Archive for the ‘Night & Day’ Category

サザンがやってきた、茅ヶ崎凱旋ライブ 

土曜日, 8月 31st, 2013

 2013年8月31日、ただいま午後4時30分。あと1時間でサザンオールスターズの茅ヶ崎ライブがはじまる。開場となる野球場運動公園周辺は、サザンファンがつめかけ、公園に近いわが家の周辺には、一部のファンが路上からライブを楽しもうと集まっている。

 野球場が開場となり、バックネット側に巨大なモニターがならび演奏する。そのバックネットあたりのモニターと音響設備や照明の一部がちょうどわが家の二階ベランダから見えることがわかった。(★写真は、電信柱と電線が交錯する向こうに見えるライブの装置を望遠でとらえたもの)

 

 よく見るとモニターの動画もなんとなく分かるではないか。さきほどはリハーサルで、桑田が、「涙のキッス」と「夏をあきらめて」が歌っているのが、風呂場で聞こえた。なんともいえない贅沢な気分になってきた。

 開場で見たいのはもちろんだが、残念ながらはずれてしまった。しかし、自宅で窓を開けて聞くライブもまたいいもんだろう。桑田にとっては久しぶりの凱旋ライブ。このほど茅ヶ崎市民栄誉賞も受賞し、まさに市民の誇りであり英雄だ。

 地元では彼のことを悪く言う人に会ったことはないし、サザンが嫌いだという人も知らない。地元に愛され、地元で恩返しをできる。桑田という人は才能もさることながら幸せな人だ。
 
 桑田の歌のいいところは、村上春樹的に言えば、歌が完結して閉じていないところだ。愛しさや、やるせなさや、哀しさをつづる歌は、歌が終わってもどうなるものでもなく、気持ちは投げ出されたまま。そこがいいのだろう。
  
 ヘリコプターがさきほどから公園の上空を旋回している。開始まであと30分。さて、シャワーを浴びて酒の用意をするとしよう。ところでオープニングはなんだろうか。前回は、「希望の轍」だったが。けっこう「You」とかいいと思うんだが、どうだろう。 

ワラビと訃報

水曜日, 6月 26th, 2013

 夜中や早朝にかかってくる電話に、いい話はない。この時間、電話が鳴ると胸騒ぎがする。この日は朝9時ごろになって、早朝に携帯に着信があったのに気づいた。親戚からの電話だった。かけ直してみると、従姉妹が亡くなったという。いやな予感はあたるというか、いい予感などあまりもったことがないから分からない。悪いとは聞いていたが、まだ59歳、これほど早いとは。翌々日、弔いのために東北・秋田新幹線から在来線に乗り継ぎ、静かな町に降りた。

  さっそく線香をあげにいき、親族と話をしたあと、亡くなった彼女の兄夫婦に誘われて夕食をともにすることになった。案内されたのは、品がよくこぎれいな料理屋。稲庭うどんのついた“御膳”を頼むと、「ワラビ食べますか」と従兄弟がいう。出てきたのは、小鉢に入ったゆでたワラビで、すーっとまっすぐきれいにまとまっている。生姜が上にのっていてる。こうしてワラビを食べるのは久しぶりだな、とぼんやりしながら口に入れると、その食感に「昔この秋田の田舎で食べたな」という記憶が蘇った。

 味覚で過去を思い出すというのは、あまりなかったことなのでこのこと自体が新鮮でもあった。田舎は母親の実家があったところで、子供の頃はときには夜汽車に揺られながら夏休みによくやってきた。母は兄弟姉妹が多いので、いとこの数も多く、彼らと賑やかによく遊んだものだった。亡くなった彼女もその一人だ。

 いまは実家はなくなり、いとこたちもほとんど田舎を離れた。みなそれぞれに忙しいようで、今回も顔を見ることはなかった。思い出話をしようにも、相手のいないなかで一泊して戻ってきた。ワラビのさわやかな食感だけが過去へのつながりとして残った。

万年筆と身上申告書

土曜日, 3月 16th, 2013

 筆記用具をなかなか捨てられない。赤や黒のボールペン、赤鉛筆、普通の鉛筆、シャープペンシルにサインペン・・・。わが家では整理棚や小物入れの中にまとめてしまってある。 仕事柄ずいぶんと彼らにはお世話になった。だからなかなか捨てられない。文字を「書く」ことが少なくなりキーボードで打ち込むのが大半になったいまもだ。一番使わないのにとくに捨てられないのが万年筆だ。

 大事にしていていたわけではないが、高校か大学時代に父親にもらったもので、パーカーというブランド品だったのでとっておいた。当時でいえば“舶来の品物”だ。細かい格子模様でいぶし銀の色艶だが、本来はもっときれいな銀色だったのかもしれない。それほど外見はみすぼらしくなってしまった。

 しかし、本体を握ってみると、細身の割にずっしりと重く金属のいい質感が伝わってくる。急にこれで文字を書いてみたくなった。文具屋に行くと、かつて使っていたパーカーのブルー・ブラックのインクカートリッジはまだ売っていた。5本で500円余。

 このペンにインクが通るのは30年ぶりくらいになる。果たしてペン先は傷んでいないか、心配しながらカートリッジを差し替えてしばらくしてノートにペン先を滑らせると、これがなかなかなめらかに走る。多少太めなところは変わりなく、男性的な味わいの文字になる。
 以来、気をよくして机の上でノートに書くときは、ボールペンの代わりにしばしばこの万年筆を使っている。古いオーディオ機器などと同じように、捨てられずにとっておいたものが再び役に立つというのはうれしいものだ。
                 ※
 大正生まれの父親が亡くなってもう20年近くたつ。父の書く字が、なんとなく自分の字と形が似ていることにある時気がついた。自分と似た筆跡も手がかりとなって、父の若いころのことで、知らなかったことが最近わかった。
 父が十代で満州の新京にある商業学校へ行き、そののち徴兵されて再び満州に趣き、最後は朝鮮の平壌にいたことは昔聞かされていた。しかし、戦時中でそれ以外のことは知らなかった。戦争に関わる古くさいことなど、高度経済成長期の子供だった私にはなんの興味もなかったし、父の方もそういう相手に話す気にもならなかったのだろう。

 恥ずかしながら最近になって、戦時中の父のことを調べてみようと思いたった。歳のせいかもしれない。兵籍について県の地域保健福祉部生活援護課というところに問いあせたところ「身上申告書」なる書類のコピーが送られてきた。兵役についていた者の引き揚げ時の記録だ。
 そこで初めて私は、父が所属していた部隊や配属先、そして終戦の翌年、仁川を出て博多港に上陸したことを知った。記録は1枚の紙に手書きで記されていた。よくみると父が自分で書いたとものに違いなかった。筆跡に見覚えがある。
 私が誕生する10年ほど前のこと、当時23歳だった父が書いた文字は、56歳になったいまの私が、パーカーで記す文字とどこか似ていた。

最後の年賀状

金曜日, 1月 18th, 2013

 この正月にいただいた年賀状をみると、表の宛名ほほとんど印刷された文字で、手書きものは数えるほどだった。手書きの文字はそれぞれ癖があり、差出人の名前を見る前に、「この美しい筆跡は・・・」とか「ミミズののたくったような字はたしか○○だ」などと、時に懐かしさを感じたものだった。

 風貌や体型はかなりかわっても、筆跡というのはそれほど変わらないものだ。手書きの文字はきれいだろうが下手くそだろうが、人間的な息づかいと人となりが伝わってくる。それを思い出すから、逆に印刷された文字はなんとも味気なくみえる。
 裏面の挨拶もたいていは印刷だ。ひと言でも手書きの文字があれば、温かみもあるのだが、すべて印刷文字となれば、差出人と個人的に向き合った気がしない。こうして賀状はますます形式化していくのだろう。
 
 手書きで私の住所と名前が記されてた賀状のなかに、これまでいただいた賀状にはなかった文面をみつけて少々はっとした。それは、この賀状が最後になるという挨拶を兼ねた一文だった。
「つきましては誠に勝手乍ら、以後年賀状の儀、失礼させていただきたく、よろしくお願い申し上げます」とあった。
 差出人のAさんは今年84歳。7回目の干支の巳年を迎え、どうやら高齢を理由に賀状の挨拶はこれを最後にし、転居など今後の通知も遠慮したいということだった。

 高齢になれば人付き合いなど鬱陶しくなることはよく聞くし、まだ50代の自分もその気持ちは多少理解できる。しかし私がこの賀状にはっとしたのは、Aさんのこれまでの生き方を知っていたので、文面から潔さのようなものを感じたからだった。
 Aさんは会社をリタイアすると、妻とともにヨーロッパに居を構え、そこを拠点に数年かけて大好きな美術鑑賞のための旅をした。名作の本物をその目で確かめ味わってきた。目的を達成したのちは、この間他人に貸していた都内のマンションに戻り、趣味をみつけて静かに暮らしてきた。

 子供はいるが、成人したら自分で暮らしなさいと自立させた一方、老後はできるだけ子供たちの世話にならないようさまざまな面で段取りをしてきた。日本の葬儀の形式的な面を嫌い、自分が死んでも葬儀はしない。生前の意思として万一の時についても「尊厳死」を選び、亡くなった後の実務的なことまで、処理してもらうよう契約をしてある。
 その流れからすれば、高齢になり自分の意思がはっきりすしているうちに、「これにて年賀状の儀は最後とする」という決断をしたのだろう。
 
 ある年になって、事情があって賀状が出せなくなったり出すのが面倒になったところで、だれに迷惑をかけるわけではない。しかし、賀状をもらえばやはり礼儀として返事を出さないわけにはいかない。また、事情を知らずにAさんに賀状を出してしまう友人、知人のことを考えると申し訳ないという気持ちもあるのだろう。
 Aさんは、最後の年賀状のなかで、あれもこれもみなさまのおかげです、と感謝の言葉を述べている。

 人は自分の寿命はわからないし、将来など予測もできない。だから、流れに身を任せていくという生き方もある。しかしAさんは、できる限りある種の方針をもって、さまざまな場面に対処してきた。言い方を替えれば、意志を持って「決める人生」を貫いてきた。
 だからこれにて賀状を最後にすることを決めたのである。もう賀状をいただけないかと思うとさびしい気はするが、新年早々、清々しさをいただいたと思うことにした。

変わる人、まち、東京タワー

土曜日, 9月 29th, 2012

 ニューヨークで仕事をする古い友人が17年ぶりに日本に帰ってきたので、都心で昼食を共にすることになった。
「景気が悪いって言っているけど、思ったほど東京は変わってないね」。彼はそう言った。

 私の方は、都心に出るのは一ヵ月ぶりくらいで、その日は都内に泊まり、翌日港区麻布台の外交資料館へ調べ物に出かけた。
 閉館までいて外に出ると風が涼しく気持ちがいい。ぶらぶらと夕暮れ時を飯倉の交差点から神谷町の地下鉄駅まで歩くと、途中小路に入ったところで目の前にどーんと東京タワーを見上げることになった。

 なかなかいいバランスで、いかにもタワーと呼ぶに相応しい尖った二等辺三角形を形作っている。しかし、いつもこのタワーをみるとキングコングかゴジラがまつわりついている図柄が頭に浮かぶ。

 相変わらずなタワーに刺激されたのか、いろいろなものが懐かしくなり、その足で昔なじみの神田の飲み屋へ向かった。時々訪れたスポーツ用品店は、サーフィンからスノボーにメインが切り替わっている。飲み屋を訪ねるのは2ヵ月ぶりくらいだった。

 まだ早い時間一人お客がカウンターにいた。アロハを着た初老の男性だ。ビールを注文し、以前よくこの店で顔を合わせた常連さんの話になった。
「○○さんはよく来ますか?」
「ええ、でも今度いよいよ会社辞めることになったらしいですよ」

 どうやら早期退職のようだが、本人も望んでいたことなので、いまは退職後の計画を練っているらしい。南の方に移住するという話は以前から聞いていた。
「××ちゃんは?」。深夜の常連の女性についてたずねた。
「そうね、最近余り見かけないけど・・・」

 短い間の変化だが、なんとなく時の流れを感じた。そのうちカウンターの客が帰った。長年勤めた会社を辞め再就職先を探しているらしい。

 互いにへたくそながら店主とふたりでサーフィンの話になると、私も知る彼のサーフィン仲間が一人ガン治療のためしばらく海を離れたという。
「いつもインサイドで乗っているのが、アウトサイド(沖)にいるから、どうしたの今日はってきいたら、“最後だから今日はアウトから行くんだって言ってましたけどね」と、治療前の海での様子を、店主がやさしく語った。

 大きく見ればそれほど変わらない東京で、人の生活は日々変わり続けている。台風が近づいている。波は上がって海はクローズになる。   

防犯カメラと三面鏡

土曜日, 6月 16th, 2012

 地下鉄サリン事件などで手配されていた容疑者の逮捕までの過程で、防犯カメラの存在がずいぶんと話題になった。カメラは、ふだんは気がつかない都市部のさまざまところに設置され、われわれは、しばしばカメラで正面から、そして後ろからと、いろいろな角度でとらえられている。

 もし、自分が映ったその映像(画像)を見せてもらったら、「へぇー、俺ってこんな感じで動き回っているんだ」とか、「私の歩き方は後ろから見るとこんななの?」といった新鮮な驚きがあるだろう。
 日頃自分が向き合う自分は、たいていは正面からみた鏡の中の姿だ。一方向からの平べったい自分でしかない。
 しかし、かつての日本人、特に女性は三面鏡で自分の後ろ姿や横からの姿を眺めていた。あるいはアップにした髪や襟足などを手鏡をつかって気にしていた。
 こんな話を床屋でしていたら、
「そうですね、女の人でももう少し襟足をきれいにした方がいいんじゃないかなって思う人がたまにいますね」
 と、それほど自慢できる後ろ姿ではない床屋の店長がいう。

 電車にのれば、相変わらず他人の前で化粧をしている女性をよく目にする。先日、東海道線の電車に乗っていると、ボックスシートの女性が周りを人で囲まれているなかで化粧をはじめた。すぐ近くで立っていたので嫌でも目に入ってくる。

 なにやら頬に塗っているようだったが、そのうち口の前を片手で隠して、もう一方の手に何かを持って、少し顔をゆがめている。これを繰り返している。なぜ化粧で顔がゆがむのかとおもっていると、毛を抜いていたのだった。目の前では初老の男性が文庫本を読んでいる。彼もいたたまれない気持ちだったろう。ここまでくると、露出狂から受ける被害に近い。

 彼女は30歳前後の普通のOLに見える。他人によく見られたいと思って化粧というものはするはずだが。それとも、ただの自己満足のためか、彼氏や彼女など特定の人のためなのだろうか。

 いま三面鏡のある家はどのくらいあるのだろう。他人を見る目は厳しく多角的になっている。その一方で自分を見る目は単純で、薄っぺらな自分しかとらえていない。 彼女を見ていた私もそういう目だったのかもしれない。

深夜の悩みとラジオデイズ

日曜日, 6月 10th, 2012

 ラジオの深夜放送全盛時代、ティーンエイジャーはラジオのディスクジョッキー(DJ)に対して、はがきを書いたり、電話でラジオでながす曲をリクエストした。そして人気のDJには“人生相談”、“悩みの相談”をもちかけたりした。
 DJはこれらに真摯に答え、ラジオの前の同世代の男女は、深夜でなければ考えられないようなシリアスな話しに耳を傾けていた。今は亡き、野沢那智、土居まさるなど、いろいろなDJがはがきを読み上げ、結構真剣にリスナーに語りかけていた。

 こういうDJのなかで一人だけ絶対にこうした相談事にかかわらない人がいた。もっとも年齢の高い、糸居五郎だ。「ゴーゴーゴー、イトイゴロー、ゴーズオン」という決まり文句で、流行音楽とは一線を画して、独自な選曲でファンキーな曲を流していた。音楽について職人気質の人だった。

 彼が亡くなってからあるテレビ番組彼のことを特集していた。その中で印象的だったのが、彼が若者からの人生相談などを一切受けなかった理由である。正確には忘れたがこんなことを言っていた。
「だって、リスナーにとって私はラジオの向こうのただの他人ですよ、その私になにがこたえられます?」

 彼がいなくなってから30年近くたつが、いまの若い人は、いや年配者もか、誰かとつながりをもちたくてしかたがないようで、フェイスブックなどでネットワークを広げている。そして、さまざまなネット上の掲示板で悩みをこぼしあい、どこの誰かわからない人に答えを求めている。

 当時に比べれば格段に相談する手段や相手は増えた。今夜もどこかの誰かが、どこの誰ともわからない人に人生の悩みを打ち明けている。無責任ゆえに気軽に、明日になったら忘れるような問いと答えがネット上を行き交っている。 

高度な認知症

木曜日, 5月 17th, 2012

 病院関係者との議論のなかで、「高度認知症は終末期なのか」という話題が出た。認知症がかなり進んでいくと、たとえば食べ物を食べ物と認識できなくなったりするらしい。また、肺炎を起こしやすくなったりするという。
 しかし、直接認知症そのものがガンなどと同じように死に至る病となるのとはわけが違う。
 ところで終末期とは、余命がある程度はっきりした状態、つまり改善は見込まれずに近い将来死に至ることを指す。したがって高度な認知症=終末期なら、認知症がひどい場合はあと少しで死に至ることになる。 
 問題はそこからさきで、高度な認証の患者をどう扱うかということだ。人権の問題もあるだろう。少しみんなで勉強しようということになった。
 

なんでも“個人情報”

木曜日, 5月 17th, 2012

 知人の働く女性があるとき携帯をなくした。さっきまでいた喫茶店で落としたのかもしれないと思い電話をしたが届けは出ていないという。
 都心にあるチェーン店ではないが3,40人は入れる大人がよくつかう喫茶店だ。ほかを探してもなかったので、もう一度確かめてみようと思い、彼女は喫茶店まで足を運びそこで働く若者に事情を話し、こう頼んだ。

「もし、今後みつかったら連絡先をいいますから、連絡してもらえますか」。
 すると、その若者は「いやいやそんなこといわれても困ります、個人情報を教えられても・・・」と、半ば狼狽したという。これにはなんだか釈然としない気持ちながら、彼女は仕方なく帰ってきたという。
 個人情報には違いないけれど、こういうのを勘違いというのだろう。 

非道なメール

木曜日, 5月 17th, 2012

 関越自動車道で起きた高速バス事故の続報として、こんなニュースがあった。ウェブサイトでバスのチケットを売った楽天トラベルが自己翌日に被害者やその家族らに「ご乗車はいかがでございましたか?」などとアンケートの電子メールを送っていた
 こうしたメールは出発日の翌々日に自動的に送信されるシステムになっていて、楽天側は関係者に不快な思いをさせたことを陳謝した。
 所詮機械のやることと思ってしまえばそれまでだが、失礼と言えばあまりに失礼な話だ。
 似たような例で、アマゾンからのメールで「おすすめの本があります」と、私のところにときどきリストが送られてくる。過去にチェックしたり購入した記録から、自動的に機械が判断しておくってくるのだが、あるとき私が書いた本がそのリストのなかにあった。
 自分の書籍についてのレビューなどを見るときがあるので、これも自動的に送ってきたのだろう。“いい本がありますよ”と言われて、見たら自分のものだった。「なめてんのか」と言いたくなるのはまだ相手に血が通っていると思ったりするからか。
 どんなものにも利点と欠点がある。便利なものにはその裏返しがある。人間ができることを機械に代替させるのはある程度いいが、人間味を出そうとすると妙なことになるのかもしれない。