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パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に

抗原、PCR検査についての 尾身発言、新聞は触れず      驚くべき鈍い「ニュース感度」        広島県の実態から

「人を見たら感染者と思え」的な漠然とした政策にいつまで頼るのか。リスクは具体的に

必要な検査がまだ進まない ノーベル賞学者も首を傾げる

パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に

Posted in: 新型コロナウイルス, 禍福, Both Sides | パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に はコメントを受け付けていません

 禍福は糾える縄の如し。どんなことにもいい面と悪い面がある、ともとれるこの諺は実に的を射ている、ということを年とともに痛感します。いいことなどなにもないと言いたくなるコロナ禍についても、偶然ながらプラス面もあります。
 これまであまり注目することがなかった各自治体の首長の素顔や力量がわかったことはその一つです。地元の行政もしっかり監視しないとまずいぞ、という有権者としての自覚に目覚めたというのはいいことでしょう。
 また、コロナ禍で経済活動が低下し成長も低下する、と否定的に報じられますが、経済活動の低下で二酸化炭素(CO2)の排出量も減少し、空気もきれいになったという話も聞きます。これは、世界的な課題である地球温暖化を抑えるためには、皮肉にも功を奏していることになります。
 経済成長と環境問題との関係で言えば、古くは1970年代に国際的なシンクタンク「ローマクラブ」が「成長の限界」を発表し、地球の天然資源は有限で、人口増や環境破壊の面から将来成長は限界に達すると警告しました。しかし、その後も経済成長信仰は崩れず、気候変動に象徴されるように地球環境システムは崩壊の危機に瀕しています。
 そして、いまでも一般に経済成長とCO2の排出削減(温暖化阻止)は両立できるという前提で議論が行われています。しかし果たしてそうでしょうか。将来人類に未曽有の被害をもたらすだろう気候変動の根本的な原因は資本主義にある、と警告する今話題の書「人新世の『資本論』」(集英社新書)の著者、斎藤幸平氏はこの疑問に明解に答えています。
 経済成長が順調であれば資源消費量が増大するため、二酸化炭素の削減が困難になっていくというジレンマがあり、市場に任せたままでは、今後の技術革新があってもとても削減目標は達成できないというのです。
 斎藤氏は、今起きている「新型コロナウイルスによるパンデミック」は、「経済成長を優先した気球規模での開発と破壊が原因である」という点で、気候変動問題と構図が似ているとし、こう警告します。
「先進国において増え続ける需要に応えるために、資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスとの接触機会が増えるだけではない。自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間、とりわけ現代のモノカルチャーが占める空間は、ウイルスを抑え込むことができない。そしてウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、瞬間的に世界中に広がっていく。」
 「以前からある専門家たちの警告」、「経済か人命かのジレンマの中での根本的な対策の遅れ」。これらも気候変動問題と同じだと指摘します。
 こうしてみると、コロナ禍は、気候変動というより大きな地球的問題への警鐘なのかもしれません。今後も起きるだろうウイルスの問題を教訓とし、今こそ問題の根本原因にある資本主義から離れ、氏の言うように脱成長コミュニズムを真剣に議論すべき時ではないでしょうか。

ryusukekawai @ 7月 20, 2021

抗原、PCR検査についての 尾身発言、新聞は触れず      驚くべき鈍い「ニュース感度」        広島県の実態から

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 5月7日、菅総理大臣の記者会見に同席した「基本的対処方針分科会」の尾身茂会長は、抗原検査やPCR検査の必要性を強調した。専門家会議の他のメンバー、科学者、経済界、一部ジャーナリストが1年以上前から強調していた検査の活用を訴えた。これが、感染実態を明らかにし感染源の減少と感染拡大の防止策になるという指摘は、実行に移されず、その理由もまたはっきりしないままだったことを考えると、遅きに失したとはいえ、尾身会長の「訴え」は、重要な意味を持つ。
 こうした施策をとり成功した他国の例を見ればなおさらだ。ただ、個人の行動や営業の自粛を要請し、時間と金だけをかける政策からすれば、まだとられていないが、とるべき有効な具体策である。繰り返すが、だから尾身会長が力を込めてこの点に触れたのは意味があった。
 にもかかわらずである。驚いたのは、この発言について8日の新聞はほとんどふれていない。かなりの字数を割いて1面から首相の会見について書いているのに、この尾身発言について書き込んでいない。これはいったいなんなのだろう。
 広島県という1県が積極的に行っている検査から判明した重要な事実を具体的に話し、提言している尾身会長の言葉について触れていないのだ。日本の主要メディアの「ニュース感度」の鈍さに驚く。

 以下、NHKの速報から尾身会長の発言を引用する。とても重要な内容だ。

「 軽い症状がある人に対する検査 積極的に行う必要」

 尾身茂会長は変異ウイルスが拡大する中で政府に求められる対策について「広島で行われた大規模なPCR検査では、症状がある人の陽性率が9%に達したのに対し、症状がない人の陽性率は1%にとどまった。また、別の自治体では、けん怠感など体の不調があっても、7%から10%は仕事や勉強で出ていることが分かっている。これらのことから言えるのは病院に行くほどでないくらいの軽い症状がある人に対する検査を積極的に行う必要があるということだ。健康観察アプリと合わせて簡便な抗原検査キットを活用し感染が確認されたら、周辺の無症状の人に対して広範にPCR検査を行って大規模なクラスターの発生を防ぐ、積極的検査を進めてほしい」と述べました。
ワクチン接種が進むまでリバウンド防ぐ対策をまた尾身会長は、西村経済再生担当大臣の会見に同席し「今後、高齢者を中心としたワクチン接種が進むまでの間に感染の大きなリバウンドを防ぐことが非常に重要だ」と述べました。

ryusukekawai @ 5月 9, 2021

「人を見たら感染者と思え」的な漠然とした政策にいつまで頼るのか。リスクは具体的に

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(川崎「医療生協」新聞4月号、「コロナの風」より)

 ようやく少し前に進んだのでしょうか。感染者の早期発見などのためのPCR検査と疫学調査の拡充のことです。以前このコラムでも触れましたが、多くの科学者、医師などが一年以上前から検査の重要性と日本での検査の遅れに疑問を投げかけてきましたが、なかなか進んできませんでした。
 それが先月、緊急事態宣言を延長する際、菅総理は、感染の早期発見とクラスターの防止のため高齢者施設などでの検査を行うこと、そして市中感染を探知するため無症状者のモニタリング検査を拡大することを明言しました。
 改めて、なぜ検査が必要かを、感染拡大の“場”として懸念されている飲食店の営業状況を通して考えてみます。飲食店の営業時間が長くなると感染者が増える。このことは、状況証拠からなんとなく推測できます。しかし、その理屈は「風が吹けば桶屋が儲かる」とまではいわないまでも、少々説明が必要です。
 あくまで一般論でかつ推論ですが、営業時間が長くなると二つのことが考えられます。一つは、より多くの人間が一定空間のなかで飲み食いすることになる。多くなればその中に感染者のいる確率は高くなる。もう一つは、仮に感染者が一人であっても長時間飲み食いし、会話をすれば、より多くの飛沫がとび他人に感染させる確率は高くなるというわけです。だから営業時間の短縮が求められてきました。
 もちろん感染者がこの中にいなければ、リスクはゼロですが、そんなことは想定されていません。誰だかわからないけれど、どこかに感染者がいるのではないかという前提(恐れ)でみんな対処しています。言い方は悪いですが「人を見たら泥棒と思え」のように「誰もが感染者かもしれない」として対処しなくてはならないのが現状です。飲食店にかかわらず、職場でも店舗でも駅でも、市中では長い間こうした息苦しい空気のなかでみんななんとか対応してきました。
 しかし、これには無理があります。不透明なリスクに対して常に最大限の準備をするのは限界があります。反対にどの程度のリスクなのかがある程度わかれば、対処の仕方も変わり精神的にも余裕ができます。だから、市中における無症状者を検査によって浮かび上がらせリスクを可視化することが必要なのです。
 無作為に行うのは効果はないでしょうが、飲食店が多く感染者が出ている地域などリスクが高いと思われる地点に絞ってPCR検査を定期的に進めることはできたはずで、こうした施策の必要性を多くの識者が提言してきたのです。
 では、諸外国と比べてもなぜできなかったのか。この点については、明らかに厚労省に問題があったことは多方面から指摘されていますが、昨年末出版された「新型コロナの科学」(黒木登志夫著、中公新書)に、特に事実分析をもとに整理されています。癌の研究家で大学学長なども歴任したサイエンスライターでもある著者が、無症状者らへの検査拡大に反対していた厚労省の言い分の問題点を指摘、反論しています。
 漠然とした不安に耐えるのは限界があります。今からでも、無症状者の検査の拡充によって、少しでもリスクを具体的に把握し、国民に提示してほしいものです。(ジャーナリスト 川井龍介)

ryusukekawai @ 4月 2, 2021

必要な検査がまだ進まない ノーベル賞学者も首を傾げる

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 (川崎「医療生協」新聞2月号「コロナの風」より)

 とうとう病院や療養施設の受け入れ体制の限界から、本来助かったかもしれない命が失われるという最悪の事態になってしまいました。適正な対策をとらなければこうした事態を招くかもしれないことは、昨年の春、夏から専門家の指摘によって予測されていたことを考えると政府の責任は重いでしょう。
 実行されていない適正な施策とは、PCR検査の拡充と、感染者のための療養施設の十分な確保、そして医療現場への支援です。とくに検査の拡充については、なぜ実施できないのかかなり前から批判が続いています。感染拡大を憂慮して、1月に4人の日本人ノーベル賞受賞者が政府に要望した5点の中にも「PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離の強化」がありました。
 4人の1人、本庶佑氏は、GoToトラベルなどの業界支援ではなく、検査数をより増やすために集約して資金を投入すべきだと強調し、厚労省がなぜこうした対策をとらないのか理解できない、と怒りのこもった疑問を呈しています。政府の対策諮問委員会のメンバーの谷口清洲氏(三重病院臨床研究部長)も感染源を減らすことの重要性を説き、PCR検査による感染者の早期発見と、待機・入院などの保護、そして無症状者の検査強化による感染広がりの抑制を訴えています。
 経済政策の観点からも、政府の感染症対策分科会のメンバーでもある経済学者の小林慶一郎氏は、昨年春から効果的な検査の拡充による感染者の洗い出しなど「検査・追跡・待機」の実施が、感染拡大防止になると提言してきました。
 PCR検査については、偽陽性の者を含めて保護することは人権上や収容能力の面からできない、また偽陰性の者が感染を広める可能性があるなどとして、研究者やジャーナリズムのなかでも慎重論、反対論がありました。しかし、偽陽性については、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が、「検体に新型コロナがあった場合、結果に誤りはでない」と、権威ある医学誌の論文をもとに反論しています。加えて偽陽性者の存在を理由にしたPCR検査拡充の反対論は、感染者の追跡が難しい今、真の陽性者の存在を放置するにすぎません。
 また、PCR検査は頻度が重用であり、偽陰性はあるものの頻度を増すことによって感染者を減らすことができます。偽陰性の問題は一般に知られていますから、1回の検査で陰性だからと言って安心して行動することにはならないでしょう。いずれにしても偽陽性、偽陰性の問題から検査の拡充を抑制するというのは感染者を減らす目的からすれば本末転倒です。
 費用の問題については、GoToキャンペーンに費やした予算と比較すればできないはずはなかったことは明らかです。そもそも保健所の負担が大きいというのであれば、減らす手立てを講じ、検査の民間への委託も行えたはずです。この点は、昨年8月に退官するまで現場の最高責任者として感染対策にあたっていた厚労省鈴木康裕・前医務技監も認めています。
 つまり、感染源を減らすという施策を、難易度が高いからなのかその理由はわかりませんが、政府・厚労省は積極的にとらなかった。他国での成功例がありながら、検査によって動ける人と動けない人を分け、経済活動を部分的に動かしていくべきだという提言に耳を傾けなかった。その代わりに国民に「お願いします」と自粛と要請を繰り返し、社会に薄く広く息苦しいマスクをかけてきたように思えてなりません。
 本来いち早く行うべき医療従事者や福祉施設で働く人への検査にも積極的に取り組んでいません。自分が感染しているのではないか、患者、利用者に感染させてはいけないという緊張感を保ちながら業務にあたっている人のストレスはピークに達しているでしょう。検査拡充が一気にできないなら、せめてこうした現場の人への検査を優先して公費で行えるようにすべきではないでしょうか。 (ジャーナリスト 川井龍介)

ryusukekawai @ 4月 2, 2021

現状報告より感染制御策を 寄付を促せないか

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GoToトラベルをめぐって東京都は65歳以上高齢者と基礎疾患のある人には自粛を要請した。高齢者たちの健康を気遣うというよりは、感染したら重症化の危険があるこの種の人たちの行動を制限した方がいいといった思惑がみてとれて、嫌な感じがする。極端な言い方をすれば社会に負担をかけるものの排除に近い。
 感染者は増え続け医療機関の危機的な状況が報道される。一方で外出の自粛を要請された大阪の繁華街の様子を「閑散としています」と、まるで悪いことのように報ずる記者がいる。自粛の要請に人々が応じていることが悪いことなのか。現時点ではにぎやかな方が問題なのに。
 医療現場はひっ迫している。飲食店や旅行業界は大変な目に遭っている。その状況だけを一喜一憂するかのような報道には辟易している人も多いのではないか。反対に報道されないのが、感染状況の具体的な内容だ。どこで、どんな人がどのように感染しているため拡大しているのか。どのような感染防止策の可能性があるのか。それが示されない。
 個人の感染防御策のレベルではもはや対抗できないということは明らかなのだから、社会的な検査によって感染状況をつかみ拡大させないようにすることや、検査によって封じ込めようとしないのなら全体に網をかけるという意味で、非常事態宣言のような方策をとるしかないのではないか。
 感染者だけでなく他の疾患で診療・手術を必要としている人にも影響が出ている。ここでも弱いものへの圧力が高まっている。医療機関、居酒屋などいまもっとも苦境に立たされているところに、カンパの寄付を呼びかけるのも一つ方法だ。ただの寄付ではなく「Let’sカンパ」として、寄付した人に特典があるような施策だ。われわれの社会が壊れつつあるなか、国だけを頼りにするのではなく、企業も個人も社会のために寄付をする仕組みができるといい。

ryusukekawai @ 12月 3, 2020

気味の悪い進行 コロナ第3波

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 コロナ禍がほぼ一年続いて、ここにきて薄気味悪さが増している。感染が拡大の事実そのものはもちろん気味悪い。しかしそれにも増して気味が悪いのが、事態が悪化していく可能性があったことは予測できたのに、その悪化の様をただ見てきたような感じがしていることだ。
 メディアも感染者の数の増加と医療現場の悲鳴を報じつづけるといった「現状報告」が主で、なぜ備えられなかったのか、備えるためにはどうすべきだったのかといったといったその先の報道があまりみられない。だから何度も医療関係者の悲鳴を聞くのがつらくなってくる。
 専門家は、GoToキャンペーンの前からこの冬には感染の拡大は予想されるといっていた。これにGoToが加わればなおさらであった。GoToキャンペーンについては、旅行産業を救うという点で有効だったので、この政策の是非については別に議論するとしても、悪影響についても想定を覚悟の上の実施だったはずである。だから、備えが必要だった。にもかかわらず最悪のケースでの医療体制への支援、そしてキャンペーンの中止など人の活動制限について計画的な備えがあったのかどうか疑問だ。

           最初から個人の努力の問題ではない

 11月27日、政府の感染症対策にあたる分科会の尾身茂会長は、「個人の努力だけに頼るステージは過ぎた」という認識を示した。しかしそもそも、ウイルス感染の問題が個人の努力だけで解決できる話ではないのは明らかだし、国がなにをすべきたかが最初から問われていた。
 にもかかわらず、検査体制の拡充の問題一つとっても明確な方向性を打ち出せないままだ。クラスターの追跡に伴うPCR検査ではなく、感染者の把握を大規模に行う検査については、偽陽性、偽陰性の問題があるためその有効性の有無について議論があったが、煮詰めた議論もされず、結局検査は増えたが感染状況を把握する検査にはほど遠いものである。一部の積極的なクリニックの努力に負っている部分もある。
 医療体制については、第一波のときに医療従事者のマンパワーの不足が心配され、現場を離れている看護師などを呼び寄せるなど医療スタッフの確保を進めるべきという提案が出されたが、その後どうなったのか。いま病床数の不足と同様に懸念されている。軽症者の療養施設についても対応できるのか心配だ。

           堂々と国民に説明できないのか

 これらすべてなんらかの検討はされていないはずはないだろうが、その形跡が国民には見えない。この点は、もう一つの気味の悪さを意味する。国のリーダーがコロナ禍に対する明確なビジョンを国民に直接示さないということだ。ドイツ、イギリス、ニュージーランドなどの首相が国民に方針を語り、示すのとは大違いで、日本では専門家の口を借りて遠回しに妥当な政策を暗示するか抽象的な努力目標を語るばかりだ。それも原稿を読み上げる形で。
 確たる気持ちがあれば、自然と言葉は内から出てくるものだから、そういうものがないと判断されても仕方ない。オリンピック開催についての「人類がウイルスに打ち勝った証として世界に発信」というフレーズも借りてきた言葉のようだ。極めつけは第三波の拡大時に首相が訴えた「マスク会食のすすめ」だ。これは保健所の担当者レベルがする注意喚起であり、一国の首相が示すべきものとは次元がちがうだろう。

            漠然としか感染リスクを示せない
 
 もう一つ気味の悪いことがある。感染の危険度が具体的に見えないことである。いったい感染者の割合はどのくらいなのかがわからない。また、感染のメカニズムもそれほどはっきり示されているとは思えない。
「マスクをつけて会食する」など個人に求める対策は、同席者が感染者だというのが前提だ。「人と見たら泥棒と思え」ではないが、「人をみたら感染者だと思え」というわけである。であれば会食する人数が多ければ、感染者に出遭う確率は高くなる。また、ウイルスは取り込む量が多くなれば感染のリスクは高まるといわれているので、長時間に及ぶ会食などの接触はリスクを高めることになる。
 では、どの程度の割合で感染者はいるのだろうか。どういうところにいるのか。これらについては行った検査の範囲内でしか示されていない。ただ先日、テレビで感染の疑いのある人を診療しているある医師が、どこにでも感染者はいる可能性はあると話していたように、追跡できるような段階を過ぎ、市中のどこに感染者がいてもおかしくない状況になっていると推定される。
 言い換えればリスクは漠然としているので、楽観的な人と慎重・悲観的な人ではかなり反応は異なることになる。政府が「勝負の3週間」と注意喚起した(どの程度国民に伝わっているのかは疑問)あとの休日の渋谷では、若者が集団でマスクもせずに戸外で飲み会をして騒いでいた。観光地や観光イベントもそれなりの人手でにぎわっている。一方で、感染者は増え続け医療機関の逼迫度は増している。
 地域を限ってでも徹底した検査によって感染の実態をつかむべきだとの意見は多かったが結局、こうした検査は行われなかったことが感染のリスクを具体的に示すことができないことにつながったのではないか。

         検査の議論を煮詰めることなく過ごした

 こうした徹底した検査については、「偽陽性の割合(確かな率は不明?)の問題から、多くの偽陽性者を隔離・保護することはできない。偽陰性の問題をどうするのか」という理由からの反対論が少なくなかった。偽陽性者の保護を人権上の問題からできないという意見については、すでにコロナ禍で多くの人権が制限されていて、こうした制約が公共の利益と照らし合わせて不合理だとは言えないだろう。また、保護施設が確保できないのでは、という問題は科学より政治・行政の問題であり、議論の方向が異なる。偽陰性の問題は、「陰性と判定されても100%確かなものではない」と、言い含めるしかないことは、これまでの検査と同様である。
 徹底検査の必要の有無の議論を煮詰めることなく、状況をやり過ごしている間に、陽性者は目に見えない形で市中に広がっていったと推測される。「偽陽性の者をあぶりだしては混乱をきたす」という論は、見方を変えれば陽性者の実態を把握することなく、結局誰が感染しているかわからない状況に導いたに過ぎないとはいえないか。
 
             楽しむ人と苦しむ人 

 さらに気味の悪いことがある。繰り返しになるが、一部の人による感染抑制に反する行為は何ら規制がないから、第一波のころから相変わらず野放しになっている。また、余裕のある人は旅行に出かける。その反対に医療機関や保健所で働く人が疲労困憊していく。
 自由に楽しんでいる人がいる一方で、苦しんでいる人がいる。こうしたことは何もいまはじまったことではなく、世の中はそもそもそういうものだが、楽しい個人の行為がまわりまわって他者を苦しめるという構図が明らかになるなかで、こうした状況を見せつけられるというのは気持ちのいいものではない。
 感染を抑制することと経済を回すことという両立しにくいテーマを実現するには、容認せざるを得ない制度もあるだろうが、誰かを苦しめて自分の自由や欲望を満たすということを一個人としてどう考えていくかという問題は別だ。今議論になっているカジノの問題がこれに似ている。例えば横浜市が推進するように、ギャンブル依存症の人への影響はあっても、財政上からカジノは必要という考えの是非だ。
 将来の市の財政のため必要だという横浜市の意見は一見もっともだが、財政上豊かになることが大事なのではなく、市民の生活が豊かになる(お金だけで計れ部分もあるという意味)ことが大事だということを考えれば、社会に負荷を与えず(誰かを苦しめず)に、財政上プラスになるような道を探る努力はまず第一だ。
 GoToキャンペーンも、確かに経済効果という点では有効だろう。だからといって国にとってこの時期にこれを実施したのは必要で正しい政策だったと評価を下すのは、国家の安全保障のためには沖縄に負担を強いてもしかたないといった乱暴な意見に通じる。官僚的な上から目線の安易な国益優先論だ。負担や苦汁を味わう同胞をできるだけ少なくする中で別の方策もないものかと考えるのが第一だ。
 この点は、ダム開発、原発建設、リニアモーター建設など、国益や経済効果といったお題目は掲げられるが、真の意味での公共の利益にあたるか疑問な巨大事業の進め方にも共通する。

           やがて自分の首を絞めることになる

 GoToイートも、ほかに方法はなかったのだろうか。要は居酒屋をはじめ飲食店をどうやったら当面救済できるかがテーマだが、どこに感染者がいるかわからない状況で、会食がもっともリスクが高いといわれているときに、「マスク会食」といった個人の努力レベルを頼りに「お得だからお店に行こう」と背中を押してもリスクが高すぎる。
 それよりまずは、資金を提供したうえで、アクリル板の設置や収容客数の制限、飲食時間の制限など具体的な指針を示し、これを遵守してもらい、少しでも顧客が安心して来られるようにする。守らなければペナルティを科すくらいでないと効果はないだろう。もし、このまま感染が拡大し続ければ欧米で行われているような営業禁止という措置に踏み切らざるを得ないだろう。そうなる前に、厳しいガイドラインと経済支援をセットにした方策が有効ではないだろうか。
「要請」のレベルでは、対応はバラバラになり、従ったものがバカを見るようなことになり、事業者間の軋轢も生じかねない。国民同士が反目し合うことの愚は、アメリカの例を見れば明らかだ。
 飲食業に従事する人の生活を支援するという意味では、航空業界で働く人が当面他業界で仕事を得たように、他業界で迎え入れるということも考えられる。コロナ禍で、多くの業界、業種が苦境に陥っているなかで、食品関係、ホームセンターなど業績を伸ばしている業種も少なくない。こうした業界で受け入れることも国は後押ししたらどうだろう。
 さらに言えば、企業だけでなく国民ひとり一人が、コロナで苦境にあえぐ業種や人を支援するための寄付ができるようにしたらどうだろう。国や自治体が支援するのはもちろんだが、多少なりともゆとりのある人はそのゆとりの度合いに応じて、支援してはどうだろう。いま、誰が感染してもおかしくない状況にあるなか、こうした支援はめぐりめぐって自分たちを助けることになる。
 ナチス・ドイツの時代、ルター派牧師で反ナチ運動をしたマルティン・ニーメラー の有名な言葉(詩)を思い出す。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから」ではじまり、最後は、「私が攻撃された時、私のために声を上げてくれる人は、誰一人残っていなかった」で終わる。
 自分には直接関係のないことだと、不合理や正義に反することから目を背けていると、やがて自分がそうした目に遭った時、もはや手遅れだということである。自分は感染していないし、医療関係者でも飲食関係の仕事をしているものではない、と傍観していると知らないうちに自分にとっても手遅れになることがあるということを自戒を込めて覚えておきたい。

ryusukekawai @ 11月 30, 2020

火事を必死に消火している人を横目に、花火を楽しめというのか 医療危機とGoToキャンペーン

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 コロナ感染者に応対している病院スタッフのなかには、できることなら現場から逃避したいという声を聞いた。その一方でGoToキャンペーンの開始だ。病院は、警察や消防と同様に私たちの安全を保証してくれる存在だ。
 ものごとには優先順位というものがある。まずは医療機関に最大限の支援をするのが国や自治体の役割だ。しかし、感染拡大によって医療現場が危機的な状況にあるときに、税金を使って人の移動を促進させようとするのは、どう見ても不合理だ。火事現場で必死に消火活動しているとなりで、花火見物するようなものだ。火事の火花を気にせずに、きれいな花火を楽しめるのか。
 感染を完全に防ぐのは不可能だ。いまや個人として気をつけて常識的な行動をとっている人も感染している。だから万一感染しても十分な医療体制、あるいは静養できる隔離体制を整えるという、「万一感染してもある程度安心できる体制」が必要だ。もう一つ重要なのはPCR検査体制の拡充である。
 これに対しては、偽陽性、偽陰性という問題を揚げ、反対する専門家やジャーナリストもいるが、この論の科学的な根拠については、上昌広氏(医療ガバナンス研究所)の主張を読めば適当でないことがわかる。(連載医療従事者が本音で語る「日本社会」の現状~GGO For Doctor【第11回】政府無視し「PCR検査をしない真っ当な理由」騙る厚労省の大罪)。
 また、科学的以外の根拠として挙げている「偽陽性の人も含めた隔離体制など無理である」は、上氏の論からすればそうとは言えない。もちろん療養する施設がかなり必要なのは確かだが、可能な限りやるかどうかは政治・行政の判断次第である。

 効果の薄いマスクに税金何百億を費やす施策を即決し、医療支援より観光業やレジャーを楽しみたい人に金を使う決定を下せるなら、できないことはない。「整備は大変だろう」という科学的以外の理由を、なにも専門家が管理者側の立場を忖度して判断する必要はない。要はやる気があるかないかだ。
 また、なにかというと「PCR検査はその時のものであり完全ではない」といった意見がでるが、そんなことはずいぶん前から分かり切ったことで、それは計算済みで議論されているはずである。不完全であるなら少数の検査でもあまり意味がないことになる。しかし、そうではなく、ニューヨーク市のように回数を重ねて簡単にできるようになれば、少なくとも限られた検査に比べ、より陽性者との接触のリスクをより可視化でき、無駄な神経を使うことが軽減され自粛をする必要度も低くなる。
 しかし、検査に対しては「進まない理由がある」というのを専門家ではなく、国の施策として、方針として、そう結論付けているのなら、厚労省の医系技官のしかるべき人が説明をしてはどうだろう。知られざる事実があり、もしかしたら自分の方が勘違いをしているのかもしれないという謙虚な気持ちも持ち合わせている人も多いだろう。
 しかし、今までそれがないのだ。多くの人が気づいていると思うが、自然災害の際に気象庁のしかるべき人がその都度国民に向けて説明をするのと異なり、一連のコロナ問題に対しては、専門家ばかりが表に出て、行政の責任者(専門的な知識のある行政官)が表にできて発表、説明することがない。実に不思議だ。

           漠然とした不安がもたらす悪弊

 いまあるのは、データが少ない中の漠然とした感染の不安のなかで、これにおびえ行動を制約させている人たちと、わからないのだから楽観的に行動する人たちの2極化ではないだろうか。実態は同じなのに、検査に基づくデータがないことがそれぞれが個人的な憶測で感染リスクを判断するなどして混乱を招く。
 繰り返すが、感染はだれにでも起きる可能性があるのに、常識的な行動をとって感染した人にも、差別的な見方が広がっている問題もある。感染したがために引っ越しを余儀なくされた例すらある。本来は被害者なのにだ。
 差別する人間は、自分が感染したら差別されるだろうことはわかっているから、極端に神経質になる。人を差別する人が自分の検査してみたら陽性だということもあるだろう。感染を顕在化することによって、感染に対する差別も多少は減少するはずだ。インフルエンザに罹ったからといって引っ越しを余儀なくされることがあるだろうか。
 プロ野球選手が、シーズン前にPCR検査をして臨んだチームの例のように、固定された集団は検査をすることによって自分たちも周りも、何もしなかったときに比べてリスクの度合いはわかる。だから、歌舞伎町のホストクラブやキャバクラで起きた集団感染に対して、徹底して関係エリアの人たちの検査をいち早くやるべきだという意見は早くからあった。しかし一部の検査に終わってしまい、その間に感染は広まったと考えられる。

         カジノを進め、キャンペーンも勧める横浜
 
 話をGoToキャンペーンにもどせば、データに基づきリスクがある程度可視化され、医療体制が整い、感染が減少傾向にあれば人は、安心を得て「観光」に動きだすだろう。観光業界への支援は大いに必要であることは異論はない。しかし、その支援策がいま人を動かす形で実行されることが、地域や観光業にとって最善の策なのか、疑問だ。
 統制と管理が、自由な個人・個人集団に比べればなるかにとれている「教育現場」でも、修学旅行は取りやめ、本来の夏の甲子園大会も無観客でも取りやめになっている。これと比べてもキャンペーンの仕方は腑に落ちない。
 首都圏で観光都市でもありまた感染も拡大している横浜市は、この時期にすら市長が統合型リゾート(カジノ)建設推進に力を入れている。そういう考えだから市民に「ぜひ、県外に旅行なさっていいんじゃないかと思う」(毎日新聞、7月16日付)」と、軽々と驚くべきことをいう。神奈川県知事も同姿勢で、政権の支持を受けている自治体の首長らしいというしかない。ともに平たく言えば実に“軽い”。
 横浜市の市長は、超高齢社会の市財政を考えるとカジノ建設が必須という。お金という表に見えるだけの指標で考えるからこういうことになる。ギャンブル依存症、環境破壊による見えざるディメリット(結果として社会資本に経済的にもマイナスを及ぼす)に深慮をめぐらすこともない。コロナ問題を見ればわかる。いかに財政を支出したか。経済対策として金を回して表向きに成長を見せても、それを相殺する以上の支出を生み、公共社会に、また個人に心理的ダメージを与える。だから、同市長の考えは“薄っぺらい”といえる。

 自治体でもキャンペーンに対しての意見は様々だし、地域でも業種によって意見は異なる。キャンペーンによって利益を得る人とそうでない人がいるからだ。これが時によって地域内に軋轢を生んだり、下手をすると分断をもたらす。
 こうした図式は、原発導入、ダム建設、リニアモーター建設のような巨大開発などと同じで、昔から繰り返されていることだ。あえて地域を分断することで開発を進めるというやり方を政治は幾度となく行ってきた。今回はそうとは思わないが、結果として分断を生むとしたらその責任も大きい。

  自分さえよけりゃいい 現政権下での倫理観の低下           

 キャンペーンという割安な旅行とはいえ、出かけることができるのは経済的に余裕がある人だ。こういう人はなにも援助しなくても安心すれば旅行にでる。それをわざわざ税金を使って旅行をしてもらおうという。
 少なくとも医療関係者や保健行政に携わっている人への手厚い支援があってのことならそれもいいが、そうでない状況の下で感染拡大のリスクの原因の一端を背負っていると想像したら、旅行者もまた心底から楽しめないのではないか。いや、ひょっとするとそんなことはないのか。
 というのは、自分が感染していなければいい、感染していないからいい、という風潮があるような気もするからだ。コロナ問題だけでなく、自然災害も原発の被害も、さらには辺野古の埋め立てに象徴される沖縄問題でも同じだ。被害に遭う人は多いが、日本人全体からすれば一部であり、過半数は占めない。
 圧倒的多数の被害に遭わなかった人が、社会問題についてどう考えるかというと、被害者の側に身を置いて考えるようにはなっていない気がする。森友問題で自殺した公務員の置かれた悲劇には同情しても、自分の身には起きないと思っている。つまりいまの自分は問題がないから現政権で、そして現在の政治にことさら反対する理由はないのだ。
 それ以上に、もっとも近くでは電通への優遇措置から数えれば、検察庁人事、さくら問題、モリカケ問題と、これだけ政権のコネ政治疑惑が続いても、これを、最低でも倫理的に問題ありと異議を唱えない人たちがいる。これもひょっとすると、「そうか権力者に近くなると得をするということがあるのか」と、思う傾向もあるのではないかとすら疑う。
 だとすれば、これは長年の“お友達大事”、“仲間優先”政治が生み出した大衆の倫理観の低下の表われなのか。現政権、安倍首相は今回の危機で、その統治能力、政治哲学、そして社会をどういう方向にもっていこうかという大きなビジョンが見えてこないことが明らかになった。
 ついでに言えば、驚いたのは今回の豪雨被害があった直後の首相会見で、対策についてひとこと語った首相は、原稿を見ながら話していたのだ。国民が被災して死者も出ているその実態を前に、「大変だな、かわいそうだな」という気持ちがあれば、そんな言葉は自然と出てくるものではないか。この人にはそういう気持ちがないのだろうか。
 批判のための批判ではない。これだけひどいことが続き過ぎると、そう言わざるを得ない。しかし、それを暗黙に支持している国民、大衆にも責任がある。おかしいのは政権だけでない。「裸の王様」はやはり大衆だ。

    運のいい者と金のある者が生き残る野蛮

 問題は起きてもこれに対する解決策については、問題にかかわらなかった幸運な人の意見や気分(意見のないことで為政者に都合のいいように結果として決まることもある)が、多数決の原理で反映されているのではないか。また、問題が起きたとき往々にして乗り切ることができるのは、経済的に裕福なものだ。
 こうしてみると、たまたま運がよかった人たちと、金のあるものが生き残っていくことだろうか。歴史を振り返れば、なんとも野蛮な時代の淘汰のされ方と変わりないことがわかり、愕然とする。
 ふつうに生活して困難な状況に陥った人、自然災害や今回のコロナ感染など自分の責任以外のことで大変な目に遭った人を支えられるような社会、こういう社会を作ることを民主社会の中で長年人々は目指してきたのではなかったのだろうか。

ryusukekawai @ 7月 16, 2020

安心して感染できる環境に  徹底検査というビッグデータ活用を

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 嫌な空気に包まれている。新型コロナウイルスの拡大によって、いま日本を覆っているのはそんな空気だ。ホストクラブ通いをやめられない客や、自粛をものともしない夜の店や、自粛の解除とともに観光地や繁華街に繰り出す人たち。その一方で、外出を極力避け、マスクをはなさず行動する人たちもいる。
 感染の危険度は大したことないのか、どうなのか。なぜ日本は今のところ表にでている感染者の数も陽性者の割合も低いのか。「ファクターX」はよくわからないという。確かなことがわからないなかで、漠然とした危険性があるという警告のもとで生活する。それが、なんとも気味が悪い。
 この気分を少しでも解消するには、とにかく検査を拡大するしかない。検査にもとづくデータを可能な限り集める、つまりAIの基本のビッグデータの活用がまず先だろう。推測や憶測に基づく議論をするより、「検査の拡大」を訴え実行することがまず第一だ。
 もう一つの嫌な空気は、感染の確率はかなり低いかもしれないが、連日報道される医療現場の苦しい事情や感染患者受け入れ状況をみると、万一感染したらまともに診てもらえないかもしれないという不安を抱えているという空気だ。
 感染を防ぐことは100%は不可能だ。だから、万一感染しても安心していられる、つまり安心して感染できる状況が必要になる。そもそも病院とはそういうものだ。万一病気やけがをしても病院があるから安心していられる。
 いくら観光キャンペーンなどに金を使っても、それに乗ってくるのは、楽天的な人たちだけで、漠然とした恐れや不安を抱いている人たちはまだ控えるだろう。それより科学的にどう危険でどう安全なのかがより分かってきて、加えて万一感染しても診察から収容まで安心していられるとわかれば、理屈で動く理性的な人たちも動き出す。
 検査の徹底拡大によるデータと、安心して感染できる十分な医療体制によって、日常の活動も合理的になり、合理的な経済活動が進む。

ryusukekawai @ 6月 22, 2020

家が火事のときに新築住宅の売り込みをするようなものだ

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 新型コロナウイルスによって打撃を受けた観光業や飲食業のために、政府は「Go Toキャンペーン」なるものを立案したが、その事業費は1兆6794億円で、事務の委託費が最大で3095億円に上るという。医療機関が危機に瀕していて、国民が感染した場合、安心して治療を受けられない心配があるなかでのことだ。
 飲食や観光が活況を呈するには、第一にウイルスの感染がおさまることだ。しかし、完全にウイルスを封じ込めるのは不可能だろう。だから万一感染してもすぐに検査を受けられ、安心してしかるべきに医療機関なりで処置してもらえることが大切なのだ。
 こうした安心感がないなかでは、気軽に飲食や観光に行けない。つまり、まず第一に金もエネルギーもそそぐべきは、医療機関への援助であり、これによって安心できる治療体制を確立することに尽きる。
 それができれば、キャンペーンなど必要ない。だまっていても人々は動き出せる。いま第二波の心配も持ち上がっている。波が来たら医療崩壊さえ起きかねないのに、収束後のキャンペーンだというのだから、国民的な利益よりも狭い業界内の利益を優先して考えるという、レベルの低い政治決定としかいいようがない。
 飲食が半額になるクーポンがもらえれば、人は単純にうれしいだろう。庶民はそう思う。その庶民の単純な損得勘定に付け込んで歓心を買うような真似は、マスクを配った姿勢と同じだ。心ある政治家なら、「クーポンを配りたいところだが、いま大事なのは違う。医療のために使うのが大事なのだ」と、国民に訴えるくらいの気持ちがほしい。
 われわれはいま、安心して感染できない状況にある。だから、まじめな人ほど自粛し、神経質な人ほど恐れ、もやもやした空気に支配されている。注意をしながらも活動をするには、感染しててもある程度安心感を得られる環境が必要なのだ。
 検査体制の推進を可能な限り急ぎ、最大限の医療支援をする。それをせずして、なにが消費促進のキャンペーンだ。火事が目の前でおき、被災している人がいるときは、消火活動が何より優先されるべきだ。愚策の「Go To キャンペーン」は、自宅が燃えている人を前にして、新たに建てる住宅の売り込みに励むようなものだ。

ryusukekawai @ 6月 8, 2020

 岡江久美子さんは死ななくてすんだのでは      本気でPCR検査、軽症者収容、医療・保健現場の支援をしていたら?

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 PCR検査体制と軽症者収容、そして医療・保健現場の支援に対する不備を放置してきたことはもはや揺るがしがたい事実であり、その責任は政府と厚労省にあることがはっきりした。認めるわけもないその責任を今追及したところで意味がないという意見もあるだろう。しかし、本気で取り組めばできる可能性があった施策、体制をとらなかったことで、失われずに済んだかもしれない命、ビジネスがあったことを考えれば、この事実は確認しておかなければならない。
 
 PCR検査の停滞という失態は、安倍首相、加藤厚労相、そして政府専門家会議の発言から明らかになっている。加えて、自民党の田村憲久代議士という自民党の元厚労大臣もこれを認めている。
 検査の拡充ができていないことについて、政府の専門家会議は検査体制が十分でなかったことを理由にしている。
 ――専門家会議は、「(検査を担う)地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と、指摘。新型コロナの感染拡大後は、検査を実施するかを判断する保健所が患者らの相談対応などで忙殺され、検体を採取する医師の感染防護具も不足していたことなどを挙げた。――(5月4日毎日新聞)
 ここで挙げられた理由は、果たして解消できなかった理由だろうか。
 「検査を担う地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と言うが、「起こらなかったという事実」はなにも今になって気づいたことではないはずだ。「起こらなかったこと」を認識していて専門家会議も、政府も黙っていたわけだ。「求める声が起きていれば対処したが、起こらなかったからしなかった」と聞こえるが、これでは、道端でケガして倒れていた人がいても、「助けてくれ」と言われなかったからそのまま通り過ぎたといっているのと同じだ。
 
 次に、「検査を実施するかを判断する保健所が患者らの相談対応などで忙殺され、検体を採取する医師の感染防護具も不足していた」という理由だが、これもあまりに傍観者的だ。「忙殺されていて、感染防護具も不足していた」ことは、早い段階で知られていた。「忙殺されていた保健所と感染防護具が不足している医師や病院」があることももちろん最初から分かっていたはずだ。この問題を解決するのはもちろん政治、行政だが、専門家会議も「問題を解決すべきだ」と強く提言すればいいではないか。「専門家会議としては提言したが、解消されなかった」というのならわかるが「不足していた」という事実認識だけならだれだってできる。
 専門家会議は、政権を忖度する必要などないはずだが、これでは「さぞ、行政も政治も現体制では大変だろうから、無理でしょう」と、忖度しているともとれる。いったい専門家会議とは、どういう立場なのか。厚労省の行政としての責任者が顔を見せずに、いつも専門家会議がまるで、政策の責任者のように登場して発言している。実に責任の所在が分かりにくい。合理的なことが実行されない。だから、「本気で検査を増やそうとしたのか」という怒りにも似た質問が各方面から政府に投げかけられる。

 事態の収束に向けてPCR検査の拡大の有用性については、京都大の山中伸弥教授をはじめ英国キングス・カレッジ・ロンドン教授でWHO事務局長上級顧問の渋谷健司氏などの専門家、そして社会物理学の立場から研究した九州大学の小田垣孝名誉教授、また経済学の立場からも法政大学の小黒一正教授など数多くの知識人が訴えている。
 現場で検査を積極的に行っているクリニックや病院をはじめ、医学部附属病院でPCR検査のシミュレーションを実施した山梨大の島田真路学長も国の体制を批判し、検査拡充を訴える。

 政府が、早くから検査に向けて人材、金、資材を投入、収容施設の確保という施策に本気で取り掛かっていれば、社会活動をほぼ正常にできる人とそうでない人をある程度区別し、全国民に長期にわたって網をかけるようなことをしなくても済む。その可能性がわかっていながら、放置してきたことで、ウイルスによる死者、経済活動を奪われビジネスや仕事を奪われた人、倒産者をもっと抑えられたかもしれないことを考えると、なんとその罪は重いことか。
 リーダーシップをとる人間がなく、そうした施策がとられず、目先の簡単な施策である数百億を使ったマスクの配布や、事態収束後の観光キャンペーン予算を組むことをよしとしているような、だれでもできるようなことをしてきた安倍首相、加藤厚労相の責任は重大だ。
 政府や専門家会議を批判することが目的ではない。しかし、事実を追えば当然こういう批判をせざるを得ない。
 最後に検査体制などの不備との関係に戻れば、沖縄の基地問題の解決にも尽力されるなど多くの業績を残した岡本行夫氏の死の経過についても注視したい。

  

 

BILLIE JEAN Jose Feliciano – YouTube

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ryusukekawai @ 5月 9, 2020