パンデミックと環境破壊 「成長」という衰退 人新世の時代に
禍福は糾える縄の如し。どんなことにもいい面と悪い面がある、ともとれるこの諺は実に的を射ている、ということを年とともに痛感します。いいことなどなにもないと言いたくなるコロナ禍についても、偶然ながらプラス面もあります。
これまであまり注目することがなかった各自治体の首長の素顔や力量がわかったことはその一つです。地元の行政もしっかり監視しないとまずいぞ、という有権者としての自覚に目覚めたというのはいいことでしょう。
また、コロナ禍で経済活動が低下し成長も低下する、と否定的に報じられますが、経済活動の低下で二酸化炭素(CO2)の排出量も減少し、空気もきれいになったという話も聞きます。これは、世界的な課題である地球温暖化を抑えるためには、皮肉にも功を奏していることになります。
経済成長と環境問題との関係で言えば、古くは1970年代に国際的なシンクタンク「ローマクラブ」が「成長の限界」を発表し、地球の天然資源は有限で、人口増や環境破壊の面から将来成長は限界に達すると警告しました。しかし、その後も経済成長信仰は崩れず、気候変動に象徴されるように地球環境システムは崩壊の危機に瀕しています。
そして、いまでも一般に経済成長とCO2の排出削減(温暖化阻止)は両立できるという前提で議論が行われています。しかし果たしてそうでしょうか。将来人類に未曽有の被害をもたらすだろう気候変動の根本的な原因は資本主義にある、と警告する今話題の書「人新世の『資本論』」(集英社新書)の著者、斎藤幸平氏はこの疑問に明解に答えています。
経済成長が順調であれば資源消費量が増大するため、二酸化炭素の削減が困難になっていくというジレンマがあり、市場に任せたままでは、今後の技術革新があってもとても削減目標は達成できないというのです。
斎藤氏は、今起きている「新型コロナウイルスによるパンデミック」は、「経済成長を優先した気球規模での開発と破壊が原因である」という点で、気候変動問題と構図が似ているとし、こう警告します。
「先進国において増え続ける需要に応えるために、資本は自然の深くまで入り込み、森林を破壊し、大規模農場経営を行う。自然の奥深くまで入っていけば、未知のウイルスとの接触機会が増えるだけではない。自然の複雑な生態系と異なり、人の手で切り拓かれた空間、とりわけ現代のモノカルチャーが占める空間は、ウイルスを抑え込むことができない。そしてウイルスは変異していき、グローバル化した人と物の流れに乗って、瞬間的に世界中に広がっていく。」
「以前からある専門家たちの警告」、「経済か人命かのジレンマの中での根本的な対策の遅れ」。これらも気候変動問題と同じだと指摘します。
こうしてみると、コロナ禍は、気候変動というより大きな地球的問題への警鐘なのかもしれません。今後も起きるだろうウイルスの問題を教訓とし、今こそ問題の根本原因にある資本主義から離れ、氏の言うように脱成長コミュニズムを真剣に議論すべき時ではないでしょうか。