Archive for the ‘新型コロナウイルス’ Category

パチンコに政治もマスコミも甘い理由

日曜日, 4月 26th, 2020

 自粛要請に応じないパチンコ屋名を公表すると吉村大阪府知事がいった。これだけ公共社会のために営業自粛して苦しんでいる飲食業、観光業などがあるなかで、堂々自社のために営業をつづけるところをみると、パチンコの反社会性を改めて痛感する。私も若いころパチンコ屋によく足を運んだことがある。しかし、パチンコ依存症、“中毒症”の実態をしるにつけ、行くことはなくなった。パチンコがやめられなくなって借金苦に陥り家族が苦しんでいる例は数えきれない。

 依存症があるから、パチンコに行かないと気が済まない人もいる。そういう人を責めることはできない。むしろそういう人相手に金を得ることの方が問題だろう。さらに、この人たちに金を簡単に貸す今の社会の仕組み、そして破産しそうになれば、今度は弁護士がでてきて破産や過払い金の払い戻しをビジネスにすることもあこぎである。もう一つ言えば、パチンコ業界への警察庁からの天下り、さらに超党派のこの業界を支援する国会議員たちの存在。マスコミも広告のほとんど正面から報じない。カードローンや消費者ローンと同じ、よってたかってこういう意志の弱い人やその家族を食い物にする仕組みができあがっている。恐ろしい仕組みだ。

 楽しむ人がいるから成り立つ、パチンコの需要があるから自然だという意見があるが、ならば大麻でも児童ポルノでも同じ理屈で成り立つ。

 こうした問題に真正面から切り込む数少ない書のひとつ「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」(若宮健著、祥伝社新書)について、出版社の紹介文にはこうある。

 「~日本では国会議員が超党派でパチンコの換金を合法化しようとする動きが報じられている。日本の政治家は、パチンコの被害に目を瞑り、国民に不幸をもたらしているパチンコを法律で合法化しようとしているのである。」「この国では、一部の人間の利益のために、法的には違法なバクチが、長年放置されてきたのだ。日本のマスコミは、パチンコ依存症による犯罪が多発しても、ほとんど問題にすることはない。日本の新聞で、パチンコ業界を批判する記事は、ほとんど見ることはない~」

 こうした合法的な?博打であるパチンコだが、問題点だけを攻撃して人々の批判の目に晒すだけではまずいだろう。というのも、いまや大企業のパチンコもあり、そこで多くの人が働き、家族を養っている。時代はかなりさかのぼるが、公害問題で関係企業が批判された時代、そうした企業が集積する地域の自治体の学校では、公害問題に触れることはできなかった。多くの子供の親が関係企業で働いていたからだ。後ろめたいところがあっても、頭ごなしにきつい言葉で批判されればわかっていても納得はできない。パチンコ業界もその意味では、攻撃するだけではなくそのノーハウを生かして徐々に別の業態に移行できるように政治が誘導するのも必要ではないだろうか。

 コロナ禍のなかで、浮き彫りにされたパチンコの在り方だが、同様に経済界とのつながりで本来、実行されるべき感染症対策(自粛を含め)に、政治家がブレーキをかけていないか中止する必要がある。

コロナ禍に紛れて続く辺野古埋め立てという無情な蛮行

木曜日, 4月 23rd, 2020

 政府は、辺野古の埋め立て計画の設計変更をするという。軟弱地盤に対応するため、7万本の杭をうちこんで地盤を固める。これによって費用は当初予定の2・7倍の約9300億円となる。当然、工事期間は延び、埋め立てと引き換えになっている米軍普天間飛行場の移設は、2030年以降となるという。

 周辺住民にとって危険で、環境を脅かす普天間飛行場は少なくとも向こう10年はなくならず、一方、辺野古の自然が破壊されるのはいうまでもなく、周辺住民は10年も建設継続にともなう、工事車両の通行など住環境を損なわれる。そこに暮らし続ける人のことを、今までだけでなくこれだけ泣かせ、困らせ、海を汚して、数多くの基地に加えてさらに基地をつくる必要があるのか。あるという人間は、10年住んでみたらどうだ。辺野古基地新設の代替案を考える最後の時だ。

 コロナ禍で必死に働く人がいる医療現場へ果たして十分な資金、資材などの提供を国はしているのか。その一方で使われる9300憶円とはなんなのか。真の安全保障、公共の利益とはなんなのか、今こそ考えたい。どさくさ紛れともいいたくなる辺野古埋め立てや、横浜のカジノ建設など、いかがわしい事業、施策を見逃さないようにしたい。

穏やかで美しいかつての辺野古の浜(島袋武信さん撮影)

 

 

二極化する?心配する正直者と、遊びまわるその他大勢

月曜日, 4月 20th, 2020

 4月19日の日曜日、湘南海岸沿いの国道134号は、多くの他県の車を含めてかなりの混雑だった。茅ヶ崎漁港の周辺の駐車場には釣り客などの車がとまり、大勢の人が出ていた。茅ヶ崎市内では営業中のパチンコ屋もあった。 

 ライブハウス、映画館、居酒屋など飲食店が、営業存続の危機に立っている。それでも国や自治体の要請を受けて、感染対策のために自粛をしている。その一方で、政治的な配慮と経済的な力関係からだろう、最初からあまり問題にならなかったパチンコ屋には人が詰めかけ、海に遊びに出る人も多い。

 感染を心配する人と自粛要請に従う人、その反対に気にせず自分の楽しみやストレス解消のために行動する人。つまり自粛することで社会全体の利益を図ろうとする人、自分は大丈夫そうだからと自分のことを優先する人。前者のストレスがたまって、後者への批判がエスカレートしないといいのだが。自由意思に任せるというのは、自由を享受する人たちの社会的な倫理観によって、ひどい結果を招く気がする。

 

 

 

  

緊急!!感染疑いの発生から“治療”までのプロセスができていない。医療現場は困っている。保健所も困っている。 

日曜日, 4月 12th, 2020

  発熱がつづいて新型コロナウイルス感染を疑う人が、厚労省や自治体が示す手順に従っても、診療先で忌避されるなど納得のいく説明を受けられずに混乱を招く例がつづいている。

 患者本人はもとより、問い合わせや要望を受けた保健所と医療機関は困っている。発熱外来を設けて、PCR検査を行っている医療機関も同様だ。この混乱を収めるため、専門の外来を設け、必要な人に検査を行い、感染者を収容するという仕組みを充実させるのが第一だが、はたしてそれが進んでいるのか疑わしい。マスク配布で500億使うなら、医療現場、保健所など必死になっている現場への手当、援助が第一である。

 休業補償などの問題ももちろん重要だ、しかし、物事には優先順位がある。だれもが感染者になる危険がある今、まず医療、関係現場への手厚い対策がされなければ、補償してもらい継続しても社会自体が壊れ、事業・営業を再開できなくなる。その損失の方がはるかに大きいと予測される。

 

 

コロナ禍でもカジノを進める横浜市。そんな場合か。

土曜日, 4月 11th, 2020

 ギャンブル依存症、港湾・文化都市横浜にふさわしくない、など様々理由で市民から批判を受け、嫌悪の情を抱かれている横浜市のIR(カジノを含む統合型リゾート)誘致計画が、新型コロナウイルス対策に追われるなか進められようとしている。ウイルスの問題は将来も起こりえることを考えれば、穏やかな港湾環境のなかに飲食や享楽で人を集中させる施設を作り出すことの問題を、考えざるを得ない。

 それにもかかわらず、国による認定スケジュールに合わせようと、予定通り計画を進める林文子市長の責任は問われる。オリンピックの開催問題を優先させ、ウイルス対策に後れを取ったともみられる今回の国の姿勢から学ぶところはあるはずだ。林市長が、IRの誘致を将来の財政の危機、経済効果を鑑みて実現するのだと訴えるのであれば、その「危機と効果」と、IRを作らないことのメリットを具体的に比較して、市民に説明し、幅広い了解を得たうえですすめるべきものを、これまでは反対を押し切って進めている。

 以前、アメリカ東部のカジノの町、アトランティックシティーのカジノを取材したことがある。華やかな(華美で俗悪ともとれる)ネオンサインに彩られた施設と楽し気な内部のカジノだが、入り口あたりで「20ドル貸してくれないか」と、ドローンとした目つきのカジノ・ジャンキーから金をせびられたことがあった。24時間眠らない街は、裏に回るとネズミがはっていた。カジノをすべて否定するわけではない。楽しいところもある。だた、それと引き換えに港・横浜で失われるものがある。それを正直に市民の前に出してゆっくりと議論すべきではないか。市長の在職期間はほどなくすればおわりだが、電飾に施された施設は半永久的に湾岸を占有することになる。

PCR検査充実を阻むのは誰だ

土曜日, 4月 11th, 2020

 PCR検査の充実、拡充を訴える声が、専門家の間でいくつも聞こえてくるのに、なぜ進まないのか疑問だ。山中伸弥氏、本庶佑氏という二人のノーベル賞受賞者をはじめ、徳田安春氏ら著名な医師らもこれを訴えている。

 PCR検査を広げるべきではないという専門家の意見もあるが、その理由として挙げられるのは、1つに、検査は100%信頼できるものではなく、検査で陰性と判断された人が実は陽性の可能性もあるのに、陰性との判断で安心して感染を広げる可能性があるということ。また、だれもが検査を受けられるとなると検査に人が殺到してそこで感染が広がる危険があるということだ。

 最初の問題は、検査の信頼度について説明して、これまで通り慎重な行動をとることを指示すればよいことだ。検査を受けないことで自分は大丈夫だと思って行動している人もいることを考えれば、検査によって陽性の結果がでたことで、本来陽性なのに陰性だと思っていた人の行動を制約できる効果の方がはるかに大きいだろう。2つ目の問題は、ドライブスルー方式など、検査の方法を工夫すれば解決できることだ。つまり、いまのままの検査内容と方法でする限りディメリットはあるかもしれないが、それを変えればはるかにメリットがあるわけだ。

 それにもかかわらず、PCR検査が今日まで遅れてきたのはいったいどこがネック(山中伸弥氏は、律速段階という言葉を使っている)になっているか。厚労省なのか。首相も政府の専門家会議の尾身茂副座長も検査体制の充実を言っている。では、それが実行されないのはなぜなのか。徹底的に指示していないという、指示する側の問題なのか、それともそれを実行する厚労省のなかで、誰かが積極的に阻んでいるのか、あるいは何かの理由で動かないのか。具体的に責任の所在がどこにあるのか、メディアには責任者、担当部署という固有名詞を出して追及してほしい。

 

 

検査をしない合理的な理由があれば

状況報告はもういい 誰が解決策を阻んでいるのか

日曜日, 4月 5th, 2020

 「医療崩壊の危機が迫っています」。テレビの報道番組がいう。医療従事者に感染が広まっているという記事がある。現場の悲鳴に似た声がとどく。なんとかしないといけないという。

 それはもうわかった。対策を講じなければいけない。医療現場へのさまざまな支援を行う必要がある。お金とものとマンパワーだ。これを動かすのは政治、行政だろう。医療現場で働く人の子供のケアを手助けするだけでも役に立つ。

 「いま、早急な対策が求められています」とテレビが言う。いつからだ。そんな報告より必要なのは、なぜ必要な対策が具体的にとられないのか。誰が何がそれを阻んでいるのか。それを突っ込み、暴き出し、告発し、動かす報告にもっていくことがメディアだろう。

 もう現状報告はいい。解決策を阻むものをあぶりだし、現実を動かそう。

 

大衆という裸の王様 コロナが映し出す社会

土曜日, 4月 4th, 2020

 都内に住む知人が、発熱が4日ほどつづいたので、新型コロナウィルスの感染を疑い、都が示したマニュアルに従いコールセンターに電話した。応対した人は、かかりつけの医師に診てもらうようにいった。いないというと、最寄りの診療所へ行くことを勧められた。

 その通りのすると、医師は「なんでうちに来たのか」と訝し気にいい、肺のレントゲンをとり、肺炎ではないと診断した。知人は念のためどこかでPCRの検査をしてほしいというと、私には判断できないと医師は答えた。仕方なく自宅マンションに帰ったが、心配なので再度コールセンターに電話した。応対した人があまりにも不親切だったので、上司にかわってもらうと、丁寧ながらも重症者でないと検査はできないと説明する。体もだるいので知人は、ただ自宅でじっとしていることにした。幸い一人暮らしだったからよかったが、感染の疑いは晴れたわけではないので、部屋からでることができなくなった。

 おそらくこうした人はかなりいるのではないか。この場合、同居する家族がいて、まして家が狭かったり家族が多かったりして接触が避けられないようであれば大変なことになったろう。本当は感染していなくても疑いがあれば身動きがとれなくなる。その一方で、一人暮らしでも人によっては外に出てしまう人、食糧確保のため出ざるをえない人もいるだろう。この人がもし感染者であれば他にうつす可能性はある。いずれの場合でも、PCRが行われていれば避けられることだ。しかし、これができないのが現状だという。

 結果として、感染者の実態を表わすことにならないだけでなく、非感染者の行動を阻害し社会活動を停止させる。しかし、これも 国の方針であえてそうしているのか、またはせざるを得ないというのであれば、せめてその理由と実態を明らかにして、国民に説明をする必要がある。診療所や病院が困惑をあらわにし、患者を惑わすことのないように、医療機関や保健所が統一した理解ができるようにしなくてはまずいだろう。

 どうも、一連の国の対策や方針について、明確な内容がメッセージとして国民に聞こえてこない。困難なときこそ、なにができてなにができないかを明らかにし、そのうえでみんなで課題を共有していく必要がある。それなら、できないことについても納得がいくしあきらめもできる。

 ほんらいならこれは当然国のリーダーの役割であるのはいうまでもない。が、残念ながら今のリーダー安倍首相が語る方針と対策は、マスクを着けて読み上げる原稿でしかない。顔をあげて国民を真正面に見据えて話す力強さはない。ドイツのメルケル首相などとは大違いだと感じている人は多いだろう。

 しかし、怒り嘆いているばかりでは仕方ない。首相がそうできない理由を追及し、その問題点をなんとか除去して前に進む道をさぐりたい。国が何かしてくれるということを待つのでなく、国をうごかす声をあげたい。それができなければ、批判されるべきは首相だけではない、だまってみている国民もまたそうである。メディアも首相や政府、厚労省を批判しても国民は批判しない。それはタブーだからだ。大衆を敵に回すことを大衆で支えられているメディはもっとも恐れる。しかし、あえていえば、大衆こそが「裸の王様」なのだ。