期発見とクラスターの防止のため高齢者施設などでの検査を行うこと、そして市中感染を探知するため無症状者のモニタリング検査を拡大することを明言しました。
 改めて、なぜ検査が必要かを、感染拡大の“場”として懸念されている飲食店の営業状況を通して考えてみます。飲食店の営業時間が長くなると感染者が増える。このことは、状況証拠からなんとなく推測できます。しかし、その理屈は「風が吹けば桶屋が儲かる」とまではいわないまでも、少々説明が必要です。
 あくまで一般論でかつ推論ですが、営業時間が長くなると二つのことが考えられます。一つは、より多くの人間が一定空間のなかで飲み食いすることになる。多くなればその中に感染者のいる確率は高くなる。もう一つは、仮に感染者が一人であっても長時間飲み食いし、会話をすれば、より多くの飛沫がとび他人に感染させる確率は高くなるというわけです。だから営業時間の短縮が求められてきました。
 もちろん感染者がこの中にいなければ、リスクはゼロですが、そんなことは想定されていません。誰だかわからないけれど、どこかに感染者がいるのではないかという前提(恐れ)でみんな対処しています。言い方は悪いですが「人を見たら泥棒と思え」のように「誰もが感染者かもしれない」として対処しなくてはならないのが現状です。飲食店にかかわらず、職場でも店舗でも駅でも、市中では長い間こうした息苦しい空気のなかでみんななんとか対応してきました。
 しかし、これには無理があります。不透明なリスクに対して常に最大限の準備をするのは限界があります。反対にどの程度のリスクなのかがある程度わかれば、対処の仕方も変わり精神的にも余裕ができます。だから、市中における無症状者を検査によって浮かび上がらせリスクを可視化することが必要なのです。
 無作為に行うのは効果はないでしょうが、飲食店が多く感染者が出ている地域などリスクが高いと思われる地点に絞ってPCR検査を定期的に進めることはできたはずで、こうした施策の必要性を多くの識者が提言してきたのです。
 では、諸外国と比べてもなぜできなかったのか。この点については、明らかに厚労省に問題があったことは多方面から指摘されていますが、昨年末出版された「新型コロナの科学」(黒木登志夫著、中公新書)に、特に事実分析をもとに整理されています。癌の研究家で大学学長なども歴任したサイエンスライターでもある著者が、無症状者らへの検査拡大に反対していた厚労省の言い分の問題点を指摘、反論しています。
 漠然とした不安に耐えるのは限界があります。今からでも、無症状者の検査の拡充によって、少しでもリスクを具体的に把握し、国民に提示してほしいものです。(ジャーナリスト 川井龍介)

必要な検査がまだ進まない ノーベル賞学者も首を傾げる

金曜日, 4月 2nd, 2021

 (川崎「医療生協」新聞2月号「コロナの風」より)

 とうとう病院や療養施設の受け入れ体制の限界から、本来助かったかもしれない命が失われるという最悪の事態になってしまいました。適正な対策をとらなければこうした事態を招くかもしれないことは、昨年の春、夏から専門家の指摘によって予測されていたことを考えると政府の責任は重いでしょう。
 実行されていない適正な施策とは、PCR検査の拡充と、感染者のための療養施設の十分な確保、そして医療現場への支援です。とくに検査の拡充については、なぜ実施できないのかかなり前から批判が続いています。感染拡大を憂慮して、1月に4人の日本人ノーベル賞受賞者が政府に要望した5点の中にも「PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離の強化」がありました。
 4人の1人、本庶佑氏は、GoToトラベルなどの業界支援ではなく、検査数をより増やすために集約して資金を投入すべきだと強調し、厚労省がなぜこうした対策をとらないのか理解できない、と怒りのこもった疑問を呈しています。政府の対策諮問委員会のメンバーの谷口清洲氏(三重病院臨床研究部長)も感染源を減らすことの重要性を説き、PCR検査による感染者の早期発見と、待機・入院などの保護、そして無症状者の検査強化による感染広がりの抑制を訴えています。
 経済政策の観点からも、政府の感染症対策分科会のメンバーでもある経済学者の小林慶一郎氏は、昨年春から効果的な検査の拡充による感染者の洗い出しなど「検査・追跡・待機」の実施が、感染拡大防止になると提言してきました。
 PCR検査については、偽陽性の者を含めて保護することは人権上や収容能力の面からできない、また偽陰性の者が感染を広める可能性があるなどとして、研究者やジャーナリズムのなかでも慎重論、反対論がありました。しかし、偽陽性については、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が、「検体に新型コロナがあった場合、結果に誤りはでない」と、権威ある医学誌の論文をもとに反論しています。加えて偽陽性者の存在を理由にしたPCR検査拡充の反対論は、感染者の追跡が難しい今、真の陽性者の存在を放置するにすぎません。
 また、PCR検査は頻度が重用であり、偽陰性はあるものの頻度を増すことによって感染者を減らすことができます。偽陰性の問題は一般に知られていますから、1回の検査で陰性だからと言って安心して行動することにはならないでしょう。いずれにしても偽陽性、偽陰性の問題から検査の拡充を抑制するというのは感染者を減らす目的からすれば本末転倒です。
 費用の問題については、GoToキャンペーンに費やした予算と比較すればできないはずはなかったことは明らかです。そもそも保健所の負担が大きいというのであれば、減らす手立てを講じ、検査の民間への委託も行えたはずです。この点は、昨年8月に退官するまで現場の最高責任者として感染対策にあたっていた厚労省鈴木康裕・前医務技監も認めています。
 つまり、感染源を減らすという施策を、難易度が高いからなのかその理由はわかりませんが、政府・厚労省は積極的にとらなかった。他国での成功例がありながら、検査によって動ける人と動けない人を分け、経済活動を部分的に動かしていくべきだという提言に耳を傾けなかった。その代わりに国民に「お願いします」と自粛と要請を繰り返し、社会に薄く広く息苦しいマスクをかけてきたように思えてなりません。
 本来いち早く行うべき医療従事者や福祉施設で働く人への検査にも積極的に取り組んでいません。自分が感染しているのではないか、患者、利用者に感染させてはいけないという緊張感を保ちながら業務にあたっている人のストレスはピークに達しているでしょう。検査拡充が一気にできないなら、せめてこうした現場の人への検査を優先して公費で行えるようにすべきではないでしょうか。 (ジャーナリスト 川井龍介)