TSUNAMI と津波

  昨年の大震災のあと「TSUNAMI」という歌はとても人前で歌える雰囲気にはなかったし、歌う気分にもならなかった。もちろん歌に罪はないし、歌詞も津波そのものとは関係ない。

 しかし津波によって失われた命の数と遺族の胸を引き裂かれるような気持ちを考えれば、歌という一種のエンターテインメントのなかで聴かされるのは、なんらかの抵抗を感じるのは当然のことだろう。

 2000年にリリースされたサザンオールスターズのヒット曲「TSUNAMI」は、切ないバラードを得意とする桑田佳祐の作品のなかでも、「真夏の果実」と並ぶ秀作だ。切なさ、侘びしさを叫び、やがて諦めのように消えて行く。哀しく美しい曲だ。

 この「TSUNAMI」をテレビやラジオで聴くことになるには、どのくらいかかるのだろうかと、震災直後に思ったことがある。それが今晩たまたまテレビで外国人が日本語のヒット曲を歌い競う番組を見ていたら、アメリカの20歳の男性がこの「TSUNAMI」を歌って優勝した。

 番組を通して見て、彼だけではなく日本語の曲をこんなに愛好して、上手に歌う外国人がいかにたくさんいるのかと驚くばかりだったが、「TSUNAMI」が歌われたのにも驚いた。というのは、番組のなかで先にサザンの別の曲も歌われたので、私は「もし誰かがサザンのTSUNAMIを選曲したら、テレビ局は“待った”をかけるかもしれないな」と思ったりした。
 ところが最後に「TSUNAMI」がすらりと歌われたので、その果敢な挑戦に「おー」と感心したのだった。

 日本人だったらタブー視したり、遠慮していたことを、外国人がさらりと言ったり、行動したりすることはときどきある。時にそれは顰蹙を買うこともあるが、因襲に風穴を開けてくれる役割も果たす。

 津波による惨事を知らないわけはないこの日本ファンの若者が、TSUNAMI(津波)という言葉に、どれほどのことを感じていたのかわからない。だが、彼の熱唱はこの歌の魅力を再び教えてくれた。封印を解いたかのようでもあった。
 
 震災に遭った地方でもこのゴールデンタイムの番組を見ていた人は多かったろう。その人たちはアメリカ人の若者が、素晴らしい歌声と感覚で披露したこのバラードを聴いてどう思っただろうか。
 


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