Archive for 4月, 2013

経済成長神話、だれか説明してくれないか

火曜日, 4月 30th, 2013

 世の中には、ずっと疑問に思っていても、あまりにも根源的な問題なので提起しづらいことがある。「経済成長」はその最たるものだ。成長戦略だとか、経済を成長させるため、という言葉はほんとうによく聞かされる。

「自然環境や資源の保護」との関係で言えば、「経済成長」がつづけば、資源も自然環境も失われていく。「いやそんなことはない、自然エネルギーの促進や省エネ技術の進化によって、それは防ぐことができる」などとよく言われるが、こういうことを言う人は、本気でそう思っているのだろうか。
「成長を暗黙のうちに是とする」、言い方を換えれば、「あまり根源的なことを考えても仕方ない」、あるいは「考えられない」といった、思考の停止が根底にあるのではないか。                                       

 景気がよくなればエネルギーもより必要となる。そうすればどのような形であれ電力開発は進む。これまで原子力をはじめ火力、水力でも成長に伴う需要増をまかなうために発電所はつくられてきた。これにともない自然海岸や自然な河川は少なくなっていった。
 経済成長とは概ねそういうことなのだ。だから、一方で自然保護、環境保護を謳いながら、経済成長をしないことが問題だというのはおかしなことなのだ。今世間で言われているような成長は、意図するかどうかは別としても、紛れもなく自然資源・環境を食いつぶして達成されのである。

 日本の近代化をとってみても、近代化=経済成長にともなって自然環境がどれだけ変化(劣化)したことか。一例を挙げれば、自然海岸は80年前後に50%を切っている。50数個できた原発の立地は、すべて長閑でほとんど手つかずの自然海岸だった。我々は自然海岸を失うことと引き替えにエネルギーと経済成長を得てきた。
  
  私は個人的にはできる限り自然を保護してほしいと願う。しかし、便利で効率のいい経済的に豊かな社会のために自然をある程度(あるいは、かなり)損失しても仕方ないという考え方があるのも理解できる。しかし、環境を保護しながら経済成長を半永久的に求めて行けること、求めて行くことが当然だというような考えは理解できない。

 よく考えれば矛盾する「考え」でも、それぞれがもっともらく見える「考え」だったりすると、人は深く考えなかったり、あるいはそれとなく矛盾を察知しても思考を掘り下げて問題に気がつくことを本能的(感覚的に)恐れ、立ち入らなかったりする。掘り下げて本質的な問題が露呈したら、簡単には解決できないからだ。
 それぞれが問題と思ったら、個々に取り上げ「なんとかしなければ」ととりあえず言ってみる。ジャーナリズムの悪しき面はここにあり、その方が簡単だし受け手にもわかりやすいし、おそらく提唱する自分でもわかりやすからだろう。
 
 根本的な問題ほどジャーナリズムをはじめ大衆を議論に巻き込む側には難題である。「極端な金融緩和が経済成長につながるのか」などといった一見専門的で難しく思われるテーマより「経済成長と自然保護は矛盾しないのか」といった根源的なテーマの方がはるかに難しいのである。
 しかし、専門的だが表層的なテーマに精通する方が、はるかにお金になるし、日々の生活にすぐ影響するからジャーナリズムのなかでは受け入れられやすい。原発の是非の議論でもそうだった。
 原発について賛成、反対の意見の違いは 安全性についての意見の相違だけでなく、経済成長(経済的豊かさ)に対する見方、さらに掘り下げれば「豊かさとは何か」についての見解の相違についてを問う、深い議論が交わされてしかるべきだった。が、残念ながらこうした「テーマ」を掲げて議論を促したところはなかった。

 仮にこういう議論をしていくと、価値観の相違が浮き彫りなる。たとえば、ひとつのもっともらしい意見の根源は、「組織のなかでの自分の地位の保持」や「自然崇拝」だったりする。それらが悪いというのではもちろんない。
 でも、そこまで掘り下げて徹底的に議論することで、考えの優劣は別にして、いろいろな価値観をむき出しにしてみることは、互いを理解するという点で必要なのではないだろうか。平和で民主的な社会なら幸いそれができるのだから。

格子戸をガラッと開けると・・・

金曜日, 4月 12th, 2013

 暗い小路にたつ小さな木造の平屋。すりガラスの入った格子戸の向こうで楽しげな声がする。思い切ってガラッと引いてみると、「いらっしゃい」と明るい声で出迎えてくれた。まずはひと安心。これがうわさの居酒屋か。

「おひとりですか」。奥の小上がりの小さな膳の前かカウンターを勧められた。両脇の客にちょっと詰めてもらってカウンターに入り込む。白髪のおかみさんのほか、小さなカウンターの向こうには若い女性二人と少し年上の女性が、にこやかな顔でせっせと手を動かしている。給仕に回っているのは背の高い青年だ。総勢5人。孫とおばあちゃんといったスタッフ構成だ。
 店の規模にしては手が多い。それだけの客がいつも入っているのだろう。何しろ開店前から客が並ぶ。閉まる時間は早く、酒は3杯まで。ヨッパライは入れない。情報では確か創業は1940年代。

 まずは「ビールをください」と言ってみると、「大ビンでいいですか」と返されたので、頷いたが周りを見ると小ビンが主流のよう。一番搾りと一緒にやってきたのはお通しだが、これが3点セット。おから、タマネギの酢漬け、そして皮つきのピーナッツと豆菓子。長年のしきたりなのだろう。

 品書きのようなものは見回したがない。「メニューありますか」などときくのは野暮だろう。コハダのつまみがあるとは聞いていたので「コハダありますか」と、きくと「ハイ」と青年は実にさわやか。
 グラス片手にじろじろと店内を見回す。黒ずんだ板張りの天井。カウンター上の天井からは和風の照明が下がり、点滅させるひもが垂れ下がる。建具は古くもちろん木製。奥の小上がりにあるガラス窓の向こうにいい色合いの緑が見える。

 壁や長押の上には、この店の常連かあるいは訪れた有名人の色紙などがずらりと並んでいる。そのなかにも登場しているが、ここでは酒は灘の櫻正宗と決まっているようだ。最初にビールを頼んだときも、同時に日本酒のためと思われるコップが運ばれてきた。これもしきたりなのだ。
 
 カウンターの上に大きな土瓶が二つ置いてある。酒を頼むと若い女性のうちの一人が、それをもって上の方からカウンターのコップめがけてピンポイントで酒をつぐ。インド料理屋で滝のように注がれるチャイを思い出した。なみなみと注がれたぬる燗の櫻正宗は、さっぱりとしていてやさしい。
 左隣の男性客が湯豆腐のようなものを食べている。しばらくすると青年が「どうぞ」と同じものを置いて行った。「あ、それは頼んでいませんが・・・」と戸惑っていると、「みなさんにお出しすることになっています」と、丁寧に応える。どうやら酒をおかわりすると自動的に出てくる仕組みになっているようだ。
 温かい豆腐にシラスとネギがのっていて、よく見ると鱈が入っている。鱈豆腐か。これは自宅で作ってみたくなる。

 閉店も近くなり、少しすいてきたので、何気なくおかみさんに話しかけると、気軽につきあってくれ、「昔はこのあたりに憲兵隊があってね」などとかつての横浜・野毛の様子やご自身のことを教えてくれた。こちらもどこから来たのか多少自己紹介。
 楽しいときも束の間、ここが潮時と席を立つと、「まっすぐおかえんなさいよ」と、おかみさん。笑ってごまかし、気分よく野毛の飲み屋街へ足を向けた。大正11年生まれだというおかみさんの店は武蔵屋という。