奄美と月明かり、朝崎郁恵ライブ

 沖縄を太陽にたとえるなら、奄美大島は月だろう。緑濃く潤いのあるこの島には燦々と降り注ぐ太陽の陽射しより月明かりがよく似合う。その奄美大島にひっそりと寄り添っているのが加計呂麻島だ。
 虫を食った枯葉のようだと、この島に縁の深い作家、島尾敏雄がいいあらわしたように、いくつもの入り江と集落がまわりに点在する。その一つ、花富(ケドミ)で生まれ育った島唄の名手、朝崎郁恵さんは、この11日で77歳の誕生日を迎えた。
「島唄をうたって70年になります」という朝崎さんの喜寿の祝いのコンサートが、同日、池上本門寺で開かれた。
 彼女と取材を通して知り合ってからもう10年になるだろうか。この間、都内をはじめ、奄美大島や加計呂麻島などさまざまな場所で、独特の揺らぎをもつ声による島唄を聴いてきた。
 そもそもは、彼女が歌った「十九の春」のルーツを調べることからはじまり聴き始めたのだが、それを機に長年聴いていると、取材にまつわるさまざまなことが思い出され胸が詰まった。
 
 久しぶりに生で聴く彼女の歌の力は年齢に比してまったく衰えなどない。何度も聴いているから、島唄もすっかり耳になじんでいるし、今回は今年5月にリリースされたアルバム「かなしゃ 愛のうた」から、ベース、ギター、ブルースハープ、楽器とのコラボレーションも実に自然にきこえる。
 バンジョーの城田純二、ブルースハープの松田幸一、ベースの天野SHO、そしてピアニスト吉俣良とともに、うたう島唄「浜千鳥」は、斬新だった。母親を思って泣いている浜千鳥。泣いてばかりいてはだめだよと。
 その気持ちが優しく揺らぐ朝崎さんの声にのり、せつないブルーズとして展開していく。ブルースハープの音色がこの情感を増幅させる。島唄はブルーズでありブルーズは島唄でもあると感じさせる瞬間がある。
 
 その一方で三味線のタナカアツシをバックにした「曲がりょ高頂」という唄はいかにも素朴な島唄らしさがある。人目を避けて暗い山のなかで逢う男女の心を描く。むずかしい島唄だとかつて朝崎さんから教えられたが、奄美の深く暗い山を想像しながら聴いてみた。
 奄美の民謡を吉俣が編曲し、彼女が詞をつけた「あはがり」という曲は、「この世は仮の世」といいながら少ない時間の尊さをうたう。これはNHKの番組「新日本風土記」のテーマにもなっている。
  童謡にも挑戦している彼女は、最後に「ふるさと」を披露した。日本人が心に描くふるさとの原風景が加計呂麻島にはある。合唱のように声を張り上げるのでなく、子守唄のようにやさしくうたいかける。
 しんみりと心に響くのはいうまでもないが、さて、自分のふるさとはどこなのだろうか、まだ、ふるさとと呼べるものがあるのだろうか。そんな寂しさが美しさ裏に隠れて心の穴を吹き抜けていった。


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朝崎


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