写真結婚とシアトルの眠れぬ夜

 シアトルからフェリーで40分ほど、穏やかな内海を走りベインブリッジ・アイランド(Bainbridge Island)に到着する。出迎えてくれた竹村義明さんの車に乗って、日系人ゆかりの地を案内してもらい、その後、彼が集めた日系移民一世などに関する私設の資料館を見せてもらった。 
 竹村さんは1956年に西本願寺が海外に布教のために送った「開教使」として渡米、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンなどで、日本から移民した人たちや日系人と関わってきた。水辺に建つ高台の自宅は、西を向き、その遙か向こうは日本へとつづくという。(★写真)周囲からは鳥のさえずる声くらいしか聞こえない。

 さまざまな資料のなかかに明治、大正時代に渡米してきた日本人が携えていた「日本帝国海外旅券」があった。当時のパスポートである。2枚の旅券はある夫婦のものであり、その発行の日付から最初に夫が渡米し、つづいて妻が渡米したことを物語っていた。
 そして、この二人が“写真結婚”であることが裏面に記載された「Photo Marriage」という英語からわかった。当時、日本人移民のなかでしばしば行われていた結婚の形である。互いに相手の写真だけを見て結婚を決めていたが、なかには実際とはずいぶんと違った写真を見せられ困惑した例もあったようだ。

 異国の地へ単身赴く。それも会ったこともない人のところへ嫁ぐという人生の選択をした、あるいはせざるを得なかったこうした女性たちは、当時何を思っていたのだろうか。いや、ほとんどの人があれこれ思う間もなく、ただひたすら働き生活していくしかなかったのかもしれない。
 仮に生活に嫌気がさして別れたくても、別れられるような状況にはなかっただろう。しかし、そうした苦労のうえに築かれた家族と生活が今日の日系アメリカ人の土台になっている。ある調査によれば、アメリカの日系人は現在もっとも恵まれた状況にあるという。

 当時アメリカでは、この写真結婚が非人間的だと批判されたことがある。当然だろう。できれば実際に相手を確かめて、そして家庭の事情などではなくて自由意志で結婚するのがいいのに決まっている。しかし、自由に選択した結果が必ずしもうまくいかないことは、日本でもアメリカでも現代の離婚事情が示している。

 大きな制約のなかで強いられる努力の結果が、ときに自由な意志に基づく行為の結果より勝っていたことがあるのは皮肉なものだ。まだ日本を発って2日目の夜中、時差ぼけで眠れぬシアトルのホテルで、写真結婚の事実からそんなことに思い至った。 


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竹村


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