Archive for the ‘新型コロナウイルス’ Category

沖縄と感染 さらなる負荷がかかる

日曜日, 2月 27th, 2022

 今年5月沖縄が日本に復帰して50年になります。新聞では昨年から特集記事が組まれていましたが、それよりもこの時期沖縄が注目されたのは県内での新型コロナウイルスの急拡大でした。その後感染は全国的に拡大しましたが、沖縄での感染状況が特異だったのは、米軍基地から拡大していったという点でした。
 昨年12月海兵隊基地キャンプ・ハンセン(金武町など)でクラスター(感染者集団)が発生しました。日本が水際対策に必死になっている一方、感染した部隊は出入国の際にPCR検査をしていませんでした。沖縄の基地はアメリカ国内扱いな反面、基地内の米軍関係者は、基地を出て街なかで自由に行動することができるし、基地の外で暮らしている人もいます。また、マスクをつけていない人も多々見られます。つまり日本のルールや常識に縛られないというのが実情です。さらにこうした実態に対して日本から厳しい目で見られていることに対する意識も薄いようです。クラスター発生後に、キャンプ・ハンセンの米兵が酒気帯び運転で逮捕されたという事実がこれを物語っています。
 沖縄県の玉城デニー知事は、感染発覚直後から在沖米軍トップに米兵の外出禁止など対策を再三要請しました。しかし、米軍は当初「陽性者が出た部隊の感染封じ込めに成功している」と反応、その後日米間の協議の結果ようやく20日後に外出制限などが実施されました。

 いったい、沖縄の実情はどうなのか、北谷町に住む知人の今郁義さんに聞いてみました。北海道出身の今さんは、返還前の沖縄社会をとらえた「モトシンカカランヌー」というドキュメンタリ―の制作に携わり、以来沖縄に住み市民活動などをしています。
「基地のある金武町に行ってみたが、米兵はマスクもしていない。(アメリカンビレッジというレジャー地区のある)北谷町でもマスクをしていない米兵は目につく。また米兵はほとんど複数で行動し、レストランなどに入ってくる。基地の外で暮らしている米兵もたくさんいるが、そうした数もアメリカ側は明らかにしていない」と言い、こうした基地をめぐる問題を協議する日米合同委員会のあり方に疑問を呈します。
 日本にある米軍基地の約7割が国土の0.6%の面積の沖縄に置かれていることによる沖縄県民の負担は、飛行機の騒音、墜落、落下物による被害、米兵による犯罪とその処罰の問題など、さまざまな面で沖縄以外と比べ甚大です。
 このほか社会インフラの面でも大きなハンディを負ってきました。戦前沖縄には鉄道がありました。しかし戦後の占領下、公共の利益より基地としての利用が優先され鉄道は復活されることはありませんでした。また、沖縄を車で走ってみればわかりますが、カーナビの画面がほとんど塗りつぶされたようになってしまうことがあります。これが基地の存在です。救急車の搬送も基地を迂回しなければならないことがあります。
 さらに今、沖縄の魅力であり日本の貴重な自然でもある辺野古の海が無残にも埋め立てられ恒久的な基地がさらにつくられつつあります。そして多くの基地を抱えるがゆえの感染症のリスクがこれらに加わりました。復帰から50年、米軍基地があることによる沖縄県民への負担と不安はさらに増したことになりました。(川崎医療生協新聞より)

今こそ地球市民 世界連邦が地球を救う

日曜日, 2月 27th, 2022

 新型コロナウイルスが世界中に広まりはじめたころ、私は広島市へ出かけ加藤新一という人物について取材をはじめました。1960年にアメリカ本土をひとり車で駆けめぐり、日本からアメリカに渡った移民一世についての膨大な記録をまとめた彼の功績をたどるためです。
 1900年に広島市で生まれ、十代でカリフォルニアへ渡り農業に従事、その後現地の日本語新聞の記者、編集者になり、戦争がはじまると日米交換船で広島に帰り、現地の中国新聞の記者として活躍します。原爆の投下時には本人は辛くも難を逃れますが、弟、妹をなくします。
 妹は、亡くなる間際に「兄さん、仇をとって」と言い残しました。しかし、加藤氏は、被ばくの翌月広島を訪れた米軍の原爆調査団に同行した赤十字駐日首席代表のマルセル・ジュノー博士を案内します。そして妹の気持ちは十分組みながらも、その後新聞社を離れると平和運動に積極的に関わります。
 1952年11月、広島で「世界連邦アジア会議」が開かれた時は事務局長をつとめ、再渡米し70年に再び日本に帰って来ると、被曝25周年を迎えた広島で開かれた「第二回世界連邦平和促進宗教者会議」の事務局次長をつとめます。
 世界連邦とは、「世界の国々が互いに独立を保ちながら、地球規模の問題を扱う一つの民主的な政府(世界連邦政府)をつくることで、世界連邦運動は、第二次世界大戦後、世界各国の科学者、政治家の支持を得て急速に発展。1947年には各国の世界連邦運動団体の国際組織として「世界連邦運動(WFM)」(本部ニューヨーク)が結成されます。(世界運動連邦協会HPより)
 また、同じような考えから、元国連事務総長のウ・タント氏は、人々が地球人運命共同体意識を持つことが先決であるとして「地球市民」という概念を提唱しました。これに共鳴した加藤氏は、国家や体制の枠を越えて、全人類が同胞愛をはぐくむべきだと主張し、自ら地球市民登録をしました。また、1978年6月の第一回国連軍縮特別総会には、きのこ雲と妹、弟の写真を配したパネルを手に国連に乗り込みます。 
 国益やナショナリズムが声高に叫ばれる昨今の世界の風潮をみると、世界連邦や地球市民といった考えとは、反対の方向に社会のベクトルは働いているようです。しかし、いま私たちの前に立ちはだかるコロナウイルスによるパンデミックや地球温暖化という地球規模での課題は、まさに“世界連邦”的な考えでなければ解決できません。
 各国のワクチンの接種率をみるとアフリカなどでは極端に低くなっています。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が「ワクチン分配の不平等が長引くほどウイルスは拡散し、予測や予防ができない形で進化していく」(毎日新聞より)というように、自国のみならず地球規模で接種率を上げていかなければ、コロナ禍は終息へ向かわないのです。
 ともすると高邁な理想主義ととらえられた「世界連邦」や「地球市民」は、今まさに難関を乗り切る現実的なアイデアである、といえるのではないでしょうか。(川崎医療生協新聞より)

菅首相が守ろうとしたものはなにか。国民か政権か、自分自身か?

月曜日, 9月 6th, 2021

 先月、横浜港を見下ろすビルから大桟橋に豪華客船が留まっているのをみました。ふと昨年正月のダイヤモンド・プリンセス号を思い出しました。連日のメディアでの報道に、この先ウイルスが広がってしまうのだろうかと心配しましたが、今の日本の現実はその心配をはるか凌ぐ危機的な状況にあります。
 あっという間にウイルスは地球上を席巻しました。しかし日本ではなぜかそれほどでもなかったので、当時の安倍首相は「日本モデルの力を示した」と胸をはりました。しかし案の定根拠のなき過信は、次善の策を遅らせ、代わった菅政権も悪化する事態を想定できず「GoToトラベル、イート」を推進しました。一方で、必要な検査体制は整えず、政府が「ゲームチェンジャー」とばかりに頼りにしたワクチンも提供が遅れました。
 そこへきてデルタ株の出現と拡大です。オリンピックの熱狂でつかの間目をそらすことができた感染状況は、専門家が予測した通り急速に悪化し、感染者の療養施設の確保はできず、自宅療養中で亡くなる人はつづき、コロナ以外で救急搬送先が見つからずに失われる命もでてきました。
 千葉県で感染した妊婦が入院できず自宅で出産した赤ちゃんがなくなるという例は、痛ましい限りでしたが、その経過を会見で説明する地元の保健所の担当者の口調からは「保健所だってぎりぎりの努力をしてるけど限界だ」といった悲痛さが感じられました。医療体制はひっ迫し、保健所業務も限界に達してます。
 わざわざ経過を書いたのは、こうした事態はこの1年半余り専門家によって予想されていたということを強調したかったからです。予測困難な自然災害とは明らかに異なります。だから検査体制、療養施設、野戦病院的な施設、感染源を減らすより具体的な対策を前もってとることができたわけです。しかし、国民が納得するような形では実現されませんでした。
「最悪の事態に備える」というのが、リスク管理の鉄則であり、リーダーがとるべき方策です。それは「逆算の思考」とも言えます。将来起こりうる最悪の事態を想定したときに、どう対処するかをまず考える。そして、その結果から今なにをすべきかを割り出す。その反対が対症療法的な思考です。根本的な問題に向き合うのではなく、いまある症状(状態)にまず対処する、その時々に対応するいわば御都合主義です。
 こうした思考がいかに脆く、犠牲を払うかは先の戦争からいくつも学び取れます。一例をあげれば、唯一の地上戦となり十数万の犠牲者を出した沖縄戦では、日本軍は一刻も早く降伏すべき時点で、大本営を守るという名目で少しでも時間を稼ごうと抵抗しより多くの市民を巻き添えにしていきます。
 敗戦という最悪を想定できるのに、その場しのぎのために犠牲を増やしてしまう。つまり軍が守ろうとしていたのは日本の国民ではなかった。同じように、これまでの経過を見れば、事態の深刻さを政権の責任ととらえられるのを恐れるがゆえに、国民に危機をアピールできず、ひいては先手を打てなかった菅首相が守ろうとしたものは、国民ではなく政権だったのではないでしょうか。
 新学期が始まり子どもの感染が新たに心配されます。遅くとも来月には行われる衆院選では、こうした現状を厳しく見て国民の側にたつリーダーを選出したいものです。(川崎医療生協新聞より)

 

パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に

火曜日, 7月 20th, 2021

 禍福は糾える縄の如し。どんなことにもいい面と悪い面がある、ともとれるこの諺は実に的を射ている、ということを年とともに痛感します。いいことなどなにもないと言いたくなるコロナ禍についても、偶然ながらプラス面もあります。
 これまであまり注目することがなかった各自治体の首長の素顔や力量がわかったことはその一つです。地元の行政もしっかり監視しないとまずいぞ、という有権者としての自覚に目覚めたというのはいいことでしょう。
 また、コロナ禍で経済活動が低下し成長も低下する、と否定的に報じられますが、経済活動の低下で二酸化炭素(CO2)の排出量も減少し、空気もきれいになったという話も聞きます。これは、世界的な課題である地球温暖化を抑えるためには、皮肉にも功を奏していることになります。
 経済成長と環境問題との関係で言えば、古くは1970年代に国際的なシンクタンク「ローマクラブ」が「成長の限界」を発表し、地球の天然資源は有限で、人口増や環境破壊の面から将来成長は限界に達すると警告しました。しかし、その後も経済成長信仰は崩れず、気候変動に象徴されるように地球環境システムは崩壊の危機に瀕しています。
 そして、いまでも一般に経済成長とCO2の排出削減(温暖化阻止)は両立できるという前提で議論が行われています。しかし果たしてそうでしょうか。将来人類に未曽有の被害をもたらすだろう気候変動の根本的な原因は資本主義にある、と警告する今話題の書「人新世の『資本論』」(集英社新書)の著者、斎藤幸平氏はこの疑問に明解に答えています。
 経済成長が順調であれば資源消費量が増大するため、二酸化炭素の削減が困難になっていくというジレンマがあり、市場に任せたままでは、今後の技術革新があってもとても削減目標は達成できないというのです。
 斎藤氏は、今起きている「新型コロナウイルスによるパンデミック」は、「経済成長を優先した気球規模での開発と破壊が原因である」という点で、気候変動問題と構図が似ているとし、こう警告します。
「先進国において増え続ける需要に応えるために、資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスとの接触機会が増えるだけではない。自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間、とりわけ現代のモノカルチャーが占める空間は、ウイルスを抑え込むことができない。そしてウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、瞬間的に世界中に広がっていく。」
 「以前からある専門家たちの警告」、「経済か人命かのジレンマの中での根本的な対策の遅れ」。これらも気候変動問題と同じだと指摘します。
 こうしてみると、コロナ禍は、気候変動というより大きな地球的問題への警鐘なのかもしれません。今後も起きるだろうウイルスの問題を教訓とし、今こそ問題の根本原因にある資本主義から離れ、氏の言うように脱成長コミュニズムを真剣に議論すべき時ではないでしょうか。

抗原、PCR検査についての 尾身発言、新聞は触れず      驚くべき鈍い「ニュース感度」        広島県の実態から

日曜日, 5月 9th, 2021

 5月7日、菅総理大臣の記者会見に同席した「基本的対処方針分科会」の尾身茂会長は、抗原検査やPCR検査の必要性を強調した。専門家会議の他のメンバー、科学者、経済界、一部ジャーナリストが1年以上前から強調していた検査の活用を訴えた。これが、感染実態を明らかにし感染源の減少と感染拡大の防止策になるという指摘は、実行に移されず、その理由もまたはっきりしないままだったことを考えると、遅きに失したとはいえ、尾身会長の「訴え」は、重要な意味を持つ。
 こうした施策をとり成功した他国の例を見ればなおさらだ。ただ、個人の行動や営業の自粛を要請し、時間と金だけをかける政策からすれば、まだとられていないが、とるべき有効な具体策である。繰り返すが、だから尾身会長が力を込めてこの点に触れたのは意味があった。
 にもかかわらずである。驚いたのは、この発言について8日の新聞はほとんどふれていない。かなりの字数を割いて1面から首相の会見について書いているのに、この尾身発言について書き込んでいない。これはいったいなんなのだろう。
 広島県という1県が積極的に行っている検査から判明した重要な事実を具体的に話し、提言している尾身会長の言葉について触れていないのだ。日本の主要メディアの「ニュース感度」の鈍さに驚く。

 以下、NHKの速報から尾身会長の発言を引用する。とても重要な内容だ。

「 軽い症状がある人に対する検査 積極的に行う必要」

 尾身茂会長は変異ウイルスが拡大する中で政府に求められる対策について「広島で行われた大規模なPCR検査では、症状がある人の陽性率が9%に達したのに対し、症状がない人の陽性率は1%にとどまった。また、別の自治体では、けん怠感など体の不調があっても、7%から10%は仕事や勉強で出ていることが分かっている。これらのことから言えるのは病院に行くほどでないくらいの軽い症状がある人に対する検査を積極的に行う必要があるということだ。健康観察アプリと合わせて簡便な抗原検査キットを活用し感染が確認されたら、周辺の無症状の人に対して広範にPCR検査を行って大規模なクラスターの発生を防ぐ、積極的検査を進めてほしい」と述べました。
ワクチン接種が進むまでリバウンド防ぐ対策をまた尾身会長は、西村経済再生担当大臣の会見に同席し「今後、高齢者を中心としたワクチン接種が進むまでの間に感染の大きなリバウンドを防ぐことが非常に重要だ」と述べました。

現状報告より感染制御策を 寄付を促せないか

木曜日, 12月 3rd, 2020

GoToトラベルをめぐって東京都は65歳以上高齢者と基礎疾患のある人には自粛を要請した。高齢者たちの健康を気遣うというよりは、感染したら重症化の危険があるこの種の人たちの行動を制限した方がいいといった思惑がみてとれて、嫌な感じがする。極端な言い方をすれば社会に負担をかけるものの排除に近い。
 感染者は増え続け医療機関の危機的な状況が報道される。一方で外出の自粛を要請された大阪の繁華街の様子を「閑散としています」と、まるで悪いことのように報ずる記者がいる。自粛の要請に人々が応じていることが悪いことなのか。現時点ではにぎやかな方が問題なのに。
 医療現場はひっ迫している。飲食店や旅行業界は大変な目に遭っている。その状況だけを一喜一憂するかのような報道には辟易している人も多いのではないか。反対に報道されないのが、感染状況の具体的な内容だ。どこで、どんな人がどのように感染しているため拡大しているのか。どのような感染防止策の可能性があるのか。それが示されない。
 個人の感染防御策のレベルではもはや対抗できないということは明らかなのだから、社会的な検査によって感染状況をつかみ拡大させないようにすることや、検査によって封じ込めようとしないのなら全体に網をかけるという意味で、非常事態宣言のような方策をとるしかないのではないか。
 感染者だけでなく他の疾患で診療・手術を必要としている人にも影響が出ている。ここでも弱いものへの圧力が高まっている。医療機関、居酒屋などいまもっとも苦境に立たされているところに、カンパの寄付を呼びかけるのも一つ方法だ。ただの寄付ではなく「Let’sカンパ」として、寄付した人に特典があるような施策だ。われわれの社会が壊れつつあるなか、国だけを頼りにするのではなく、企業も個人も社会のために寄付をする仕組みができるといい。

安心して感染できる環境に  徹底検査というビッグデータ活用を

月曜日, 6月 22nd, 2020

 嫌な空気に包まれている。新型コロナウイルスの拡大によって、いま日本を覆っているのはそんな空気だ。ホストクラブ通いをやめられない客や、自粛をものともしない夜の店や、自粛の解除とともに観光地や繁華街に繰り出す人たち。その一方で、外出を極力避け、マスクをはなさず行動する人たちもいる。
 感染の危険度は大したことないのか、どうなのか。なぜ日本は今のところ表にでている感染者の数も陽性者の割合も低いのか。「ファクターX」はよくわからないという。確かなことがわからないなかで、漠然とした危険性があるという警告のもとで生活する。それが、なんとも気味が悪い。
 この気分を少しでも解消するには、とにかく検査を拡大するしかない。検査にもとづくデータを可能な限り集める、つまりAIの基本のビッグデータの活用がまず先だろう。推測や憶測に基づく議論をするより、「検査の拡大」を訴え実行することがまず第一だ。
 もう一つの嫌な空気は、感染の確率はかなり低いかもしれないが、連日報道される医療現場の苦しい事情や感染患者受け入れ状況をみると、万一感染したらまともに診てもらえないかもしれないという不安を抱えているという空気だ。
 感染を防ぐことは100%は不可能だ。だから、万一感染しても安心していられる、つまり安心して感染できる状況が必要になる。そもそも病院とはそういうものだ。万一病気やけがをしても病院があるから安心していられる。
 いくら観光キャンペーンなどに金を使っても、それに乗ってくるのは、楽天的な人たちだけで、漠然とした恐れや不安を抱いている人たちはまだ控えるだろう。それより科学的にどう危険でどう安全なのかがより分かってきて、加えて万一感染しても診察から収容まで安心していられるとわかれば、理屈で動く理性的な人たちも動き出す。
 検査の徹底拡大によるデータと、安心して感染できる十分な医療体制によって、日常の活動も合理的になり、合理的な経済活動が進む。

家が火事のときに新築住宅の売り込みをするようなものだ

月曜日, 6月 8th, 2020


 新型コロナウイルスによって打撃を受けた観光業や飲食業のために、政府は「Go Toキャンペーン」なるものを立案したが、その事業費は1兆6794億円で、事務の委託費が最大で3095億円に上るという。医療機関が危機に瀕していて、国民が感染した場合、安心して治療を受けられない心配があるなかでのことだ。
 飲食や観光が活況を呈するには、第一にウイルスの感染がおさまることだ。しかし、完全にウイルスを封じ込めるのは不可能だろう。だから万一感染してもすぐに検査を受けられ、安心してしかるべきに医療機関なりで処置してもらえることが大切なのだ。
 こうした安心感がないなかでは、気軽に飲食や観光に行けない。つまり、まず第一に金もエネルギーもそそぐべきは、医療機関への援助であり、これによって安心できる治療体制を確立することに尽きる。
 それができれば、キャンペーンなど必要ない。だまっていても人々は動き出せる。いま第二波の心配も持ち上がっている。波が来たら医療崩壊さえ起きかねないのに、収束後のキャンペーンだというのだから、国民的な利益よりも狭い業界内の利益を優先して考えるという、レベルの低い政治決定としかいいようがない。
 飲食が半額になるクーポンがもらえれば、人は単純にうれしいだろう。庶民はそう思う。その庶民の単純な損得勘定に付け込んで歓心を買うような真似は、マスクを配った姿勢と同じだ。心ある政治家なら、「クーポンを配りたいところだが、いま大事なのは違う。医療のために使うのが大事なのだ」と、国民に訴えるくらいの気持ちがほしい。
 われわれはいま、安心して感染できない状況にある。だから、まじめな人ほど自粛し、神経質な人ほど恐れ、もやもやした空気に支配されている。注意をしながらも活動をするには、感染しててもある程度安心感を得られる環境が必要なのだ。
 検査体制の推進を可能な限り急ぎ、最大限の医療支援をする。それをせずして、なにが消費促進のキャンペーンだ。火事が目の前でおき、被災している人がいるときは、消火活動が何より優先されるべきだ。愚策の「Go To キャンペーン」は、自宅が燃えている人を前にして、新たに建てる住宅の売り込みに励むようなものだ。

 岡江久美子さんは死ななくてすんだのでは      本気でPCR検査、軽症者収容、医療・保健現場の支援をしていたら?

土曜日, 5月 9th, 2020

 PCR検査体制と軽症者収容、そして医療・保健現場の支援に対する不備を放置してきたことはもはや揺るがしがたい事実であり、その責任は政府と厚労省にあることがはっきりした。認めるわけもないその責任を今追及したところで意味がないという意見もあるだろう。しかし、本気で取り組めばできる可能性があった施策、体制をとらなかったことで、失われずに済んだかもしれない命、ビジネスがあったことを考えれば、この事実は確認しておかなければならない。
 
 PCR検査の停滞という失態は、安倍首相、加藤厚労相、そして政府専門家会議の発言から明らかになっている。加えて、自民党の田村憲久代議士という自民党の元厚労大臣もこれを認めている。
 検査の拡充ができていないことについて、政府の専門家会議は検査体制が十分でなかったことを理由にしている。
 ――専門家会議は、「(検査を担う)地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と、指摘。新型コロナの感染拡大後は、検査を実施するかを判断する保健所が患者らの相談対応などで忙殺され、検体を採取する医師の感染防護具も不足していたことなどを挙げた。――(5月4日毎日新聞)
 ここで挙げられた理由は、果たして解消できなかった理由だろうか。
 「検査を担う地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と言うが、「起こらなかったという事実」はなにも今になって気づいたことではないはずだ。「起こらなかったこと」を認識していて専門家会議も、政府も黙っていたわけだ。「求める声が起きていれば対処したが、起こらなかったからしなかった」と聞こえるが、これでは、道端でケガして倒れていた人がいても、「助けてくれ」と言われなかったからそのまま通り過ぎたといっているのと同じだ。
 
 次に、「検査を実施するかを判断する保健所が患者らの相談対応などで忙殺され、検体を採取する医師の感染防護具も不足していた」という理由だが、これもあまりに傍観者的だ。「忙殺されていて、感染防護具も不足していた」ことは、早い段階で知られていた。「忙殺されていた保健所と感染防護具が不足している医師や病院」があることももちろん最初から分かっていたはずだ。この問題を解決するのはもちろん政治、行政だが、専門家会議も「問題を解決すべきだ」と強く提言すればいいではないか。「専門家会議としては提言したが、解消されなかった」というのならわかるが「不足していた」という事実認識だけならだれだってできる。
 専門家会議は、政権を忖度する必要などないはずだが、これでは「さぞ、行政も政治も現体制では大変だろうから、無理でしょう」と、忖度しているともとれる。いったい専門家会議とは、どういう立場なのか。厚労省の行政としての責任者が顔を見せずに、いつも専門家会議がまるで、政策の責任者のように登場して発言している。実に責任の所在が分かりにくい。合理的なことが実行されない。だから、「本気で検査を増やそうとしたのか」という怒りにも似た質問が各方面から政府に投げかけられる。

 事態の収束に向けてPCR検査の拡大の有用性については、京都大の山中伸弥教授をはじめ英国キングス・カレッジ・ロンドン教授でWHO事務局長上級顧問の渋谷健司氏などの専門家、そして社会物理学の立場から研究した九州大学の小田垣孝名誉教授、また経済学の立場からも法政大学の小黒一正教授など数多くの知識人が訴えている。
 現場で検査を積極的に行っているクリニックや病院をはじめ、医学部附属病院でPCR検査のシミュレーションを実施した山梨大の島田真路学長も国の体制を批判し、検査拡充を訴える。

 政府が、早くから検査に向けて人材、金、資材を投入、収容施設の確保という施策に本気で取り掛かっていれば、社会活動をほぼ正常にできる人とそうでない人をある程度区別し、全国民に長期にわたって網をかけるようなことをしなくても済む。その可能性がわかっていながら、放置してきたことで、ウイルスによる死者、経済活動を奪われビジネスや仕事を奪われた人、倒産者をもっと抑えられたかもしれないことを考えると、なんとその罪は重いことか。
 リーダーシップをとる人間がなく、そうした施策がとられず、目先の簡単な施策である数百億を使ったマスクの配布や、事態収束後の観光キャンペーン予算を組むことをよしとしているような、だれでもできるようなことをしてきた安倍首相、加藤厚労相の責任は重大だ。
 政府や専門家会議を批判することが目的ではない。しかし、事実を追えば当然こういう批判をせざるを得ない。
 最後に検査体制などの不備との関係に戻れば、沖縄の基地問題の解決にも尽力されるなど多くの業績を残した岡本行夫氏の死の経過についても注視したい。

  

 

BILLIE JEAN Jose Feliciano – YouTube

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非常時に、常軌を逸した「Go To キャンペーン」とは

木曜日, 4月 30th, 2020

 常軌を逸しているとはこのことだ。緊急経済対策に、コロナ後の観光、飲食、イベントの振興などのための「Go To キャンペーン」予算を約1兆6000億計上するという。いま、病院、保健所など直接感染症対策にあたっているところは、人手も物資も早急に欲しいところだ。身の危険を感じながら最前線で奮闘している人たちがいる。検査や治療を受けたくても受けられない人がいる。なかには命を落とす人もいる。PCR検査の拡充や他の有効な検査の実現も一刻も早く必要だ。
 そこにまず全精力を注入すべき時だ。それがである。コロナ禍が落ち着いたときに「半額で利用できるクーポン」などの予算を計上するという。飲食店で使えるポイントの付与とか、実に細かな政策を立てている。そんなことに頭を使う時間が官僚や政治家にあるのか。
 ものには優先順位というものがある。感染症対策と経済対策は一体のものであり、いわば国家的な危機管理対策である。であれば、危機管理対策のなかの最優先課題にまず取り組むべきだ。
 まともな人はみなこう批判している。ではなぜこういうことになるのか。長年政治の現場を取材、政権中枢にも食い込んでいた人にきけば、「族議員の働き」だという。
 注意しなくてはいけない。動機は不純だということだ。国や社会という全体の利益より自分たちのことを考える力が優先されたということである。飲食、観光、イベント業界は確かに大打撃を受けている。そこに援助をすることはまったく異論はない。しかし、この時期にあえてそれを打ち出すのか。あとで補正を組めばいいではないか。
 おそらく安倍首相もわかっているのだろう。でも、決断力がないのか、正しさより利害を優先する性格なのか、正しいことが実践できない。だから、この政権や首相の主張にはなるほどと思わせる、説得力や信頼性が感じられない。そこが、ドイツのメルケル首相らと決定的に違うところだ。
 個人的に付き合えば、優しい人なのかもしれないが、リーダーとして、「正義」「公正さ」「情」というものが、感じられない。あるのは「利害」優先、「仲間」優先というやすっぽい理屈になってしまう。数の多いもの、強いもの、声の大きいものの利益を反映させていることは、これまで政権をめぐっておきたさまざまな問題、事件の背景をみればなるほどと納得する。
 しかし、冷静に考えれば、おなじ傾向は有権者のなかにもあるのではないか。だから政権が支持されているともいえる。こういってしまうと身もふたもないかもしれないが、社会の非常事態に、「Go To キャンペーン」のプレミアム付食事券の案などを考えていた政府、行政に「頭がおかしいのでは」と、思わなくなったらおしまいだ。