Archive for 4月, 2020

非常時に、常軌を逸した「Go To キャンペーン」とは

木曜日, 4月 30th, 2020

 常軌を逸しているとはこのことだ。緊急経済対策に、コロナ後の観光、飲食、イベントの振興などのための「Go To キャンペーン」予算を約1兆6000億計上するという。いま、病院、保健所など直接感染症対策にあたっているところは、人手も物資も早急に欲しいところだ。身の危険を感じながら最前線で奮闘している人たちがいる。検査や治療を受けたくても受けられない人がいる。なかには命を落とす人もいる。PCR検査の拡充や他の有効な検査の実現も一刻も早く必要だ。
 そこにまず全精力を注入すべき時だ。それがである。コロナ禍が落ち着いたときに「半額で利用できるクーポン」などの予算を計上するという。飲食店で使えるポイントの付与とか、実に細かな政策を立てている。そんなことに頭を使う時間が官僚や政治家にあるのか。
 ものには優先順位というものがある。感染症対策と経済対策は一体のものであり、いわば国家的な危機管理対策である。であれば、危機管理対策のなかの最優先課題にまず取り組むべきだ。
 まともな人はみなこう批判している。ではなぜこういうことになるのか。長年政治の現場を取材、政権中枢にも食い込んでいた人にきけば、「族議員の働き」だという。
 注意しなくてはいけない。動機は不純だということだ。国や社会という全体の利益より自分たちのことを考える力が優先されたということである。飲食、観光、イベント業界は確かに大打撃を受けている。そこに援助をすることはまったく異論はない。しかし、この時期にあえてそれを打ち出すのか。あとで補正を組めばいいではないか。
 おそらく安倍首相もわかっているのだろう。でも、決断力がないのか、正しさより利害を優先する性格なのか、正しいことが実践できない。だから、この政権や首相の主張にはなるほどと思わせる、説得力や信頼性が感じられない。そこが、ドイツのメルケル首相らと決定的に違うところだ。
 個人的に付き合えば、優しい人なのかもしれないが、リーダーとして、「正義」「公正さ」「情」というものが、感じられない。あるのは「利害」優先、「仲間」優先というやすっぽい理屈になってしまう。数の多いもの、強いもの、声の大きいものの利益を反映させていることは、これまで政権をめぐっておきたさまざまな問題、事件の背景をみればなるほどと納得する。
 しかし、冷静に考えれば、おなじ傾向は有権者のなかにもあるのではないか。だから政権が支持されているともいえる。こういってしまうと身もふたもないかもしれないが、社会の非常事態に、「Go To キャンペーン」のプレミアム付食事券の案などを考えていた政府、行政に「頭がおかしいのでは」と、思わなくなったらおしまいだ。

パチンコに政治もマスコミも甘い理由

日曜日, 4月 26th, 2020

 自粛要請に応じないパチンコ屋名を公表すると吉村大阪府知事がいった。これだけ公共社会のために営業自粛して苦しんでいる飲食業、観光業などがあるなかで、堂々自社のために営業をつづけるところをみると、パチンコの反社会性を改めて痛感する。私も若いころパチンコ屋によく足を運んだことがある。しかし、パチンコ依存症、“中毒症”の実態をしるにつけ、行くことはなくなった。パチンコがやめられなくなって借金苦に陥り家族が苦しんでいる例は数えきれない。

 依存症があるから、パチンコに行かないと気が済まない人もいる。そういう人を責めることはできない。むしろそういう人相手に金を得ることの方が問題だろう。さらに、この人たちに金を簡単に貸す今の社会の仕組み、そして破産しそうになれば、今度は弁護士がでてきて破産や過払い金の払い戻しをビジネスにすることもあこぎである。もう一つ言えば、パチンコ業界への警察庁からの天下り、さらに超党派のこの業界を支援する国会議員たちの存在。マスコミも広告のほとんど正面から報じない。カードローンや消費者ローンと同じ、よってたかってこういう意志の弱い人やその家族を食い物にする仕組みができあがっている。恐ろしい仕組みだ。

 楽しむ人がいるから成り立つ、パチンコの需要があるから自然だという意見があるが、ならば大麻でも児童ポルノでも同じ理屈で成り立つ。

 こうした問題に真正面から切り込む数少ない書のひとつ「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」(若宮健著、祥伝社新書)について、出版社の紹介文にはこうある。

 「~日本では国会議員が超党派でパチンコの換金を合法化しようとする動きが報じられている。日本の政治家は、パチンコの被害に目を瞑り、国民に不幸をもたらしているパチンコを法律で合法化しようとしているのである。」「この国では、一部の人間の利益のために、法的には違法なバクチが、長年放置されてきたのだ。日本のマスコミは、パチンコ依存症による犯罪が多発しても、ほとんど問題にすることはない。日本の新聞で、パチンコ業界を批判する記事は、ほとんど見ることはない~」

 こうした合法的な?博打であるパチンコだが、問題点だけを攻撃して人々の批判の目に晒すだけではまずいだろう。というのも、いまや大企業のパチンコもあり、そこで多くの人が働き、家族を養っている。時代はかなりさかのぼるが、公害問題で関係企業が批判された時代、そうした企業が集積する地域の自治体の学校では、公害問題に触れることはできなかった。多くの子供の親が関係企業で働いていたからだ。後ろめたいところがあっても、頭ごなしにきつい言葉で批判されればわかっていても納得はできない。パチンコ業界もその意味では、攻撃するだけではなくそのノーハウを生かして徐々に別の業態に移行できるように政治が誘導するのも必要ではないだろうか。

 コロナ禍のなかで、浮き彫りにされたパチンコの在り方だが、同様に経済界とのつながりで本来、実行されるべき感染症対策(自粛を含め)に、政治家がブレーキをかけていないか中止する必要がある。

失われるはずではなかったかもしれない命 自宅待機と救命

土曜日, 4月 25th, 2020

 軽症だとして自宅待機していた埼玉県の男性が亡くなった。これを保健所の対応の責任とは到底いえない。背後の事情をつくってきた政府の責任である。
 地震の被害には対処できないところがある。しかし、今回の新型コロナウイルスの場合はどうだろう。中国で発生し、ヨーロッパで広がりその感染被害と対応について日本では、もう2月末から注目してきた。
 その拡大が進む中で、ある段階からはPCR検査の拡充と専門の外来を増設すること、軽症の感染者を収容する施設を確保することが必要だといわれてきた。しかしできなかった。公共施設は閉鎖されて久しい、国の施設で臨時にこうした目的に使えるところもあったはずだ。民間ホテルに協力を仰ぐことも、十分な金銭保証をすればできたはずだ。だがしなかった。
 医療機関は必要な衛生用具、医療機器は足らず、従事者も疲弊しているといわれてきた。一般人はテレビや新聞でずっとそれを知らされてきた。しかし、十分な措置は取られなかった。その代わりに行われたのはマスクの配布と、10万円を配るかどうか。

 実に奇妙だ。立派な国立競技場などオリンピック関係の立派な施設を作るときは胸をはる国が、問題に直面した時に適正に対処できない。なぜなのだろう。自動運転技術などAI技術が未来を変えるなどと言っていた国が、その技術力をこの問題を前にしてまったく無力だ。辺野古の埋め立てやカジノの推進などには力づくで突き進むくせにである。

  必要なのはそんな力ではなかった。華々しいことや形に現れることに旗を振るようなことではなく、困難に立ち向かったときにあらわす力だ。国民・大衆をお客様扱いして、マスクと金を配ってとりあえず一般大衆の歓心を買うようなことにまず気を遣う。本来国民の税金を預かっている政府が、お客様になにかプレゼントをするような口調で配布する。いったいなんだろう。

 自分が被害にあわなければいい、とりあえず得すればいい、そんな多数の大衆、とりあえず現状で適度な生活していることに満足している大衆に支えられてきたのがいまの政権ではないのか。だがそうした現政権支持の利己的な大衆もようやく自分が被害に遭うかもしれないと思いはじめてきた。問題はその次であろう。

アベノミスによるアベノマスクのパッケージの裏側

コロナ禍に紛れて続く辺野古埋め立てという無情な蛮行

木曜日, 4月 23rd, 2020

 政府は、辺野古の埋め立て計画の設計変更をするという。軟弱地盤に対応するため、7万本の杭をうちこんで地盤を固める。これによって費用は当初予定の2・7倍の約9300億円となる。当然、工事期間は延び、埋め立てと引き換えになっている米軍普天間飛行場の移設は、2030年以降となるという。

 周辺住民にとって危険で、環境を脅かす普天間飛行場は少なくとも向こう10年はなくならず、一方、辺野古の自然が破壊されるのはいうまでもなく、周辺住民は10年も建設継続にともなう、工事車両の通行など住環境を損なわれる。そこに暮らし続ける人のことを、今までだけでなくこれだけ泣かせ、困らせ、海を汚して、数多くの基地に加えてさらに基地をつくる必要があるのか。あるという人間は、10年住んでみたらどうだ。辺野古基地新設の代替案を考える最後の時だ。

 コロナ禍で必死に働く人がいる医療現場へ果たして十分な資金、資材などの提供を国はしているのか。その一方で使われる9300憶円とはなんなのか。真の安全保障、公共の利益とはなんなのか、今こそ考えたい。どさくさ紛れともいいたくなる辺野古埋め立てや、横浜のカジノ建設など、いかがわしい事業、施策を見逃さないようにしたい。

穏やかで美しいかつての辺野古の浜(島袋武信さん撮影)

 

 

Hold On Tom Waits を聴く 

火曜日, 4月 21st, 2020

You gotta hold on, hold on

You got to hold on

Take my hand, I’m standing right here

You gotta hold on



二極化する?心配する正直者と、遊びまわるその他大勢

月曜日, 4月 20th, 2020

 4月19日の日曜日、湘南海岸沿いの国道134号は、多くの他県の車を含めてかなりの混雑だった。茅ヶ崎漁港の周辺の駐車場には釣り客などの車がとまり、大勢の人が出ていた。茅ヶ崎市内では営業中のパチンコ屋もあった。 

 ライブハウス、映画館、居酒屋など飲食店が、営業存続の危機に立っている。それでも国や自治体の要請を受けて、感染対策のために自粛をしている。その一方で、政治的な配慮と経済的な力関係からだろう、最初からあまり問題にならなかったパチンコ屋には人が詰めかけ、海に遊びに出る人も多い。

 感染を心配する人と自粛要請に従う人、その反対に気にせず自分の楽しみやストレス解消のために行動する人。つまり自粛することで社会全体の利益を図ろうとする人、自分は大丈夫そうだからと自分のことを優先する人。前者のストレスがたまって、後者への批判がエスカレートしないといいのだが。自由意思に任せるというのは、自由を享受する人たちの社会的な倫理観によって、ひどい結果を招く気がする。

 

 

 

  

米軍基地内の感染、環境汚染、相変わらずの沖縄の不安

月曜日, 4月 20th, 2020

 

 沖縄・北谷在住の知人が、沖縄の米軍基地内の新型コロナウイルスの感染について憂慮すると電話で話していた。

「日本人が米軍基地内に入るときは、厳重なチェックがあってゲートの前で並んでいる一方で、基地のなかのアメリカ人が沖縄の市内に出てくるのは自由だ。アメリカンビレッジあたりでは結構アメリカ人がいますよ」という。基地内の感染状況が細かく把握できない一方で、そこから出てくる(日本側に入ってくる)ものへのチェックが厳しくできないのが現状のようだ。

 最近、米軍普天間飛行場から有害物質PFOSを含む泡消火剤が流出した事件があった。報道によれば、基地外に流れた量は200リットル入りドラム缶719本分に上るという。流れた量の全体の6割以上が基地外の川などに流れ出た。
PFOSは発がん性などの健康被害が指摘されている。流出量については米軍はすぐには明らかにしなかった。

 辺野古埋め立てなど基地建設に加えて、基地の存在でどれだけ環境が破壊されるか。米軍基地が今のままの力関係にあるなかで、いったい沖縄になんのとくがあるとういのか。

 

 


関連記事

なぜできないか、をなぜ問わない

水曜日, 4月 15th, 2020

 日本医師会会長が会見で、医療崩壊の危機が迫っていることを訴えている。が、いったい誰に向けて話しているのだろう。市民一般は自粛以外に協力のしようがない。それで不十分なのは明らかなのだから、国に「○○してほしい、すべきだ」とはっきり言えばいいのになぜそれを問わないのだろう。

 
 厚生労働省クラスター対策班の西浦博・北海道大教授が、15日、流行対策を何もしないと、40万人以上が死亡すると予測されることを公表したとメディアは報じる。あいまいな記事だ。西浦教授は研究者の立場で話しているのか、国の立場で話しているのか、こんな報道の仕方ではわからない。

 大切なのは、そうならないために、誰が何をしなくてはいけないのかだ。国民に対する警鐘なのか、内部スタッフの悲鳴として、首相に訴えているのか。メディアは、彼がどういう立場でどういう意図で誰に訴えたいのかを示さないと、問題解決に至らないのではないか。

 国はPCR検査を広げようとしている。民間の力を借りればそれはできるという。だけど現実はできていない。それはどうしてなのか、状況報告と警告と、悲鳴だけが聞こえてくる。当事者、厚労省の責任者、大臣、首相の確たる決意や覚悟が表明されない。なぜなのか、メディアの関係者、そこを突っ込んでほしい。

 

裸の王様は首相ではない。大衆、我々自身だ。

水曜日, 4月 15th, 2020

 医療現場が崩壊の危機に瀕している。患者の側も危機に瀕することになる。発熱外来の設置などコロナ関係の疑いのある人を専門的に受け入れる窓口、感染者とわかった場合の収容先、その整備が遅れている。1月以上前から言われていたことだ。

 なぜ、できないのか。実際権限のある厚労省の担当者、厚労大臣の具体的な話が全く出てこないで、メディアで専門家たちが「しっかりした対応が求められる」的な発言を繰り返している。

 世の中には、地震など突然襲いかかってきて対応できない災害がある。しかし、今回のウイルス禍問題は、他国の例があり対応する時間があり、先行きを危惧する意見は多々あった。なのに対応できない。最大の責任はリーダーにある。そのリーダーが、「なぜPCR検査が進まないのか」と、疑問を投げかけている。天につば吐くようなセリフを平気で言う。だから、場違いな動画で批判を受ける。

 今、責任を問い詰めても時間がない。厚労省も手一杯なら民間に、国民に助けをもとたらどうだろう。「総理や厚労省は何している?」と糾弾するレベルは過ぎてしまった。金と知恵をみんなで出し合ってなんとかしようではないか。

 二つの言葉を思い出す。一つは、かつてアメリカのジョン・F・ケネディ大統領が言ったことだ。「国があなたに何かをしてくれるかを問うのはなく、あなたが国に何をできるかを考えてほしい」。もう一つは、反ナチ運動の神学者、マルティン・ニーメラーの詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」だ。ナチスの攻撃は最初は共産主義者だけだった。しかし自分には関係ないと思っていると、それがいつしか自分へと向かい、そう気が付いたときは助けてくれる人は誰もないということだ。

 星野源の動画に、入り込んだ首相の行動が笑いと批判を浴びている。医療現場では、自らの危険を顧みず必死に働いている人がいる。それを少しでも感じれば、優雅にソファで犬を抱えて、カップを口に運んでいることがおかしなことが想像できるのではないか。これは常識だろう。首相には残念ながら人の気持ちをさっする情というものが欠けている。また、この一大事にマスクをつけながら原稿を下を向いて読みながら国民にメッセージを発するなど、リーダーとしての覚悟も感じられない。リーダーに必要な情と覚悟がない。

 想像するに側近とか親しい人にはとてもやさしくていい人なのだろう。だから大新聞や経済界の重鎮も取り込まれるのだろう。この人の在任中、有権者のモラルも下がったのでないかと気になる。ことの良しあしより、首相(あるいは、首相のように権力を持つ人)のお友達になった方が得だろうと思うような人が増えてしまったのではないかということだ。

 話は少しわきにそれたが、首相に適切なアドバイスをする側近はいなのか、首相は裸の王様だという論がある。しかし、首相は裸だともう多くの人がいっている。裸の王様は首相ではない。こうした事態を招いている安倍内閣を支持する大衆こそが裸の王様である。メディアは大衆を批判すべきだ。

 

 

 

緊急!!感染疑いの発生から“治療”までのプロセスができていない。医療現場は困っている。保健所も困っている。 

日曜日, 4月 12th, 2020

  発熱がつづいて新型コロナウイルス感染を疑う人が、厚労省や自治体が示す手順に従っても、診療先で忌避されるなど納得のいく説明を受けられずに混乱を招く例がつづいている。

 患者本人はもとより、問い合わせや要望を受けた保健所と医療機関は困っている。発熱外来を設けて、PCR検査を行っている医療機関も同様だ。この混乱を収めるため、専門の外来を設け、必要な人に検査を行い、感染者を収容するという仕組みを充実させるのが第一だが、はたしてそれが進んでいるのか疑わしい。マスク配布で500億使うなら、医療現場、保健所など必死になっている現場への手当、援助が第一である。

 休業補償などの問題ももちろん重要だ、しかし、物事には優先順位がある。だれもが感染者になる危険がある今、まず医療、関係現場への手厚い対策がされなければ、補償してもらい継続しても社会自体が壊れ、事業・営業を再開できなくなる。その損失の方がはるかに大きいと予測される。