Archive for the ‘禍福, Both Sides’ Category

パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に

火曜日, 7月 20th, 2021

 禍福は糾える縄の如し。どんなことにもいい面と悪い面がある、ともとれるこの諺は実に的を射ている、ということを年とともに痛感します。いいことなどなにもないと言いたくなるコロナ禍についても、偶然ながらプラス面もあります。
 これまであまり注目することがなかった各自治体の首長の素顔や力量がわかったことはその一つです。地元の行政もしっかり監視しないとまずいぞ、という有権者としての自覚に目覚めたというのはいいことでしょう。
 また、コロナ禍で経済活動が低下し成長も低下する、と否定的に報じられますが、経済活動の低下で二酸化炭素(CO2)の排出量も減少し、空気もきれいになったという話も聞きます。これは、世界的な課題である地球温暖化を抑えるためには、皮肉にも功を奏していることになります。
 経済成長と環境問題との関係で言えば、古くは1970年代に国際的なシンクタンク「ローマクラブ」が「成長の限界」を発表し、地球の天然資源は有限で、人口増や環境破壊の面から将来成長は限界に達すると警告しました。しかし、その後も経済成長信仰は崩れず、気候変動に象徴されるように地球環境システムは崩壊の危機に瀕しています。
 そして、いまでも一般に経済成長とCO2の排出削減(温暖化阻止)は両立できるという前提で議論が行われています。しかし果たしてそうでしょうか。将来人類に未曽有の被害をもたらすだろう気候変動の根本的な原因は資本主義にある、と警告する今話題の書「人新世の『資本論』」(集英社新書)の著者、斎藤幸平氏はこの疑問に明解に答えています。
 経済成長が順調であれば資源消費量が増大するため、二酸化炭素の削減が困難になっていくというジレンマがあり、市場に任せたままでは、今後の技術革新があってもとても削減目標は達成できないというのです。
 斎藤氏は、今起きている「新型コロナウイルスによるパンデミック」は、「経済成長を優先した気球規模での開発と破壊が原因である」という点で、気候変動問題と構図が似ているとし、こう警告します。
「先進国において増え続ける需要に応えるために、資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスとの接触機会が増えるだけではない。自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間、とりわけ現代のモノカルチャーが占める空間は、ウイルスを抑え込むことができない。そしてウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、瞬間的に世界中に広がっていく。」
 「以前からある専門家たちの警告」、「経済か人命かのジレンマの中での根本的な対策の遅れ」。これらも気候変動問題と同じだと指摘します。
 こうしてみると、コロナ禍は、気候変動というより大きな地球的問題への警鐘なのかもしれません。今後も起きるだろうウイルスの問題を教訓とし、今こそ問題の根本原因にある資本主義から離れ、氏の言うように脱成長コミュニズムを真剣に議論すべき時ではないでしょうか。

情報過多と機会過剰~受験シーズンに

土曜日, 2月 2nd, 2013

 受験シーズンまっさかりである。「センター試験」なるものを経験したことのない世代、あるいは受験生が家族にいなかった人にとっては、昨今の入試は非常に複雑に見えるのではないか。
 私はいまちょうど親戚の受験生を預かっているのでようやく理解できたが、複雑なだけでなくどうもその仕組みや受験業界に違和感を覚える。ひと言でいうと、情報過多・機会過剰にみえる。

 その理由は以下の通りである。今の大学受験生は、大きく言えば「センター試験」という全国共通の試験と各大学が行う独自の試験の両方、あるいはどちらか一つを受ける。
 センター試験では、その成績を“自分の持ち点”として、いくつもの大学に挑戦することができる。もちろん一つひとつに受験料が必要になる。
 従って、一回の試験で同時にいくつもの大学に合格することがある。これで行きたいところへ決まれば御の字だが、センター試験は個々に大学が行う一般受験に比べて難易度が高いので、多くの人が同じ大学の一般試験も並行して受ける。
 また、大学によって後期日程試験などといって再度挑戦できる仕組みを設けているところもあって、前半で失敗した人や前半で日程が合わなかった人が受けることができる。いろいろあるが、とにかく受験チャンスが広がっている。

 チャンスが多ければ、挑戦してみようという気になるのが人情で、「下手な鉄砲も~」といっては失礼だが、とにかくあれもこれも受ける人が出てくる。これは一見いいことのように見えるが、物事にはつねにプラスとマイナスがありこれもまた例外ではない。
 当然受験料は膨れあがる(大学側からすれば収入が増える)。さらにあれこれ受けられるということは、なかにはそれほど興味がない大学や学部でも、とりあえず受けてみるかという話にもなる。

 だいたい高校でも予備校でも大学選びを社会との関係で教えるようなことはしていないので、大学名や偏差値偏重で指導する。「○○大学は商学部より文学部の方が君には受かりやすいよ」というようなアドバイスを平気でする。
 受験生も学部の内容など吟味していないから、そんなものかという気になる。こうなると、受験している大学、学部はバラバラで、果たして自分がなにを勉強したいのかなど本質的な問題はどこかへいってしまう。
 自分の希望や意志は揺らいで、気持ちに芯がなくなる。情報に適応して自分がかわってしまう。チャンスが多すぎるということはこういうマイナス面がある。

 受験だけではない。昨今の就活では景況の厳しさもあるが、とにかくやたらめったら数多くの会社にアプローチする。数十の会社を受けるのは当たり前のようだ。それもエントリーとかいってインターネットでアプローチだけは簡単にできるから試してみる。

 こんなになったらわけがわからなくなるので、その情報を整理してまことしやかに指南するコンサルタント業者が“活躍”する。自分で決められればいいものを心配のあまり、こうした業者に金を払って解決しようとする。受験の話に戻れば、高校が十分に機能しないから予備校や塾に金を払う。

 情報は多く、チャンスも広がっている。別の言い方をすると手段だけは増えている。そしてそれは金で買える。工作にたとえれば道具だけは腐るほどある。金を使えば立派な道具が手に入る。でも、何を作ったらいいか決まっていない。そんな状況にいまあるのではないか。
 これはなにも受験、就職だけではなく、我々の社会のありとあらゆる面で言える。電子機器をはじめ科学技術に支えられた素晴らしい道具やそれを使った仕組みで複雑なことや大量なものを処理することができる社会で、私たちはいま目的と内から出てくる意志を失いつつある。

世界三大“当たり前”ー 元旦の海と病院

水曜日, 1月 2nd, 2013

 元旦の湘南海岸は穏やかで、適度なサイズの波に“初乗り”するサーファーたちが集まった。空気は澄み富士山もくっきりと青空に映えた。私は自転車で茅ヶ崎海岸を江ノ島の方に向かい、ヘッドランドといわれる広い浜に下りた。陽の光が粒のように反射する海面に浮かび、波をとらえて滑るサーファーたちを眼を細めてしばし眺めていた。
 こういう瞬間だけは気が休まる。「やっぱり海はいいね、自然はいいな」と、まったく“ベタな”な言葉が浮かんでくる。

 家に戻り、「のんびりとしたいい正月だ」などと家人にいいながら、ふと、元日でも働いている人はたくさんいるし、さらに、病院で正月を過ごす人もかなりいるんだろうなと、この気分を味わえない人たちに同情した。
 そんなことを思ったからではないだろうが、夕方になってとんでもないことが起きた。車で小一時間ほど離れた所に住む母親がなんと入院することになってしまった。80歳を過ぎている母親は年末に、やたらと眠りはじめ、おかしいことを言うようになったという。

 近頃物忘れが激しくなり、コミュニケーションもややうまくとれないことがあったし、認知症の疑いをもっていたので、それが形を変えて表に出たのか、と最初は思った。しかし、少し頭が痛いといっていたこともあったので、心配になり病院に連れて行くと、「CTを撮った方がいいでしょう」ということになり別の大きな病院へ。
 結果は、脳内で出血していることがわかり即入院、集中治療室に入った。一時はどうなることかと思ったが、一夜明けて幸い容態は安定し、会話もできるし体の麻痺などもないようだったのでまずは安心したが予断を許さない状況にはある。

 母親は、元旦の午前中もほとんど眠っていたので、せっかく用意したおせち料理も食べないまま、入院。しばらくして「お腹がすいた」といい、翌日の朝も出された食事に、「これしかないの?」とがっかりしていたようだが、まだ“食い意地”が正常に残っているところでこれも一安心ではあった。
 おそらく本人にとっては、出産以外では初めての入院で、それも元旦ということで「なんでこんなことになったのか」と、訳がわからず混乱したようでもあった。

 昨年は、親しい友人、知人が4人入院して、手術を受けた。私は暮れに胃と大腸の内視鏡の検査を受けた。ひょっとするとどこか悪くて、自分も手術なんて事になるのかもしれない。そんな心配もしていたが結果は大きな異常はなく、少し安心して年を越したが、こういう形で元旦から“入院”が身近なものになってくるとは・・・。まったく人生は予想外な事がいつも起きる。

 二日の天気は晴れたが、一転して南風が砂浜を巻き上げるほど吹いた。一方、母親の容態は安定した。「自然の美しさ」、「健康の大切さ」、そして「世の中何が起きるかわからない」という、世界の“三大当たり前”をしみじみ感じた年の初めであった。

沖縄の実態を想像しよう

月曜日, 10月 15th, 2012

  私の家は、三階建てのマンションの駐車場と細い道路を挟んで接している。ここは袋小路なので、マンションに用のある宅配便などは、この駐車場でUターンして出入りする。 小刻みな時間帯で、荷物などを授受できることで、ずいぶん便利になったと思うが、その一方で頻繁に出入りする自動車の音が気になる。はっきりいってうるさいと感じることもしばしばだ。 

 音の問題は個人差はあるが、一度でも飛行機の離着陸する基地のそばに行ったことがある人なら、その騒音は耐え難いものだと身に染みるだろう。日本中のこうした基地、とくに沖縄の普天間周辺の人は、この騒音と日々つきあい、万一事故が起きたらどうしようという精神的な不安と緊張感を抱えてきた。

 いままでさんざんそういう思いをしてきたから、オスプレイの配備についても拒否反応を示すのは当然だろう。特定の軍備についての安全性という問題ではない。戦時中から沖縄が本土の防波堤と位置付けられ、地元では日本軍からも同じ日本人とは別の扱いを受けた記憶をもつ人は少なくない。

 さらに戦後の占領下はもとより、返還後も基地がある事によって起きた米軍兵による犯罪の被害を受け、なおかつ公正な処罰が受け入れられなかったという多くの事実があるのはいうまでもない。
 そういう歴史のなかで、アメリカの要求するままに沖縄に負担が増えるという危惧を及ぼす政策が繰り返されることにがまんがならないという気持ちは、沖縄以外の人でも歴史を知り、現地のことを想像してみれば容易に理解できることだろう。これはイデオロギーでも、政治的な問題ではない。
 
 その深い苛立ちを押し切って先日配備されたオスプレイは、さっそく沖縄で住宅地の上空を飛行した。とんでもない話だ。オスプレイの安全確保策を協議した日米合同委員会は「運用上必要な場合を除き米軍施設・区域内のみで垂直離着陸モードで飛行し、転換モードの飛行時間はできる限り限定する」と合意しているのに、もうこれに反している。

 さらにひどいのは、この合意違反に対する玄葉光一郎外相のコメントだ。彼は、10月5日の閣議後の会見で「沖縄に懸念の声があるので、よく守ってほしいと(米側に)伝えた。これから事例を集めてフォローしなければならない」という。
 まるで他人事のような言い方ではないか。これじゃ沖縄の人が怒るのも無理はない。あれだけ問題になっていながら安全性以前の、普通の約束事すら守られず、それを知っても地元の怒りすら代弁できないのである。

 自分の住んでいるまちや故郷が長年にわたって同じような扱いを受けたら、きっと沖縄でオスプレイ配備に反対する人の気持ちがわかるだろう。国益のために仕方ないなどという論が沖縄の基地問題についてはよく展開されるが、長年にわたって同じ国民の平穏な生活をこれほど犠牲にして成り立つ国益とはなんなのか。 

 そういう安易な国益論が、これまで反対者に“地域エゴ”というレッテルを貼ってきた。あるいは生活者からの発想を、イデオロギー的な信条とみなすことで封じ込めようとしてきた。
 本当の地域エゴというのは、安全とわかっている震災の瓦礫を受け入れようとしない市民や、自分のところには基地の受け入れを拒否するくせに、沖縄の基地負担を仕方ないと考えることだ。
 沖縄をめぐってはいま独立論が話題になっているという。日本の国の沖縄に対する扱いが植民地を扱うようなものに似ているからである。  

ひとり、海辺のデニーズ

水曜日, 7月 25th, 2012

 アメリカで起きていることが、10年、20年たって日本でも起きる。若いころから聞いてきたこの格言めいた言葉が、かなり本当だということは歳を重ねるとわかる。
 20数年前、私は中部フロリダの大西洋に面した町にいた。スピードウェイで有名なデイトナビーチという町に仕事で通い、住まいはその北隣、オーマンドビーチという町だった。

 海沿いのA1Aという南北に海岸と並行して走る旧道からちょっと入ったあたりにレストラン、デニーズがあった。日本のデニーズとほとんど同じだったが、日本でファミリーレストランと呼ばれる、そのファミリーのほのぼのとした雰囲気は希薄だった。
 近くにあるドクター・ルイス宅に寄宿していた私は、ときどき一人でデニーズに行き食事をした。

 いかにも人工的に開発されたフロリダの町のなかで、アメリカらしいチェーン店のレストランに入り、ひとり食事をしているとなんとも言えない寂寥感が漂う。周りを見回すと、ひとり老人が食事をしていた。
「ああ、日本ではほとんど見られない光景だけど、アメリカでは老人がひとりファミレスへ行くんだ」。そう思ったのをいまでも覚えている。1986年のことだ。

 フロリダはご存じのように、北東部を中心にアメリカ各地からリタイアした人たちが集まる場所としても知られているほど、お年寄りの多い州だ。そういうこともあるだろうが、ファミレスというファミリーで来るようなところにひとりでポツンと座っている姿は少し寂しい。

「いつか日本でもそんな光景を見られるようになるのかな」。そうも思ったものだが、その答えは今の日本のファミレスを見ればわかる。場所によってお年寄りがひとりで来ることは珍しいことではなくなった。

 ひとり暮らしのお年寄りが増えたのだろう。小さな子供連れの歓声のなかでひとり高齢者が食事をするのは居心地が悪いかもしれない。しかし、こういうことは常に両面ある。煩わしさから逃れられるという利点もまたある。家族は決して温かさだけが満ちているわけではない。

 その点については、アメリカ人は割り切っていて、孤独に対する耐性のようなものを持っている。空間的にも広く人の移動も大きいから、離ればなれの親子などいくらでもある。クリスマスの時だけやってきてディナーを共にする。そのくらいでいいのだと。
 孤独と自由は表裏一体で、愛と煩わしさも同じ関係にある。

 土曜日の早朝、わが家の近くにある海辺のデニーズにひとり行ってみた。後ろの席に座る高齢のカップルはどうやら夫婦ではなく、明るく話が弾んでいる。少し離れた所の両親とティーンエイジャーの3人家族は、ろくに会話もなく父親は横を向いて新聞を広げていた。(川井龍介)