テロと誤爆、そして人質

フランスでのテロ事件に次いで、シリアでの日本人人質事件。アメリカをはじめとした先進諸国が封じ込めようとした勢力が、形を変えてテロを拡大させてきた。

何の罪もない人間を殺害する狂った暴力には、怒りと嫌悪を覚えるが、一方で果たしてそうした暴力はテロ組織からのものだけなのかという思いが浮かぶ。

暴力を受けたのが先進国の人間だったり、その行為が先進社会で起きた場合、当然反響は大きくなる。しかし、たとえばアフガニスタンやイラクなどで、アメリカやそれに同調する側が一帯となって行ったテロ掃討作戦などによる現場の実態は、よくわからないのがほとんだ。

自分の目から遠いところで起きている、あるいは、心情的に遠い人たちについて起きている悲劇に対して、人は関心が薄くなるのが常だ。だから、たとえば反テロ攻撃で、空爆して、誤爆だったということで何の関係もない住人が死んだり傷ついても、ひどい話だとは思っても、何十万人もの人がデモをしたり国際社会が一斉に怒りをあらわにすることもない。

犠牲者の家族にしてみれば、正義の戦いのための「誤爆」か、テロ行為によるものかは関係ない。ただそんな目に遭わせた側に憎しみが募るだけだろう。遠いところにいる人たち、なじみのない人たち、力のない人たち、そういう人たちの被害が、どれだけそうでない人たちと比べて世界に届けられたのか。

だが、そういう人たちのことを取材して広く知らせようとしたのが、今回人質になった後藤健二さんだった。このことをどう考えたらいいのか。