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海の家から金魚売りまで

木曜日, 6月 14th, 2012

 地元の海岸を散歩すると、海水浴場で“海の家”の建築がはじまっていた。梅雨のどんよりした空の下で、骨組みをあらわした家の向こうで海に浮かぶサーファーの姿が見える。

 だれがどういう権利で海の家というのは成り立っているのかという疑問はあるが、できてみれば短い夏の風情として親しまれる。

 昨年は「3.11」の影響で、控え気味だった営業も今年はそれなりの客入りをねらい力が入っているという。この小さな海水浴場で昨夏、「海の家でラーメンでも食べようか」と、出かけていき、昔ながらのさっぱりしたラーメンを注文した。そして、まずはその前に冷えた水をガラスのコップでぐいっといきたいところだった。

 ところが、ただの水はないという。自販機で買わなくてはならないそうだ。なんとなく釈然としないままラーメンだけを食べて帰った。
 家で昔の海の話をしていて、「そういえば昔は風鈴を売りに来る人がいたわね」という話しになった。「そう、金魚売りもいた。“きんぎょえー、きんぎょー”ってね」。エアコンはなかったけれど、こういう涼しげな風物があった。
 風鈴売りも金魚売りもいつごろから姿を消したのだろうか。 

深夜の悩みとラジオデイズ

日曜日, 6月 10th, 2012

 ラジオの深夜放送全盛時代、ティーンエイジャーはラジオのディスクジョッキー(DJ)に対して、はがきを書いたり、電話でラジオでながす曲をリクエストした。そして人気のDJには“人生相談”、“悩みの相談”をもちかけたりした。
 DJはこれらに真摯に答え、ラジオの前の同世代の男女は、深夜でなければ考えられないようなシリアスな話しに耳を傾けていた。今は亡き、野沢那智、土居まさるなど、いろいろなDJがはがきを読み上げ、結構真剣にリスナーに語りかけていた。

 こういうDJのなかで一人だけ絶対にこうした相談事にかかわらない人がいた。もっとも年齢の高い、糸居五郎だ。「ゴーゴーゴー、イトイゴロー、ゴーズオン」という決まり文句で、流行音楽とは一線を画して、独自な選曲でファンキーな曲を流していた。音楽について職人気質の人だった。

 彼が亡くなってからあるテレビ番組彼のことを特集していた。その中で印象的だったのが、彼が若者からの人生相談などを一切受けなかった理由である。正確には忘れたがこんなことを言っていた。
「だって、リスナーにとって私はラジオの向こうのただの他人ですよ、その私になにがこたえられます?」

 彼がいなくなってから30年近くたつが、いまの若い人は、いや年配者もか、誰かとつながりをもちたくてしかたがないようで、フェイスブックなどでネットワークを広げている。そして、さまざまなネット上の掲示板で悩みをこぼしあい、どこの誰かわからない人に答えを求めている。

 当時に比べれば格段に相談する手段や相手は増えた。今夜もどこかの誰かが、どこの誰ともわからない人に人生の悩みを打ち明けている。無責任ゆえに気軽に、明日になったら忘れるような問いと答えがネット上を行き交っている。 

スカイマークと公共性

木曜日, 6月 7th, 2012

 安全上のトラブルが相次いだ航空会社スカイマークの顧客対応が話題になった。

「機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センター』あるいは『消費生活センター』等に連絡されますようお願いいたします」と明記した文書を機内で顧客向けに置いていた。
 サービスの質も金次第という精神の極みのようだ。商売上のポリシーなのだろうが、常識のなさを露呈したのが、消費生活センターへ苦情の矛先を振り分けたことだ。

 お客に自分の店のトイレはつかわせず、となりの公衆トイレをつかってくれと言っているレストランのようなものだ。
 公共に対する認識が著しく欠如していて恥ずかしい。それでいて常識はなくても消費生活センターの存在を知っているところがずる賢さを示している。これに対して同センターはスカイマークに抗議、同社も謝罪して関係文書を回収したという。
 
 公的機関は広く誰のものでもあるが、個人のためにあるわけではない。図書館はみんなのものだが、だからといって借りた本に書き込みなどはしてはいけない。自分のものでありみんなのものであるものについては、自分だけのものより丁寧に扱うことで公共社会は質が高くなる。
 

小さな靴が片方落ちたとき

月曜日, 6月 4th, 2012

 偶然だが、ここ数ヵ月で子連れの若い母親に3度同じことで、手助けをしたことがある。いずれも駅のホームか構内でのこと。抱きかかえている小さな子供の履いていた靴が、片方脱げて下に落ちてしまった。そこに居合わせたので、手のひらにおさまるほどの靴を拾って、子供に履かせてあげた。

 母親たちは小さな子を抱きかかえていると同時に、オムツとかいろいろ詰め込んだ大きなバッグを持ち歩いている。おまけにもう一人お兄ちゃんやお姉ちゃんを連れているときがある。これでは靴が落ちても戸惑うばかりですぐには拾えないのだ。私だけでこれだけ遭遇しているので、世の中あちこちで小さな靴はよく落ちるのだろう。

 子供の靴ということで思い出したのは、ブラジル生まれの洒落たポップス、ボサノヴァを創った一人、作曲家でピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)について実妹が著した「アントニオ・カルロス・ジョビン―ボサノヴァを創った男」(エレーナ ジョビン著、青土社)。

 このなかに決断力のある毅然とした彼の祖母にまつわるエピソードがある。彼女にまだ小さな子供がいたころ。リオ・デジャネイロの路面電車に子供連れでのっていたとき、子供の一人が足を揺すっていて片方の靴を電車の外に飛ばして舗道の上に落としてしまった。
 そのとき、彼女はとっさに屈み込んで、子供のもう一方の靴を脱がせてすぐにそれを舗道の上に投げた。どうしてそんなことをするの、と聞かれた彼女は、「こうすれば、あの靴を拾った人がちゃんと靴をはけるでしょ」と言った。

 靴を落としたことを嘆いていないで、すぐにその困難な状況のなかでも最善の策を見つける。片方失うだけならただの損失だが、二つ失えば誰かの役に立つ。この話のすごいところは、自分にとっては損失でも、誰かの利益になればよかったと思えるところか。これをとっさに判断する、なかなかできないことだ。

Robin Gibb, The Bee Gees が逝く

土曜日, 6月 2nd, 2012

  ビージーズ(The Bee Gees)のロビン・ギブ(Robin Gib)が亡くなった。62歳だったという。3兄弟で構成されるビージーズのなかで、初期には彼がメインのボーカルをつとめていた。
 ビブラートがきかせた高音。繊細な歌い方で、叙情的なメロディを表現した。
 I Started A Joke という歌。震えるような声で、耳に手を当てて歌っていたのが印象的だった。

 70年代後半からのディスコブームのなか、彼らはそれまでのイメージを一新させ、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」のサウンドトラックを歌い、世界的な大ヒットをとばした。その記録は84年のマイケル・ジャクソンの「スリラー」が塗り替えるまでつづいた。
 グルーヴ感溢れるこれらの歌は実に心地いい。しかし、はやり彼らの初期の作品に惹かれる。
 Feel I’m going back to Massachusetts
 とはじまる1967年の「マサチュセーッツ」。フラワームーヴメントの時代、西海岸に憧れて多くのアメリカの若者が向かった。この歌の中にも、「サンフランシスコまでヒッチハイクしようとした」という歌詞が出てくる。
 でも、心はマサチューセッツにあったのか。日本でこれほどマサチューセッツという地名を広めた歌はないだろう。郷愁を誘うメロディとストリングスの音。ここでもロビン声が揺れながら響く。
 ロビンの双子の兄、モーリスはすでに他界し、一番上の兄バリーだけが残った。
当時発売されたシングルのドーナツ盤(ポリドール、370円)で「マサチューセッツ」を聴いてみた。3分にも満たないが、懐かしく美しいメロディだ。

沖縄への基地集中はやむを得ないだって?

月曜日, 5月 21st, 2012

アメリカンビレッジ入り口で

 NHKの世論調査によれば、「在日アメリカ軍の専用施設の74%が沖縄に集中している」ことについて、日本全体ではこれを「おかしい」と答えた人が全体の25%で、「どちらかといえばおかしい」という人も加えると68%だったという。
 一方沖縄県内では「おかしい」が57%、「どちらかといえばおかしい」が29%で、あわせて86%を占めたという。

 毎日新聞と琉球新報の合同世論調査では、沖縄県に在日米軍基地の7割以上が集中している現状について日本全体では「不平等だと思う」が33%で、「やむを得ない」が37%になっている。一方沖縄県だけに限ってみると69%、22%となっている。

「不平等だと思うが、やむを得ない」と思っている人はどちらを選んだのかという不確かさがあるが、それにしても沖縄への基地の偏在をおかしいと思わない人、不平等だとは思わない人の割合がこんなに多いのかと驚きを隠せいない。
「おかしいけれど、いまは仕方がない」とか「不平等はわかっているが、他に選択肢がない」という意見はあるだろうが、おかしいとも思わないし不平等だとも思わないことがあるのだろうか。
 こうした意見はどういう価値観に支えられているのか、もう少し掘り下げて知りたいところだ。「国益を考えて」という価値観がメインだとすれば、国益に名を借りた、個人の利益の反映、つまり自分さえよければいいということにならないだろうか。

頂く(いただく)が言えない

金曜日, 5月 18th, 2012

「もらってもらっていいですか?」
 横浜・野毛を三人でぶらり飲み歩いた夜のこと。桜木町から山側に歩いてすぐ。海側のみなとみらいに比べると、古く置いてきぼりを食わされた感のある小さな居酒屋がたちならぶ小路で、店の女の子がチラシを渡すと同時にこう言った。

 この「もらって」というのが実によく登場する。レストランで店の人に「水ってもらっていいですか」とか、なにかを試すように言うときに「やってもらっていいですか」などという。
「お水いただけますか」、「やっていただけますか」と、「いただく」という丁寧語が出てこないのだ。

 おかしいのは、やたらと使われる「~させていただきます」のときはちゃんと「いただく」が出てくることだ。どうやら「~いただく」は「させて」とセットでしか使われないようだ。
 冒頭の表現についていえば、「どうぞ、お持ちください」、あるいは「どうぞ」でいいだろう。それを少し丁寧に言おうとしたので「もっていっていただく」が「もらってもらって~」となったのか。 

懐かしのチョーロンギー通り

木曜日, 5月 17th, 2012

 この一年ほど、直木賞作家佐々木譲の初期の作品を読んだ。「エトロフ発緊急電」といい「ストックホルムの密使」といい、第二次大戦を背景に日本人や日系人が国際舞台でダイナミックに活躍する小説は、構成といいテーマといい実に見事だ。

 この人の作品は警察ものから読み始めたが、“かきっぷり”がいい。人格が文章表現にあらわれているようだ。といっても本人のことは知らないのだが、きっと好人物ではないだろうか。
 つい最近「ベルリン飛行指令」(昭和63年、新潮社)を読みはじめ、最初は物語の設定に興味をもてなかったが、描かれる登場人物にいつしか引き込まれた。個人の自由や意志など全体への奉仕のなかに埋没する時代にあっても自分のスタイルを貫こうとする人間が主人公だ。
 
 そのなかで物語の本筋とは別に懐かしい地名に出くわした。「チョーリンギー通り」である。インドの北東部の大都市、カルカッタの中心を走る有名な通りのことだ。カタカナではチョーロンギーとも書く。
 日本からベルリンまで大戦中に戦闘機、零戦を飛ばすという計画があった。英軍などの攻撃をかわしながら、インド、イラク、トルコを抜けてベルリンへ向かう。
 そのインドを描いた中にこの名が出てくる。

 インドでジャーナリストを装いながら諜報活動をする柴田という陸軍大尉のくだりである。

                      ※         ※
 柴田亮二郎が列車でカルカッタに着いたのは、十月二十四日の夕刻のことである。
 柴田はすぐにチョーリンギー通りにあるタージ・キャピタル・ホテルに投宿した。

                         ※                  ※
 今から33年前の1979年2月。私は友人と二人でバンコク経由でカルカッタ(いまはコルカタという表記が一般らしい)に入り、そこからおよそ一ヵ月をかけてぐるりと、インドを大まかに一周した。
 デリー、ジャイプール、ボンベイ(ムンバイ)、ゴア、バンガロール、マドラス、そしてカルカッタ。これが初の海外旅行でもあり、衝撃的な旅だった。

 なかでもカルカッタの町だ。町に人と牛とリキシャとが入り乱れてうごめき、路上では生死のわからないような人の横たわる姿もあった。
 夜、停電で暗くなった雑踏を歩いた。電気がつけば怪しい祭りの夜店のような明かりが、人々を照らし出す。二人でレストランに入った。ろうそくをともしたボーイがわれわれをテーブルへと案内してくれた。
 
 そのインドはいまとてつもなく変わったようだ。チョーリンギー通りが懐かしい。
 

高度な認知症

木曜日, 5月 17th, 2012

 病院関係者との議論のなかで、「高度認知症は終末期なのか」という話題が出た。認知症がかなり進んでいくと、たとえば食べ物を食べ物と認識できなくなったりするらしい。また、肺炎を起こしやすくなったりするという。
 しかし、直接認知症そのものがガンなどと同じように死に至る病となるのとはわけが違う。
 ところで終末期とは、余命がある程度はっきりした状態、つまり改善は見込まれずに近い将来死に至ることを指す。したがって高度な認知症=終末期なら、認知症がひどい場合はあと少しで死に至ることになる。 
 問題はそこからさきで、高度な認証の患者をどう扱うかということだ。人権の問題もあるだろう。少しみんなで勉強しようということになった。
 

誤った「理解」

木曜日, 5月 17th, 2012

 人はなかなかわかり合えない。人間は歳をとってもあまり進歩しない。ちかごろ常々そう思う。

 だから、ある本のなかで紹介されていた哲学者ヘーゲル(1770~1831)の言葉に出合ったときは“深い”と膝をたたいた。
 ヘーゲルの言葉といえば、「理性的なものは現実的である。現実的なものは理性的である」などが有名だが、こんな意味深なことも言っていたのだ。
 曰く、
「わたしのすべての弟子のうちで、たったひとりだけがわたしを理解した。そして、そのひとりは、わたしを間違って理解した」

 間違った理解も理解のうちなのか。わかるとはなんなのだろう。