密航船水安丸、移民、O.ヘンリー

 20世紀のはじめに、主に丹後半島からアメリカ南フロリダに、“農業開拓”のために入植した話を調べているのだが、当時の海外への入植、移住がどのような社会背景で実行されたのかがいまひとつピンと来ない。
 そこで専門家に尋ねようと、移民問題に詳しい知人の神田稔さんを頼ったところ、立命館大学の河原典史教授を紹介された。河原さんは近代の移住漁民について、特に朝鮮、台湾、そしてカナダに渡った日本人について、歴史地理学から研究されているという。

 まだメールでお尋ねしたばかりなのだが、河原さんから新田次郎著の「密航船水安丸」のことを教えていただいき、さっそく読んでみた。19世紀の終わりから20世紀にかけて宮城県からカナダのバンクーバーあたりに漁業移民としてわたった日本人の実話をもとにした物語だった。
 グループをつくって事業を始めた主人公が郷里に戻り、さらに仲間を募って事業を拡大しようと夢を膨らますところや、すでに移民して成功した話を聞いて、“よし自分も”と決意し、渡航する人たちの姿が描かれている。
 
 フロリダに入植した事例も、本書のようにリーダーがいて郷里へ戻って地縁、血縁で人材を募り、集団で渡航する。おそらく夢と理想に燃えて新天地へ足を踏み入れたのだろう。その辺りの事情があくまで推測だが、「密航船水安丸」から理解できた気がした。

 ところで、フロリダ入植のリーダーは酒井釀といって、入植計画を立てたときはニューヨーク大学に留学中だった。20世紀の初めのことだ。19世紀後半からニューヨークは産業、文化が花開き活況を呈し20世紀に入りさらに繁栄する。
 このころニューヨークには日本人の実業家や学者などによる社交倶楽部、日本倶楽部が誕生する。酒井釀も活気を帯びたマンハッタンのなかに学生として身を置き、実業家としての夢を膨らませていたようだ。

 彼の気持ちを推測する上でも、当時のニューヨークの様子について調べてみようと思うが、まったく別の目的でたまたま図書館で借りた「『最後の一葉』はこうして生まれた-O.ヘンリーの知られざる生涯」(齋藤昇著、角川学芸出版)が参考になった。

「最後の一葉」、「賢者の贈り物」など、ウィットとペーソスに満ちた珠玉の短編の数々を創作した作家、O.ヘンリーは、ちょうどこの時期にニューヨークで彼の代表作を書いている。
 ビジネスの華やかな成功譚も数多くあれば、貧しい移民やスラムの生活もあるニューヨークで、彼は人間を観察し、哀しく温かみある物語を読者に届けた。本書によれば、ニューヨークに来た当初、彼はユニオンスクエアのアパートに暮らしていたという。これは当時酒井譲が通った大学からそう遠くない。

 もしかしたらどこかで二人はすれ違っているかもしれない。想像を膨らませると、事実が物語として見えてくるから不思議だ。


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最後の一葉r


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