靖国と「十九の春」

 沖縄県の八重山諸島の一つ西表島に戦時中日本軍が駐留していた。可能ならば当時そこにいた軍人を探しあてたい。そういう目的で恵比寿の防衛省・防衛研究所の資料閲覧室を訪ねた。
 戦時中沖縄に駐留する日本軍の概要をどうしらべるかここで教えてもらったが、個別の部隊についての具体的な情報を知りたければ靖国神社の“資料館”へ行った方がいいと言われ、翌日九段下の靖国神社へ足を運んだ。

 8月の終わり、参道はほとんど日影ができない陽射しのきつい午前11時ごろだった。境内に靖国会館という建物があり、その一階が靖国偕行文庫という資料館だった。館内で目的を告げると、担当の方が親切に沖縄の日本軍、そして石垣島を中心とする八重山の日本軍に関する資料や“戦友会”のリスト見せてくれた。

 西表にいた日本の軍人にたどりつくには、そこにどのような部隊がいたかを調べるのはあたりまえだが、実際その人たちの所在をつかむには、“戦友会”に頼るしかないのだ。しかし、どこの部隊にも戦友会があるわけではない。小さな部隊はある可能性が少ない。

  また、現在ある最新の名簿は10年ほど前のもので、部隊によってはその後連絡がつかなくなったことも十分考えられる。残念ながら西表にいたと特定できた部隊(船浮陸軍病院、第四遊撃隊第四中隊など)に限った戦友会などはみつからなかった。 
 仕方なく石垣島にいた部隊の一部や沖縄本島に配属されていた部隊の戦友会を調べて帰ってきた。

 なんのためにこんなことをしているかと言えば、「十九の春」という歌のルーツを探るためである。このルーツ探しを「『十九の春』を探して」(講談社)というノンフィクションにまとめたのが2007年。この時点では結局そのルーツはわからないままだった。
 調べてみればみるほどそれが雲をつかむようなことだとわかったが、出版後もルーツにつながるかもしれない情報を得たままで未調査のことが二つあった。その一つが、戦中に兵庫県尼崎の紡績工場で働いていた沖縄出身の若い女工がこのメロディーを歌っていたという事実だった。
 そしても一つが、西表島で日本の軍人が戦中にこのメロディーを歌っていたという事実である。もしそうだとしたら軍人はどこでこの歌を知ったのか、だれに教えてもらったのか。そういうことがわかるかもしれない、そう思って靖国へと向かったのだった。
 
 正直言って、戦友会を手がかりに少しでも前に進むのだろうかと心細い限りである。それでも試してみたくなるのは、ここまで調べてきた意地のようなものがあるからだが、それ以上に、実は調べる過程でいろいろな知的副産物があるからである。
 今回も日本の沖縄の日本軍についてある程度知ることができた。また、軍人の間で歌われている“軍歌”や“愛唱歌”についてものすごいコレクターがいることがわかった。

 元軍人はかなり高齢である。これからあまり時間を置かずに、沖縄にいた日本軍の戦友会にコンタクトをとってみようと思う。果たしてどれだけの元軍人に連絡がつくか。そしてあのメロディーを聴いたことがあったという人に出会うことがあるかどうか。
 


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十九の春r


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